第76話 アイリの縁談

 ケイド親王がもたらした内戦は、「ケイド親王の乱」という名称で落ち着きつつあった。ケイド親王個人に全面的に責任をなすりつけ、諸々の加担や見て見ぬふり等を、棚上げする一環である。


 ともあれ、ケイド親王の乱では王族はほぼ絶滅したわけだが、王族ではない、しかし王族の血筋であるという貴族が何人かいる。そう言う者たちも、大抵は犠牲になっていたが、何人か生き残りがいた。

 ランドック男爵家は、一家全員が生き延びた珍しいケースである。同家は代々の書道家元であり、その割には権威も実益もかけらも無かったが、家元の危機に際しては、思いのほか、取引商人や門弟筋の家系の者たちが、ランドック男爵家潜伏に力を貸してくれたのだった。

 早い段階で、彼らはダグウッドへ逃れている。ダグウッド家に無断のことだったので、かなり長い間、フェリックスは彼らがダグウッドにいることを知らなかった。

 ダグウッドでは経済力をつけた市民層が台頭していて、文化的な活動への関心が強まっていた。ランドック流の書道についても、ダグウッド市民は受け入れ、ランドック男爵家は多くの門弟をダグウッドで抱えることになった。

 彼らとしては極楽のような生活である。

 戦争終結から一年たって、ようやくランドック家の生存が確認された。


 他の宮中貴族と同じく、彼らには所領が与えられたのだが、ランドック男爵家の面々は、王都に戻ること、あるいは所領に赴任することをかなりしぶった。ダグウッドにいれば、町の人たちは誰もがダグウッドの宝扱いしてくれるのだ。男爵は今更所領経営などという慣れない仕事はしたくなかったし、経済的にも気分的にも、彼らとしてはダグウッドにいるのが一番だったのだ。


 しかし「はいそうですか」とはフェリックスも言えない事情があった。そもそも宮中貴族は王家の直臣であるし、それをダグウッド家がかっさらうような真似は出来ない。

 さらに言えば彼らの血筋が問題だった。

 はるか遠くとは言え、ランドック男爵家がれっきとした王家の男系子孫であることは確かで、王族が絶滅し、その男系子孫ですらおおむね粛清された後では、エレオノール女王の後継者を狙える数少ない血筋であった。

 そんな人たちをダグウッドで抱えておくわけにはいかない。

 ところがそこから先が長かった。

 生存本能だけは長けた人たちである。今この時代で、王家の血筋であることがどれだけ危険であるのかは承知していて、ダグウッドにいる限り、門弟たちに守られて安全であるので、断固としてダグウッドから動こうとしなかった。

 何度となく城に招き、説得を重ねて、解決するまで三年かかった。

 最後の頃には、女王直々に、「ランドック男爵を擁して、ダグウッド家は何をするつもりなのですか」と詰問の言葉がアンドレイを通して送られて来たほどだった。


 その交渉の中で、ランドック男爵の孫のギュスターヴとアイリは面識が出来て、幼友達になってしまったのである。


 幼くして威風堂々という子供が稀にいる。ギュスターヴがそういう子供だった。はきはきとしていて、衆に優れ、人格も高潔で、フェリックスから見てもすごい子供だった。

 なぜ、こんな麒麟児が、生活苦がこびりついたランドック男爵と、ひたすら卑屈なその息子から生まれたのか、まったく分からない。

 女王に直接仕える貴族の子と言う点では、ギュスターヴは、ダグウッドではただ一人だけ、アイリと同格だったので、自然と遊び相手になった。


「私はギュスターヴと結婚するわ」

「うん、僕もアイリと結婚したい」


 所詮、子供同士の幼い約束と誰もが思っていたのだが、それ以後、彼らは自分には婚約者がいる、という前提で振る舞った。

 十年が過ぎてもそれは変わることは無かった。

 

 はっきり言って、ランドック男爵家とかかわるなど、フェリックスには嫌な予感しかしない。

 しかし関わらないことはもはや不可能だった。

 ダグウッドが追い出す交換条件として、年金の支給以外に護衛の派遣、厄介事を引き受ける側近たちの派遣、結局、ダグウッド家が丸抱えしなければならなかったからである。

 所領経営も嫌だというので、これもダグウッド家が人をやって肩代わりをしていて、収益だけをランドック男爵家に収めている。

 傍から見ればどう見ても、ランドック男爵家はダグウッド家の掌中の玉であった。

 休暇のたびに、ギュスターヴは王都からダグウッドへやってくる。

 彼が将来、王位にからむようなことがなければ、悪い相手ではない。

 幼い恋人たちの熱意におされて、彼らの婚約が既成事実化されつつあった頃。


 マックスの、「子作りはしません」宣言があった。



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「クリスティナ、君には申し訳ないのだが」

「分かっています。私も覚悟を決めました。国と国との友誼がかかっている結婚ですから。夫婦が不仲になったからと言ってとりやめるわけにはいきません。もうあのようなことはいたしませんので、ご案じなく」


 身投げしたあの夜。彼女の身体は無事だったが、心は砕け散ったのだ。そしてそれは二度と元には戻らなかった。

 フェリックスとアビーが、クリスティナに深く頭を下げた。


「子供がいようがいまいが、君のことはダグウッド家の夫人として、女棟梁として遇する。それには変わりはない」

「クリスティナ、本当にごめんなさい。マックスは子供の時からあんなで。自分で決めたことは絶対に曲げないのよ。本当なら何としても改めさせないといけないのだけど」

「それは無理ですよね。かりそめでも妻ですからそれくらいは分かっています」

「本当にごめんなさい。この結婚には珍しく乗り気だったから油断していたわ。まさかこんな落とし穴があるなんて」


 アビーの溜息に、クリスティナは乾いた微笑を浮かべた。


「こんなことを頼める義理ではないんだが。マックスは確かに優秀だが、その、かなり変わっている。あれがやることを誰かが常識的に修正しないといけない。君に、ダグウッドを委ねたい」

「…つまり、マックスを補佐しつつ、必要があれば介入しろと?」

「私たちが生きている間はなんとかなるだろうが。私たちも遠からず隠居するし、そうなると抑え込めるのは君くらいしかいなくなる」

「私が公爵夫人になることはあっても、公爵になるわけではないのですよ?」

「マーカンドルフたちにも言っておく。当主夫妻の意見が割れたならば、夫人につけ、と」


 クリスティナはしばらく、目を閉じた。そして目を開いた時にはもう、ダグウッド家の女主人の顔になっていた。


「わかりました。いまさら、夫の妻であるふりはできませんが、ご両親様の娘として全力を尽くします。ところで、世継ぎのことはいかがなされるおつもりです?」

「…世継ぎか」

「もちろん、マックスが公爵になっていない今では早すぎる話と思われるかも知れませんが。他の方々にも事情はありますからね。実際にはさほど時間的余裕はありません。私一人に女の魅力がないだけであったなら、よろしかったのですが、マックスの話を聞けばそもそも子作り自体をするつもりがないとのこと。他の女に産ませて私の子として育てることも適わないでしょう。となれば、公爵家のお血筋はアイリしかいません」

「…アイリか」

「アイリがいる中では、ヴァーゲンザイル家の方々を養子に迎えることも出来ないでしょう。ダグウッドの民衆はヴァーゲンザイル一族に忠誠を示しているわけではなく、お義父様に忠誠を抱いているのですから。こうなった以上、アイリを他家に出すわけにはいかなくなりました」

「だが、あれは、ギュスターヴと」

「年齢から言えば、ギュスターヴ様は女王陛下の有力後継候補です。その時になってみないと分かりませんが、いずれにしても、王妃の立場と女公爵の立場は両立できません」

「ギュスターヴを婿養子に迎えては」

「ランドック男爵家が承知しないでしょう。あれでも血筋的には名門ですからね。女王の猜疑心を刺激しないためには、そもそもアイリとギュスターヴは結婚させない方がいいのです。お義父様。私も姉としてアイリの幸福は望んでいます。けれども、ダグウッド家の者として義務があるのも事実です。私もそれを背負うのです。アイリにも背負ってもらいます」


 次の休暇の時、ダグウッドを訪れたギュスターヴは、自分への扱いがひどく冷淡になっていることに気づいた。どれほど懇願しても、彼は結局、アイリに会えないまま、休暇を終えねばならなかった。

 

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