月が綺麗ですね

サキバ

月が綺麗ですね

「月が綺麗ですね」

「なに、プロポーズ?」

「違いますよ。単純な感想です」


 かの文豪は何故 I LOVE YOU という言葉を月が綺麗ですね、という言葉に訳したのだろうか? 月が綺麗ですなんて言葉を女性の隣で言ってしまえばかなりの確率で勘違いされてしまうと思う。


「ややこしい真似はしないで欲しいわね」

「そちらが勝手に勘違いしたんでしょうが。なんでちょっとぷりぷりとしているんですか」

「ぷりぷりなんかしていないわよ。今はふりふりしてるわよ」

「……」


 この人は何を言ってるんだろうか。まあ、言ってることが理解できないのはわりといつもの事なので気にしないでおこう。ぷりぷりしている理由の方は分からなくもないが。


「チョコレート食べます?」


 とりあえず、ご機嫌取りはちゃんとしておこう。この人はずっと機嫌が悪いと面倒だ。あからさまに機嫌が悪いアピールをしてくるのだが、その分構って欲しいという感情が露骨に出てきて鬱陶しい。たまに可愛いと思うことがないでもないけれど流石にずっとそれが続くのは疲れる。

 そういう時はおかしやら何やらをあげていたら大人しくなるので楽なもので、僕はそんな彼女をいつも小学生かという気持ちで見ているのは秘密だ。


「苦いやつ?」


 この人は苦い物や辛い物が嫌いだ。その代わり甘い物には目がない。そのせいでぼくの財布はいつも彼女の甘味のために軽くなってしまう。


「ちゃんと甘いやつですから。食べないんですか?」

「……食べる」


 彼女が僕の手からゆっくりとチョコを手に取り思い直したようにその手を離した。なんだ? いつもは犬みたいに食いつくというのに。


「どうしました?」

「腕が痺れた。食べさせて」

「痺れたって……」


 腕が痺れるようなことは何もしていないはずなのだが。


「早く!」

「はいはい」


 横暴だ。ものすごく横暴なのだがそれに従う僕も僕なのかもしれない。箱に入っているチョコレートを一つ取り出してそれを彼女の口にまで運ぶ。

 そのとき気付いたことがある。チョコが丸形なのだ。だからどうしたと思われる方がいるかもしれないが丸形では食べさせにくいのだ。ポッキーのような棒状のものだったならよかったのだが。だから、チョコを彼女の口の近くまで運ぶと少し迷い動きを止めてしまった。

 そのまま口に放るか? しかし、それはなんだかな。動きを合わせるのも面倒だ。

 色々とグダグダ考えると先に彼女が動き出した。


「はむっ」

「ちょっ!?」


 指ごと口に入れるとは流石に予想外だ。さらにそのままチョコを舐めに来るとは。彼女の口内は思ったよりもずっと温かくて、なんだか火傷してしまいそうだ。


「あの」

「ふむ?」


 舐めるのをやめて欲しいというのに。指まで舐められているとおかしな気分になる。だからとりあえず彼女の口内から指を引き抜いた。彼女の唾液が指にまだ付着していて、弱々しい風を感じた。


「なにをしてるんですか。公衆の面前ですよ」


 誰かがニヤニヤと、誰かが顔をしかめ、また誰かが顔を赤くしていた。嫌な視線だ。僕だって恥ずかしいというのに。今が夜で良かった。昼だったらもっと多くの人に見られていただろう。


「そか、そだね」


 彼女は軽く周りを見渡し、納得したように首を振る。その後彼女は僕の手を引いて言った。


「じゃあ、私の家でやろうか。誰にも気兼ねなく出来るわよ」


 何と末恐ろしいことを言うのか。ワザとか? ワザとなのか? 今、何人か吹いたぞ。


「何のプレイですか」

「おしゃぶり?」

「……チョコを上げましょう」


 彼女の手を握り、その手にチョコを乗せる。この場にいると色々と恥ずかしいのでその手をそのまま引いた。思った以上に彼女の手が冷たくなっていて、まだ季節ではないが手袋を持ってくれば良かったなんてことを思った。


「どこ行くの?」

「僕の家ですよ」

「なるほど」


 そうかそうか、と彼女がしきりに首を振る。その動きが止まると彼女はぼそりと呟いた。


「月が綺麗ね」


 その言葉を聞いて、一瞬歩みを止めて再び歩き出す。さて、どう返答を返したものか。月が綺麗ですね、と返すのはあまりに芸がない。それに今日は一度言ってしまった。それでは拍子抜けも良いところだ。まあ、そういうことで。


「愛してます」


 だからきっとこれが今一番綺麗な言葉だ。

 彼女が僕の手を強く握って来たので、僕もその手を強く握り返した。そのため体温によって溶けたチョコを潰して感覚があった。ああ、今宵は月が綺麗だ。だからだろうか。きっと今夜は良い夜になる。そんな気がするのだ。

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月が綺麗ですね サキバ @aruma091

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