禁断の果実

夏村響

第1話

 素敵な彼氏の作り方?

 そんなもの知らないわよ。どうして私に聞くのよ。


 え? あんな可愛い年下の彼氏を作っておいて何言ってんのって?

 馬鹿ね。

 前にも言ったでしょ、草介そうすけは彼氏じゃないって。


 一緒に暮らしているくせにって?

 うん。そうだったけど……。

 

 何かあったのかって?


 まあ、ねえ。

 そこを説明しようと思えば、最初から全部、話さなきゃならなくなるのよ。それじゃあ全部話せってことになるよねえ?

 そこが問題。

 だってあんたは私の話を信じないだろうし、絶対、笑うから。

 

 本当?

 信じる?

 笑わない?


 うーん、本当かなあ。

 まあ、いいや。話してあげるよ。

 まずは、私と草介の出会いからね。


 会社の帰りにね、珍しく花屋さんに立ち寄ったのよ。

 単調で、ときめきもどきどきすることもない同じことの繰り返しの毎日。いいことが何もないから、花を部屋に飾って気分でも変えようかなと思って。


 店内をふらふらと花を見ながらうろついていたら、隅っこにある鉢植えに気が付いたの。

 それは小さな植物でね、葉の形からしてマメ科の植物っぽくって、覗いてみたら薄いブルーの透けるような花びらの花がひとつ咲いていたの。

 それはとても儚くて美しくて、一目で私は気に入ったわ。

 

 すぐに店員さんを呼んで、この鉢植えを下さいって言ったの。

 そうしたら、やってきた若い男性の店員さんは困った顔をしてこう言うのね。それ、売り物じゃありませんって。


 そんなの変よ。

 花屋の店先に置いてある鉢植えが売り物じゃないなんて。


 私は諦めきれなくて問い正したわ。


「それ、どういうことですか? ここ、花屋なのに花を売ってくれないんですか?」

「いえ、そういうことではなく。……実はこれ、いとこの形見なんです」

「は? 形見?」


 その店員さんが言うには、最近、同い年のいとこの女の子が突然、病気で亡くなったそうなの。健康で病気らしい病気もしたことがない子だったから、結構、ショックだったみたいで。

 死に顔がとても安らかで幸せそうだったのが、せめてもの救いだったって。


 でね、その鉢植えは彼女が大切に育てていたもので、花屋のお前に貰ってもらうのが一番いいだろうって、いとこのご両親が形見分けでくださったそうなの。


 そんな話しを聞いてしまうと、何も言えなくなって私は引き下がろうとしたんだけど、その店員さん、何を思ったのか、急にお金はいらないから、この鉢植えを貰ってくださいと言い出したの。


 そう、変でしょ。

 しかも、形見だよ?

 ちょっと貰うのは気が引けるでしょ?


 でもね、その花屋さん、真剣な顔で言うの。


「この植物、オスなんです」


 は? よね。

 確かに、性別のある植物っていうのは聞いたことがあるけど。銀杏とか、確かそうよね?

 でも、こんな小さなマメ科らしきの植物に性別ってあるものなの? 聞いたことないよ。


 差し出されても躊躇して鉢植えを受け取らないでいると、花屋さんはこう言ったの。


「僕じゃだめなんです。男だから。女性のあなたに育てて貰えば、きっと実がります。死んだいとこはそれを楽しみに育てていました」


 実?

 実って何?

 豆でもたわわに実ったりするの?

 

 想像できなくて首をひねっていると、花屋さんはだめ押しみたいに一言、言ったわ。


「見たくありませんか? どんな果実がるのか。まだ、誰も見たことがないそうですよ。もしかしたら……禁断の果実が生るのかもしれません」


 で、貰ってきちゃった。

 だって、気になるじゃない。誰も見たことのない禁断の果実、なんて。


 そうね、まんまと売れ残りを押し付けられたのかもしれないって後から私もそう思ったわ。

 でも、タダだったし、損はしてないから、まあ、いいかって。


 部屋に持って帰って窓辺に置いたの。


 様子を見ながらお水や栄養剤をあげて、後、音楽を聞かせるのもいいんじゃないかと思って、近くにラジオを置いてずっとスイッチを入れっぱなしにしておいたの。情操教育って奴よ。

 それに、こうしておけば私が会社に行っている間、ひとりでも淋しくなくていいでしょ?


 それから、一週間くらいたった頃かな。

 花屋さんが言っていた通り、実が付いたの。

 やっぱり、マメ科の植物だったのね。枝豆のミニチュアみたいなのがひとつ。


 これが禁断の果実?

 そう思うと拍子抜けはしたけれど、でも嬉しくてね。

 今まで以上に大切に育てたわ。


 そうしたら、その愛情に応えるように、その豆はどんどんどんどん、大きくなっていったの。


 どんどん、どんどん

 どんどん、どんどん

 どんどん、どんどん


 あっという間に、人間サイズになったのよ。


 何よ、その目は。

 そんなおとぎ話みたいな話があるわけないって?

 そうなんだけど、でも本当なのよ。


 でね、ある時、その巨大な豆の……さやっていうのかな? あれが突然、開いたの。中から蓋を押し開けるみたいにぱかりと。


 そして、そこから出てきたのが、生まれたままの姿の草介だった。


 彼は私を見るなりこう言ったわ。


「お母さん」


 そうよ。

 これで判ったでしょ。草介は私の彼氏じゃなくて、息子なのよ。草介って名前も私が付けたのよ。

 

 ちょっと、何よ。

 笑わないって約束したでしょ。

 嘘じゃないわよ。

 ……いいわよ、もう話すのやめるから!


 え?

 笑わないから続きを話してって?

 本当かなあ。

 ……まあ、いいわ。


 実のところ、私もこのこと、誰かに話したかったんだよね。自分でも判っているのよ、奇妙なのは。

 だからね、人に話すことで客観的になりたいっていうか、落ち着きたいっていうか……。


 じゃあ、続きを話すよ……うん?

 どうしていきなり、草介は私をお母さんって呼んだのかって? それに生まれたばかりでいきなり日本語を話すのはおかしいって?


 ええっとね、

 これは、憶測になるんだけど。

 ……インプリンティングって知ってる?

 刷り込み効果って奴。


 孵化したばかりの鳥のヒナが、最初に動くものを親だと思って付いて行くって、あれね。

 多分、生まれたばかりの草介が、最初に見た動くものが私だった。だから、私を親鳥っていうか、お母さんだと思ったんだと思う。


 日本語をいきなり話したのは、それは私が付けっぱなしにしていたラジオから学んだんじゃないかな。音楽だけじゃなく、ラジオ番組のパーソナリティが話す言葉やニュースだって聞いていただろうから。


 そんなこと、あるのかって?

 あるわよ。


 だって、草介は賢いんだもの。

 何でもあっという間に覚えてしまうの。

 料理もお掃除も洗濯も、

 何でも要領よくこなして、雑然としていた私の部屋はあっという間にピカピカになったわ。

 

 それから歌も、お話しも上手なの。

 いつも彼は私を飽きさせなかった。


 そして、なにより草介はいつも優しかったわ。

 私が仕事のことで落ち込んでいる時も、いらいらして、つい八つ当たりなんかしてしまう時も、付かず離れずのいい距離感でそばにいてくれたのよ。

 彼はね、私にとって陽だまりのように柔らかで温かく、かけがえのない存在だったわ。


 毎日がとっても楽しかった。


 でもね、そんな夢のようなことが長続きするはずはなかったの。


 草介が生まれてきた植物は、草介が出てきてからみるみる萎れて枯れてしまったの。

 だからといって捨てるわけにもいかないから、ベランダに出しておいたんだけど久しぶりに見てみたら、いつの間にか、もうひとつ、土から新しい芽が伸びていたのね。

 元々、土の中に種があってそれが後から発芽したのか、それとも風で種が飛んできてこの鉢植えに落ちたのか……よく判らないんだけど。


 とにかく慌てて部屋に入れて、お水や栄養剤をあげてみたわ。

 そうしたら……草介の時と同じことが起こったの。

 その植物もすくすく育って、しばらくすると小さな豆が出来た。そしてそれはどんどんどんどん大きくなって、人のサイズにまで成長したの。


 二人目の息子の登場か! なんてわくわくしていたら、やがて豆のさやが開いて、そこから顔を出したのは……美しい女の子だったわ。


 草介と同い年くらいのね。

 その瞬間、私は悟ったの。

 ああ、この子は草介のお嫁さんなんだって。


 草介はその子を見るなり、近付いて優しく手を取った。そうして、一度だけ私を振り返ると一言、言ったわ。


「育ててくれてありがとう、お母さん」


 草介は柔らかく微笑むと、女の子のいる豆の中に自分も入り、ぴたりとさやを閉めてしまったわ。

 それきり、彼もその女の子も豆の中から現れることはなかった。


 その後、その植物も豆も萎んで枯れたようになってしまったの。豆の中にいる草介や女の子がどうなったのかは判らないわ。

 これ、どうしようか、貰った花屋さんに相談に行こうかと悩んでいたら、ある日突然、その植物に変化が起こったの。


 豆がっていた所に、いつの間にか丸い果実が出来ていたのよ。


 その形は小さなリンゴ。

 姫リンゴってあるじゃない? 手の平に乗る小さなサイズのリンゴ。あんな感じ。


 しばらくすると、そのリンゴ、白っぽかったのがみるみる赤く熟れきて、甘酸っぱい、いい香りが部屋中を満たし始めたの。


 それは成熟した食べごろのリンゴの香り。

 私の五感を否応なく刺激する香りよ。


 これ、誘惑に負けて食べちゃったら、近親相姦になっちゃうのかな?

 だって、このリンゴ、多分、草介と女の子の間に出来た果実……子供だと思うの。つまり私の孫ってことよね?

 おばあちゃんが孫を食べちゃうって……さすがにまずいよねえ。


 あの時、花屋さんが言っていた禁断の果実という言葉。今更ながら思い出しちゃうのよね。

 そうか、確かに近親相姦は禁断の果実だよねえ、なんてさ。


 ちょっと、そんな顔しないでよ。

 え? 私がおかしいって? 目がイッちゃってるって?

 そんなことないよ。


 そのリンゴをどうする気かって?

 ……食べないよ。

 だって、毒かもしれないんだから。本当だって。

 

 蛇にそそのかされ、誘惑に負けて禁断の果実を口にしたイヴは楽園を追放された。

 私も禁断の果実を口にしたら……ここではないどこかに追放されてしまうのかな。そしてそこはどこなんだろう?

 

 きっと、楽園ではないわね。

 

 判っているの。


 でも、

 ねえ?

 手の平に乗る小さなリンゴの実が、ここではない違う世界に連れて行ってくれる禁断の果実なのだとしたら……。


 ちょっと、どきどきしない?

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

禁断の果実 夏村響 @nh3987y6

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ