第7話 生まれ変わり

冬が本格的に寒くなった夜、ソワソワした男がメディテーションルームのショーウィンドウから中を覗いていた。挙動不審でかなり動きが怪しい。


支配人ミタがその男に気づいた・・・。

店の入り口のドアを開けて、男に微笑んでそっと話しかけた。


支配人ミタ「こんばんは、外は寒いですね。ご予約のお客様でしょうか?」

男はギョッとした顔をしたがうなずいた。


男「イシノ・ゴンゾウ・・・・35才です」

支配人ミタ「おお、お待ちしておりました。どうぞ♪中へ」


ゴンゾウは支配人ミタの誘導で奥の部屋へ案内された。

ズラリと並んだ部屋の一番奥220号室へ入って行った。


WRCと書かれた大きなイスにゴンゾウは座った。WRCが起動し始めてゴンゾウは震えた。そんなゴンゾウの意思とは無関係にイスは仰向けの状態になった。

上からVRゴーグルが下りてきてゴンゾウの目元を覆いつくした。


支配人ミタがいつものセリフを言う。

「ここはお客様がご自由に仮想世界をお楽しみいただける瞑想の部屋です。

実に様々なお客様にご来店いただいております。


きっと他にはない特別な体験をすることができるはずです。

肩の力を抜いてリラックスして席にお座りください。


それでは始めさせていただきます!3・2・1・・・GO!」


気づくとゴンゾウの視界には街があった。誰もいない。物音すらない。

その静かすぎる街でゴンゾウは辺りを見渡した。


すると誰もいない街の道路には車がまばらに散らばっていた。

今まで人が乗って運転していた車から、突然、人が消えて車だけが、その位置で止まっているように見えた。


不自然すぎるその光景、異様な雰囲気・・・・ゴンゾウはツバを飲み込んだ。


ゴンゾウはキョロキョロと辺りを見て、安全そうなところを探していた。

”誰もいない”のに彼はひどおびえていた。


これは子供のころから親に虐待されているために起きる脅迫観念である。

”自分の存在”があることによって虐待が起きるかもしれないという恐怖にとらわれていた。


不安神経症や脅迫観念に心が奪われているのだった。


なんの前触まえぶれもなく、突然ゴンゾウの後ろから「おい!」という女の声が聞こえた。

ゴンゾウは素早く振り向くとそこには刃物を持った赤いコートを着た女が立っているではないか・・・・。距離は10メートルほどだ。


ゴンゾウは後ろに下がりながら言った。

ゴンゾウ「あ・・・・あの・・・どちら様でしょうか?」とたずねた。


赤いコートの女はゴンゾウの言葉をムシして速足はやあしで近づいてくる。顔は無表情だ。


こ・・・これは・・・もしかして僕を刺そうとしてないか・・・?


ゴンゾウは全力で街に散らばっている車の陰に隠れようとした。

一番近くのあの車の後ろにまわり込もう・・・・!


ゴンゾウが黒いセダンの車の陰に隠れた。車の陰からさっきの女のほうを見たが・・・・そこには誰もいなかった。


女の姿が見えないので焦って、黒いセダンに乗ろうとしたが車のドアは開かない・・・。


今度は真横から「おい!」と聞こえた。


まさか・・・と思って横を振り向いた瞬間・・・・・ザクッ!

さっきの赤い女が無表情のままゴンゾウの腹に刃物を突き刺した。


ゴンゾウは自分の腹部に手を当てると温かい液体が流れ落ちているのがわかった。

血だ・・・・・。血が出ている・・・・。


ゴンゾウはそのまま倒れた・・・・。


しばらくして目を覚ますと同時に勢いよく起き上がった。

腹部に手を当てたが何もない。傷もない。血も出ていない。

何事もなかったように自分の部屋のベッドにいた。


1階にいる母親が2階にいるゴンゾウに声をかける。

母「あんた!いつまで寝てるの!起きてさっさと飯食べなさいよ!」


ゴンゾウはいつもなら「あ・・・・・ああ」としか言わず、親の言いなりで生きていたが今の彼は違った。


彼の意思とは関係なく言葉が出る。


ゴンゾウ「うるせー!ババア!状況もわからずに偉そうなこと言ってんじゃねーよ!」


ゴンゾウは言葉を出してから”しまった”・・・と思ったが自分の意思とは関係なく言葉が出てしまう。


母「あなた・・・その口の利き方なによ!私に逆らうつもりかい!ただじゃおかないよ!」


ゴンゾウ「何がただじゃおかないよだ!てめーこそただじゃおかねーぞ!どっちが上か分からしてやろうか?」


親の罵声や叱責に対して、ゴンゾウが挑発するのは初めてだ。

ただ心が軽い。今までの重苦しい気持ちがなかった。


部屋の隅から光がしてきて、そこに天女が現れた。フワフワと宙に浮かんでいる。


いつものゴンゾウならソワソワして怖がって震えていたのに、今はなぜか心が落ち着いている。安らかな気持ちだ。


天女「あなたは生まれ変わりました。さっき街で赤いコートを着た女に刺されて”昔のあなた”は死んだのです。今のあなたはさっきのあなたとは違います。


あなたは自分の好きなことをやって生きなさい。あなたがやりたいことをやっても人に迷惑をかけることはありません。


好きに生きればいいのです。自由にやりたいと思ったことを存分にやってみなさい。


あなたは自分の力を出さずに生きていたのです。さっきのあなたの死により、力は解放されました。


解き放たれた力を使って、親元を離れて自由に、気ままに、生きなさい。


あなたの両親は神様があなたを試すために用意した”魔物”です。だから、両親がどうなろうと気にする必要はありません」


そう言って天女は消えていった。


ゴンゾウには今、力がみなぎっている。


彼のいつも曇っていた表情が明るくなった。


そこで視界が真っ暗になりVRゴーグルがうえに上がっていくのが見えた。VRCが元のイスの状態に戻る。


支配人ミタ「いかがだったでしょうか?満足いただけましたか?またのご来店をお待ちしております」


ゴンゾウはスッキリした顔をして「ありがとう」と言った。

店に入るときにソワソワ、キョロキョロしていた人物とは同一人物には見えなかった。


そう、彼は最新技術を駆使したVRCとVRゴーグルによる体験によって、”今”生まれ変わったのだ。


ゴンゾウが店を後にした。


後日、彼は実家を出て遠い地で一人暮らしを始めたのだった。

35才になってやっと毒親から解放された彼は生まれ変わり、新しい一歩を踏み出したという。


それ以降、メディテーションルームを利用することはなかったが結婚して子供ができたという噂がある。


そこには健気けなげにも強くたくましく生きる男の姿があった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

The Meditation Room hiroumi @hiroumi2017

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ