名無しの裏家業
浅縹ろゐか
或る男
その男は、決して自分の名を名乗らない。
名前を知っている人物は、この界隈に一人も居ないのだ。年齢も不確かで四十代か五十代だろうという見た目からの推測しか出来ない。しかし、それでは不便である。依頼人は彼の事を、自分が呼びやすい様に呼んでいる。それをその男は否定せずに受け入れている。その為、彼の名前は無いが、多数の呼び名がある。
この界隈でこの男の事を知らない者は、一人も居ない。誰もが、敵に回したく無い男である。彼の仕事に対する姿勢は、慎重そのものだ。決して失敗をしない完璧さを彼は貫いていた。そして、彼はいつでも冷静沈着で、残酷な決断も出来る強さを持っている。つくづく、敵に回したくない男である。
「さあて、今日の依頼は……」
男はとある雑居ビルの屋上で、手摺りにもたれ掛かりながら記憶を辿る。夜でも明るい繁華街にあるその雑居ビルの屋上は、生温い風が吹く。携帯電話を取り出し、優先すべき依頼を吟味する。
「今日も面白くなりそうな仕事だ」
くつくつと男は笑い、携帯電話をトレンチコートのポケットに押し込み、雑居ビルの屋上を後にした。雑居ビルの屋上は、生温い風で時折風の唸る音がする。
今日の依頼の一つは、依頼人との顔合わせだ。電話でのやり取りで終わる依頼人も多いが、顔合わせをしたがる依頼人も一定数は居る。依頼をするにあたり、どんな人物かを見極めたいという思いがあるのだろう。今日指定された顔合わせの場は、某ホテルの会員制レストランだ。ただの成り金では入れない、審査があり選ばれた者のみがこのレストランの会員となれるのだ。この場所を指定してくるという事は、依頼者はその選ばれた会員であり、成功報酬もなかなか期待出来そうだ。ホテルに着き、エレベーターの最上階のボタンを押す。チンとベル音が響き、エレベーターは最上階へと到着した。床はベルベットの赤い絨毯である。足音が絨毯に吸収されて、廊下は静寂を保っていた。静かな廊下の先に、観音開きの重厚な装飾を施された扉がある。ひとまず、扉の前に着いてノックをする。
『ご用件は?』
「此方の会員である
『かしこまりました、少々お待ち下さい』
数秒の沈黙の後、扉の錠が開いた音がした。
『お待ちしておりました、どうぞお入り下さい』
<続きは本にてお楽しみ下さい>
名無しの裏家業 浅縹ろゐか @roika_works
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