第77話 兄妹の対決

「お兄様、ギュスターヴが来ているはずなんですが、連絡がつかないのです。どういうことですか?」


 マックスの執務中に、アイリが飛び込んできた。


「うるさいなあ。僕はおまえと話す気分じゃないんだよ」

「お兄様の差し金でしょう? どうして嫌がらせをするんです?」

「あれはクリスティナが言い出して、お父さんが決めたこと。苦情ならあちらへどうぞ」

「どうして…? お義姉様がそんなことをなされるはずがないわ」

「さあね。僕が子作りを拒否したから、ダグウッド家のためにはおまえが必要、外に出すわけにはいかなくなった、そんなところじゃないかな。まあ、ダグウッド家に仕える騎士から適当な男を選ぶんだな」


 ぬけぬけと隠すつもりもなく、マックスは、そもそもの原因が自分の子作り拒否宣言にあることをアイリに言った。

 わざわざ隠すほどのことでもない。

 マックスにとっては、自分がクリスティナを抱かないことも、その程度のことだったし、アイリの結婚なんて尚のことどうでもいいことだった。


「なんですって…? 子作り拒否って、まさか、お兄様、お義姉様にそう言ったの?」

「言ったよ?」

「この、人でなし!」

「おっ、あぶなっ」


 ソファに置いてあったクッションを、アイリはマックスに投げつけた。


「よくもそんなことを言えたものだわ。お義姉様がどれだけ傷ついたことか」

「そうかな? 平気そうだったけど。ま、公爵夫人としての責任を果たしてくれるなら、傷つくとかそんなのはどうでもいいよ。公爵夫人としての考えから、おまえの結婚のことにも言ってきたわけだしね。クリスティナはよくやってくれてるよ。あっ!」


 アイリは、マックスの執務机の上に置かれた書類や筆記用具をすべて床に払った。


「ならば、死になさい! あんたなんかに大事なダグウッドは任せられないわ! 私からギュスターヴを奪って、この家に閉じ込めようというなら、私がダグウッドを統治するわ! あんたはさっさと死になさい!」


 非力な両手でマックスの首を絞めようとするのを、マックスは逆に、アイリの腕をとってひねりあげた。


「痛っ!」

「死ねって? やっだねー」

「死ね! 死ね死ね死ね死ね!」

「おっことわりー。残念でした、またどうぞー」


 マックスはアイリを床に放り投げた。


「あんたなんて、あんたなんて、お兄さんじゃなければよかったのに!」

「後から生まれてそりゃあないんじゃないの? 僕は妹が欲しいだなんて思ったことは一度もないけどね。勝手に生まれてきて、いい気なもんだ」


 その時。

 ふいに、アイリの雰囲気が変わった。

 全身に魔力が満ちている。

 マックスも即座に魔力を張り巡らせて、臨戦態勢をとった。


「おまえは…私からいとし子を奪っておきながら、今度もまた愛する者を奪おうというのか」

「アイリ…いや、おまえは誰だ?」

「それをおまえが私に問うのか。私のいとし子を道具として、異界へ連れ去ったおまえが」

「僕が? 僕が何をしたって?」


 アイリは身もだえしていた。今にもマックスに襲い掛かろうとしながら、同じ体の中でそれを何とか抑え込もうともだえている。


「ああ、口惜しい。私におまえを殺す覚悟がありさえすれば。だがおまえは私の大事な人の大事な者。ああ、口惜しい。何度おまえを絞め殺してやろうと思ったことか」

「おまえは誰だ。僕が何をしたというんだ?」

「卑怯者めが。罪を犯し、これから罪を犯そうという者が、無垢な子供でいるつもりか。おまえは当に分かっているはず。勇者ハヤトよ!」


 その言葉を聞いた時、マックスの全身に雷のような衝撃が流れ、マックスはうめきながら膝をついた。


「勇者、ハヤト? おまえは僕が勇者だというのか?」


 だがアイリはすでに気絶していた。

 震える体を押さえながら、呼び鈴を鳴らし、アグネスを呼ぶ。


「これはっ、アイリ様!」

「気絶しているだけだ。不平不満を言っているうちにヒステリーでそうなった。邪魔だ。片付けろ」


 アグネスは何かを言おうとして、口をつぐんだ。

 アグネスは、フェリックスとは深い信頼関係があったが、マックスとは別に信頼関係があるわけではない。すでにダグウッド家を去ったガマを除けば、マックスには親しい家臣などいない。マーカンドルフとは、家庭教師と生徒の関係にあるが、互いに心を許しあっているわけではない。

 案外対応の難しい男である。

 その難しさを承知で、フェリックスは、マックスの盾となってくれることを期待してアグネスをマックスにつけたのだ。フェリックスからはこう言われている。


「マーカンドルフは仕えるに足らぬと思えば、マックスの下から去るだろうし、ルークはダグウッドのためにならぬと思えばマックスを積極的に排除しようとするだろう。アグネス、君だけは何があっても最後までマックスに従って欲しい」


 今はまだ、マックスとの間に何の関係も築けていない。余計なことを言って、マックス自身から排除されるわけにはいかないのだ。


「分かりました。伯爵閣下もご気分が優れないようですが」

「僕のことはいい。別に無理をするほど、仕事が好きというわけでもないし」

「…では、アイリ様をお送りいたします」


 アグネスが両腕にアイリを抱えると、マックスはうるさそうに右手を振って、退出を促した。



「いとし子? アイリのやつ、何を言ってたんだ? そもそもあれはアイリなのか?」


 一人椅子に座って、マックスは考える。


「ハヤト、ハヤト。魔王もそんなことを言っていたな。勇者ハヤト、ハヤト、勇者、ハヤト、勇者、ハヤト…」


 その言葉を果てしなくぶつぶつと繰り返す。そして ― 。


「ハヤト、ハヤト…ミチオ。ミチオ? ミチオ、ミチオ、ミチオ、ダテ。ダテミチオ。…伊達迪男。…そうか。そうなのか。思い出した。思い出したっ! 俺は思い出したっ! 俺は思い出したっ!」


 マックスは哄笑した。いや、伊達迪男は哄笑した。


「記憶がよみがえったと言うことは時が満ちたのだ! よくやってくれた、フェリックス! いや、我が曾孫、誠一よ、よくやってくれた! おまえのおかげでかくも早く時が満ちてくれた!」


 マックスはそのまま、扉窓に向き合い、魔力をぶつけ、窓を粉々にした。

 その音が響き、何事、とアイリをその侍女に渡して戻って来たアグネスが、部屋に突入してきた。


「マックス様!」


 マックスは灰色に変わった瞳で、アグネスをじろりと見た。マックスではない。アグネスはそう思った。しかし、その男は指先一本までその男だった。その男はその男そのままだった。つまりは、マックスの方がオリジナルではない。


「行かせるか!」


 アグネスはマックスの身体を保護すべく、とびかかり、その体を確保しようとした。しかし一分のためらいもなく、マックスは魔法斬撃でアグネスを切り捨てた。


「うがああ!」


 アグネスが日頃から鍛えておらず、咄嗟にその中心を交わさなければ、間違いなく一撃で絶命していたであろう。マックスには何の躊躇も無かった。

 にやり、と笑ってマックスは宙に浮いた。


「モンテネグロ人よ。フェリックスにはよくやったと言っておけ。俺はここにはもう用は無い。さらばだ」


 哄笑しながら、マックスは、いや、マックスであった者は、一条の赤い線となって、遠い空に消えていった。

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