第72話 魔族と勇者

 死は祝福である。

 人にせよ、企業にせよ、国にせよ、興った理由と同じ理由で衰亡する。


 ローマは、民族を希釈し、コスモポリタニズムそのものとなることで帝国化した。ローマ人とは、民族の名ではなく、市民権所持者を意味するようになった。あたかも、国に帰属することが運転免許証を手に入れるような「手続き」の問題となった時、そして異民族がローマ領に攻め込んだ時、生命を度外視して立ち向かうローマ市民は消滅していた。

 民族は、時に理不尽であっても、脅威に立ち向かうことはあっても、市民は決して運転免許証のためには命を賭けないのだ。

 そうやって、ローマは滅びた。


 ある名声を博した企業があった。技術屋が作り、技術屋が大きくした企業である。良いものを作れば必ず市場に受け入れられるという信念の下、企業は大きくなったが、消費者の要求水準以上の技術が一般化した時に、単純な価格競争へのシフトに適応できず、規模を大幅に縮小させることになった。


 失敗の原因になるのは成功体験である。

 動機や倫理がいかに正しくても、それを絶対視すれば、必ずそのことによって滅びる。絶対的な善悪は存在しないからである。

 「妥当なる正義」自体が時代によって移り変わる時に、これをやって俺は成功したんだという人がいつまでも死ななければ、変化に対応することは難しい。

 同じところに留まり続けるためには常に変化し続けなければならないのだ。

 

 長命族、すなわち魔族が、短命族、すなわち人族との抗争に敗れたのは、それが原因であった。徹底的に短命族を見下すことに慣れた者たちが、いつまでも指導者の地位にあることで、魔族は対応がはなはだしく遅れた。

 一方、人族は、素早く世代交代することで、トライアンドエラーを繰り返し、最適解にたどりついた。

 魔族がいかに魔力を誇ろうとも、大規模魔法があったとしても攻城機ひとつには敵わない。

 魔族が追い詰められ、ただ一人の王、魔王の下に結束した時にはもう、文明地域の九割は人族の支配下となっていた。


 数々の失敗と悲劇、将来の危機にあって、ようやく魔族をまとめあげた幼き魔王メタトロンは、敵を侮ることをせず、反攻に打って出た。


 人族の王国は次々と攻略され、ついには大国と言えば、エルヴァース王国のみが残る状況になった時。

 傑出した法陣魔導師であったエルヴァース王が、勇者召喚の秘儀を編み出した。異世界から勇者を呼び出したのである。勇者には魔王の力に対抗する力があった。

 ただし、勇者召喚には膨大な人数を生贄とする必要があったため、身を削ることになる。そうたびたび、行える秘儀ではない。

 勇者は魔王と戦っては散り、また新しい勇者が呼び出され、を繰り返して数百年、魔族と人族の勢力は拮抗していた。

 そして、時のエルヴァース王が、決着をつけるべく、特に大量の生贄を消費して、最強勇者を召喚することに成功した。


 それが勇者ハヤトである。


 勇者ハヤトは、エルヴァース王の思惑通りに魔王を追い詰め、ついには討ち果たす一歩手前まで追い込んだ。

 しかしその時、勇者ハヤトは反転し、エルヴァース王国を攻撃し、ついにはエルヴァース王国を滅ぼすに至った。

 真名を握られている勇者が、主に反乱することは出来ないはずであったが、事実として、勇者ハヤトは反乱を起こした。

 エルヴァース王国が滅んだ時には、魔王と魔族たちも文明地帯から消えていた。

 ハヤトとメタトロンは約定を結び、魔族たちがはるかなる東方に移住することによって、互いに不可侵とすることになったのだった。

 メタトロンはその約定を守り通した。東方の魔族国が攻撃を受けるまで。

 

 フェリックスが送ったアグネス隊は、魔族国によって拘束されていた。こうした調査隊を送り込むこと自体、魔族国からすれば協定違反であったが、一応は拘束したものの、さてどうしたものか、とメタトロンが思案している時に、ボーデンブルクからの攻撃があった。

 これはハヤトが協定を覆したのだと思った魔王メタトロンは、ただちに軍事行動を開始した。ハヤトと戦えば自分も魔族国も無事ではいられないかも知れない。しかし先制攻撃を受けた以上、何もしないわけにはいかない。侮られれば更なる攻撃を招きかねないのである。

 まずは人族の勢力圏をヒットアンドアウェイで攻撃して、「手を出せばただでは済まないぞ」と見せつけると同時に、ハヤトの出方を見守るつもりだった。

 長命の魔王メタトロンにとって不幸だったのは、たまたまそこにマックスがいたことである。


 実際には、勇者ハヤトはすでにいない。

 勇者ハヤトは自らの王国を建設したが、ある日、突如として出奔した。王を失った王国は分裂し、そして人族同士の戦争の歴史が始まった。

 メタトロンはそれを知らない。


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 大正十年末、積年の病のため、天皇を補佐すべく摂政宮せっしょうのみやがたてられた年、東京市本所区にて、一人の男児が生まれた。

 名を伊達迪男みちおと言う。迪男という名はやや珍奇ではあるが、この年と翌年に生まれた男児にはそれなりに見られる名である。摂政宮にたった迪宮みちのみやにあやかったものである。

 伊達と言えば、いかにも由緒ありげな姓であるが、これは北海道に渡った仙台藩士たちが開拓地を伊達と名付けたことに由来していて、その地名を姓にしたものである。

 伊達迪男の両親は、アイヌであり、流れて東京にたどり着き、父は工場労働者となっていた。和人の血が混じっていたのか、伊達家の者たちは、さほどアイヌ色の強い顔立ちではなかったのだが、それでも目鼻立ちのはっきりした顔であった。


 大正十二年、関東大震災が起こり、迪男は両親を失った。

 以後、孤児院に入れられたが、さして人権思想など無かった時代である。躾と称して、管理人による暴力は日常茶飯事であったし、子供たち同士でも、苛めが蔓延していた。

 弱い者は虐げられても当然の状況の中で、迪男は自らが使える唯一の武器、美貌を使って、管理人の衆道趣味に阿ることで安全を確保した。

 ゴミ溜めのような場所から抜け出すために、懸命に勉学に励み、ついには奨学金を得て、中学、高等学校を経て、東京帝国大学において化学を学ぶに至った。

 孤児院出身で身寄りもない迪男は、理科系に進むのが、身を整えるには一番適当だったのだ。

 中学の頃から、迪男はアイヌとしての自分のルーツに興味を持ち、アイヌ研究、そして執筆を行うようになっていた。

 蝦夷ハヤト、皮肉のきいたそのペンネームは、次第にアイヌ解放運動の中でも知られるようになり、ときおり、請われて新聞に寄稿することもあった。蝦夷はむろん北海道のことであるが、ハヤトは南方にいた天皇をまつろわぬ異人の称である。

 本名ではおもいきり国家権力におもねった名前であることの反動であるかのように、迪男はその名を気に入っていた。第二の本名といえるほどに。


 卒業後、迪男は理化学研究所に入り、研究を続けた。そのため、既に勃発していた大東亜戦争に徴兵されることはなかった。

 迪男は学生時代に学生結婚をしている。

 相手は同じ孤児院出身のさと子で、迪男は妹のように保護し、可愛がっていた。

 戦況が厳しくなってゆく状況の中で、さと子は子を産んだ。

 高志である。しかし産後の状態が良くなく、さと子は間もなく死んだ。


 何としてでも生き延びねば。

 高志を孤児にして、自分と同じ地獄を味わわせるわけにはいかない。

 迪男はそう決意を固めた。


 そしてあの夜。

 何もかもを焼き尽くした空襲の夜。

 幼い息子の手を引き、抱きかかえて、迪男は逃げまどっていた。どこに逃げればいいのか。

 炎はあらゆる方向から迫り、容赦なく焼夷弾が空から降ってくる。


 ここではない、どこかへ。

 ここではない、どこかへ。

 神よ。

 もしそう呼ばれる者がいるのであれば。

 この子と共に、逃がしてください。


 そう思った刹那。

 迪男は、見知らぬ場所にいた。


「勇者ハヤトよ! そなたはこの世界を救うべく召喚されたのだ。勇者となり、人類を救うのがそなたの使命」


 迪男を見下ろしていたその男は、そう言った。

 名を聞かれて、つい、ハヤトの方の名を名乗ってしまっていた。

 そのことによって、迪男は、完全に隷従させられることから免れたのだった。

 

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