第79話 真実~母の記憶
高志さんが、記録を残していたのね。引退した後、自分史を書くつもりで、こつこつと資料を集めていたわ。
高志さんが罹災したのは終戦の年の五月の山の手大空襲、青山通りにかけて、東に逃れて、迪男さんが消えたのが三宅坂の交差点あたり。
古い地図が用意されていて、そこにルートが書いてあったわ。
同じルートを私もたどってみたの。
昼も夜もなく騒がしい通りだから、急に空気が変わった気がしたわ。景色が変わったわけじゃないけど、現実の世界から一歩引いて、テレビの中を見ているような感覚。
そのまま歩いて行ったら、そのうちモノクロの画像が現実の風景に重なるように見えてきて。空襲で逃げ惑う人たちだった。でも、音も色もなくて。手を伸ばしても透けてしまって。
三宅坂交差点に近づいてきたところで、オーラと言うのかしら。白黒なんだけど光っている人がいたの。小さな男の子の手を引いて。
ああ、この人が迪男さんなんだなって思った。
近づこうとしたら、焼夷弾の光と迪男さんの光が合わさった後、迪男さんが消えていて。気づいたら元の景色に戻っていたのよ。
でも私はこれでようやく手に入れたと思った。あなたに続くカギを。
そしてそのまま、あなたが消えた事故現場に向かって。
何度も、何百回も来た場所なのに、その時初めて、プラタナスの木が光っていて。そっとそれに触れると、私は異世界へ通じる激流に呑み込まれていたわ。それと同時に、あなたの、迪男さんの残留思念が頭に流れ込んできたの。
それで私には全部のことが分かったの。
これは迪男さんが自分の血にかけた魔法。迪男さんの孫だから、私には迪男さんの記憶が流れ込んできたし、残留魔法が発動してしまったの。
そしてあなたは迪男さんの曾孫だから依り代に選ばれたのよ。
すべてが分かったのに、アイリとして生まれた私は記憶を失ってしまっていた。当たり前なのよ、それは。転移ならばともかく転生だもの。生まれ変わりならば、前世の記憶は失って当然。
あなたが特殊なのよ。
この世界から地球に戻るためには、迪男さん、いいえ、勇者ハヤトは肉体を捨てなければならなかったの。でも、地球からこの世界に戻るためには肉体が必要で。迪男さんの血筋につながる肉体が必要だったの。
高志さんでも、私でも、あなたでもよかったのだけど、高志さんのためにそもそも戻って来たんだから、高志さんを右も左もわからない、どこに生まれるかも分からない異世界に送り込むなんて論外だったのね。
私は高志さんの娘だから、私を失えば高志さんが悲しむ。それは迪男さんも望んでいなかったのね。
あなたが生まれる前に高志さんは死んだから。迪男さんにはちょうどいい道具だったのよ。
ええ、そうね。曾孫に対してひどいといえばひどいわね。
でも少し分かるわ。
親にとってやっぱり、自分の子が一番大事だもの。孫が可愛いっていう人、いるでしょ? でもね、較べればやっぱり自分の子が一番大事なのよ。
とにかく、迪男さんにとって大事なのは高志さんだけ。
良い悪いの話じゃないのよ。
そういうものと割り切らないといけないわ。
あなたが受精した時に、あなたの体の中に迪男さんは潜り込んだの。だからずっとあなたの体の中に迪男さんはいたのよ。そしてマックスとして出て行った。
記憶はね、迪男さんにとっても大事だったけど、記憶を維持する術式は、ふたつの魂のどちらかにしか効果が無かったの。
迪男さんの記憶が残るか、誠一の記憶が残るか、結局、誠一の記憶が残ったのだけど、それはそれで別に構わなかったみたい。時が満ちればいずれ記憶は甦ると知っていたから。
私の記憶がよみがえったように。
あなたがこちらに来て、遅れて三十年。私も迪男さんの血筋に引きずられて、あなたの娘として生まれたわ。
迪男さんが、勇者ハヤトが、マックスがやろうとしているのは、この世界を滅ぼすこと。比喩ではないわ。文字通り、この世界すべてを破壊すること。
それが術式の犠牲だから。絶対にやり通すつもりよ。そのために勇者ハヤトはこの世界に戻って来たから。
この世界と地球は川のようなもので結ばれているの。
地球が川上で、この世界が川下ね。
だから地球からこの世界に呼び寄せるのは比較的容易だけど、その逆は無理。無理を押し通すには、膨大な数の生贄が必要だわ。
その生贄がこの世界の人々。魔族も含めてね。
ああいう場面で別れたのだから無理はないけど、勇者ハヤトはどうしても地球に戻りたかった。高志さんには他に守ってくれる人なんていなかったから。その方法を探し求めるうちに、時空を越える双方向召喚魔法陣を構築したの。
そのためには膨大な生贄が必要になる。
そのためにはまず、勇者召喚を行った王国を滅ぼして、魔族と手打ちにしたわ。魔族だって大事な生贄だもの。無駄に殺すわけにはいかないわ。
王様と大臣は魂が消滅する寸前に、未来への転生魔法で飛んだみたいだけどね。それがケイド親王とプファルツェンベルヒ侯爵ね。彼らの目的は魔族を滅ぼすこと。歪んだ使命感だけど、生まれ変わってもそれをやろうって言うんだから徹底していたわね。
でもその時点で、人族、魔族を併せた人口が一千万人。その五倍は生贄が必要だったからとても足りないわ。
一方で、ハヤトはとにかく早く戻る必要があったの。時間がたてばたつほど、元の時点に戻れなくなる。あの時点、空襲のあの時点、まさしく高志さんは死の危険に直面していたんだから、あそこに戻らないといけなかったの。
そのため、ハヤトは生贄の桁を上げたわ。生贄の人数は一億。しかも相当数の人間が幸福でなければならない。
死にたがっている人を生贄にしても、望みを叶えるだけだから生贄としての価値、効力がさがるわ。今を生きていて幸福だ、死にたくない、そう言う人ほど生贄の効力があがるのよ。
気づいたの? でももう少し話を進めるわ。
ずっと未来にそういう生贄を捧げることを代価として、魔法陣を動かして、ハヤトは地球に帰還したわ。
知っているでしょう? 高志さんの人生が妙についていたことを。高志さんはよく笑って言っていたわ。「俺に意地悪をする人は、なぜかみんないなくなっちゃうんだよなあ」って。
ハヤトの魂がずっと高志さんを守っていたのよ。
そのおかげで空襲を生き延びて、孤児でありながら嫌な思いをすることもなく、事業を始めれば全部うまくいく。
病気のことはどうしようもなかったけど、まあ、満足した人生だったでしょうね。勇者ハヤトもさぞ満足したでしょう。
でもハヤトのお仕事はそこからが本番。前借したわけだからね。きっちり生贄を払う必要があったの。
そしてさっき言った方法で、時が満ちる少し前に転生したというわけ。
時が満ちるのをぼんやり待っているわけにはいかなかったのね。少しでも生贄の質を上げておかないといけなかったから。
だから、あなたの体の中でずっとあなたに働きかけていたのよ。
貧しい人たちを救え。虐げられている人たちを救え。
豊かな人生を与えよ、って。
あなたはその影響下にずっとあった。
だからあなたはダグウッドの改革を始めたのよ。
質のいい生贄を作るために。
分かってるわ。あなたがそもそも、そういうことに関心を持っていたのはお母さんも知っている。タイであなたがどういうことを考えたのかも分かっている。
でもね、ハヤトはあなたが生まれた時からあなたの体の中にいたの。
だから、あなたもハヤトであり、ハヤトもあなたなのよ。
時は満ちようとしているわ。
あなたは選ばないといけないわ。
どういう道を選ぶのか。
ハヤトがどこへ向かったのかは分かっているわ。
魔術陣をくっきりと刻んだ場所、この世界の北極ね。知ってる? そこにはどういうわけかピラミッドがあるのよ。
この世界はどういう風になっているのかしらね。時代考証が滅茶苦茶だわ。
ハヤトは今、そこで時が満ちる瞬間を待っている。
あなたはどうするの?
あなたは選ばないといけないわ。
ハヤトのしたいようにさせるのか。
それを選べば、この世界の人たちは滅びる。頼めば、何人かは見逃してくれるでしょう。あなた、アビー、クリスティナ、そして私。マーカンドルフとルークくらいはたぶん。
私はハヤトの孫で、あなたは曾孫だもの。積極的に殺したいわけではないでしょう。最低限、家族くらいはどこかのアジールで、生き延びられるかも知れない。
ハヤトのやることを阻止するのか。
そうなればこの世界の人たちは救われる。
でも高志さんは確実に不幸になる。生贄が捧げられなければ、過去の結果も、因果によって上書きされてしまうから。
私もあなたもどうなるかは分からない。
今こそ選択の時よ。
選びたまえ。
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