第70話 嵐

 ここ数日続く嵐だった。

 魔道具による通信は不安定で、悪天候が続けば、十日も音信不通になるのはざらである。ボーデンブルク王国国内であれば、短距離のラインをつなぐことで、費用のことさえ考慮しなければ、かなり精度の高い通信を行うことはできるのだが、地形、天候、距離において未明のことが多い東方大森林地帯にあっては、通信が途切れることはままあることである。

 ダグウッドでは、雷雨に降られて、そのせいもあって、東方に派遣した探索隊が次々に消息不明になってゆくのに気づくのに遅れた。

 ダグウッド城に第一報がもたらされた時には、既に入植地の幾つかが、呑み込まれていたのだった。


「魔法攻撃です!」


 東から着の身着のままで避難民が西へ押し寄せるのを、道の半分から排除しながら、ルークは領郡を展開させた。

 ルーク自身、前線へ向かいながら、次々に先に展開させていた部隊から報告があがってくる。


 ボーデンブルク王国では、魔法は調味料程度の重さしかない。軍においては主力として展開するには、魔法使いの人数を確保できないし、質もそろえられないからである。

 索敵や補助、あるいはハッタリとして使うことが多い。地球で言えば、古代カルタゴ軍の象兵のようなもので、インパクトは大きいが主力としては扱えない。

 しかし未知の敵軍は、接触するよりも先に、魔法を弓矢のように浴びせかけていた。十分に主力規模である。

 ダグウッド領軍の弓矢では、射程距離がそもそも稼げない。一方的に蹂躙されるだけである。


 こんな時に限って、フェリックスは不在だった。領地替えになるブランデンブルク公爵のお別れ会に、アビーと共に赴いていたからである。王都にあって、やむを得ず「同盟政府」の首脳の一人として忙殺されているアンドレイとキシリアも、一時帰郷しているほどの行事であるから、厄介ごとを彼らに任せて、ダグウッドでのんびりとしているフェリックスが、行かないわけにはいかなかったのだが、タイミングとしては最悪だった。


「マーカンドルフと…若君をここへお連れしろ。大至急だ! いや…アイリ様を非難させろ!」


 避難と言っても、ダグウッドの人口は70万人、こんなに急で住民避難などできるはずもない。しかしアイリだけは何としても安全な場所に避難させる必要があった。

 マックスを兵器として使用しなければならないのだから。

 これだけの魔法攻撃に即応できる者がいるとすれば、マーカンドルフとマックスしかいない。マーカンドルフだけで、どうにかなるとも思えない。

 マーカンドルフは確かに、大魔法使いではあるけれども、ボーデンブルク王国基準での話だ。敵軍にはどう見てもマーカンドルフ級の者が複数いる可能性は高い。

 足止めするにしても、マックスに頼らなければならない。

 少なくともルークはそう判断した。

 マックスに万が一のことがあれば公爵家の後を継げるのはアイリだけだ。最悪、アイリを確保しておけば、マックスを使い潰してもなんとかなる。それは本当に最悪の場合だったが。


 マーカンドルフが到着するまで、五分、何ら防衛手段を持たないにもかかわらず、それだけの時間を稼いだだけでも、ルークの指揮能力は尋常ではない。

 ダグウッドの魔法使い部隊は通常は、マーカンドルフの指揮下にある。魔法を使えない者には指揮統括が不可能だからだ。魔法使い部隊を投入することで、圧倒的に不利であるには違いはないにしても、敵陣へ攻撃を通すことがようやく可能になった。敵にも、警戒の姿勢が見られる。


「ご苦労だった」


 マーカンドルフは短くルークに声をかけ、さっそく自身も攻撃魔法を放っていく。通常のダグウッド兵を残しておいても無用の長物なのだが、避難民の盾になるくらいのことは出来る。次々と削られてゆくのをまのあたりにしても、まだ撤退を指示は出来ない。


「若君は?」

「こんなところに連れてくるわけにはいかないだろう」

「そんなことを言っている状況ではないだろうが!」

「私の方が卿よりも上位者だ。従って貰おう」


 ルークはダグウッド公爵家領軍の統括者である。

 一方で、マーカンドルフは、最終的には、フェリックス一家の執事である。その意識の差が出た。マーカンドルフにしてみれば、つまるところ、ダグウッドの防衛などはどうでもいいのだ。フェリックス一家を守ること、それがマーカンドルフの使命であって、マックスを前線に投入するなど言語道断であった。

 同盟戦争でアビーが一魔法使いとして戦いに従事したのとはわけが違う。あの時は敵の力はおおむね予想がついていたし、アビーの安全は確保できた。今度は、下手したらマックスは戦死しかねない。


「ならば、若君はアイリ様と一緒に?」

「ああ、避難していただいている」

「卿は頭は良いようだが、どうもずれているな。長く生き過ぎて呆けたのではないか?」

「なに?」

「あのマックス様が、大人しく、はいそうですか、と従ってくれるタマかよ」


 その時、後方から光が上空を走り、敵陣へ向けて大きな魔力が矢となって降り注いだ。


「ほら、あの通り」


 その光はマックスだった。一気に兵を減らした敵陣からは、狂ったように魔法弾がマックスに向かって発射されるが、マックスはそれらをことごとく押し返していた。


「若君! 危ないから下がってください!」


 マーカンドルフは攻撃魔法を放ちながら声をかけるが、マックスは完全無視である。

 マックスは、腐っても、ダグウッド公爵家の嫡男なのである。ダグウッドの役に立て、ダグウッドを守れと教育されていて、この時に、後方に退くはずがなかった。ルークはそれも見越して、せめて自分の監視下に置こうとしたのだ。


 マックスの投入で、攻守は完全に逆転した。

 敵の主力が魔法であればあるほど、魔法使い個人の力量が如実に出てくるからである。マックスは一人で、数万、数十万の魔法使いに匹敵した。史上最強の魔法使いである。


「おのれ、ハヤトめがっ!」


 そう咆哮しながら、敵陣の中からひときわ巨大な魔力が浮かび上がった。


「あ、言葉は通じるみたいだね」

「何を寝ぼけたことを! 貴様がちょっかいをかけてきたのであろうがっ! 勇者ハヤト!」

「えー、僕、そんなんじゃないんだけど。人違いで攻撃されたらたまったもんじゃないよなー」

「黙れ! 貴様の魔力、擬態してもこの魔王メタトロンにはお見通しよ! なぜ約束を破った! ハヤト!」


 魔王を名乗るその男はひときわ大きな火球をマックスにぶつけるが、マックスはそれを手をかざすだけで無効化した。


「ねーねー、戦っていて気付いたんだけど、僕の魔力、君たちのとすっごく相性がいいみたい。そうだなー、ボーデンブルクの魔法使いの方が、相手にするには面倒かもね。これってどういうことなんだろうね」


 ファンタジアで魔法使いが魔法の杖を振るように、マックスが腕をひとふりすると、敵陣からしきりに放たれていた魔法が、一切沈黙した。


「…」

「魔王さん? これってどういうこと?」

「…それが勇者の力だ。おまえはまさしく勇者ハヤト」

「うーん、一個ずつ整理していくね。質問にはちゃんと答えてね? 悪いんだけど、僕も自分ちを攻撃されて、けっこう怒ってるからさー、適当なことをぬかしたら、殺すよ?」


 言い方は物騒ではあるが、逆に言えば問答無用では殺さないということである。

 地上では、ルークが兵を一斉投入して、敵軍を捕縛していた。魔法に頼り切っていた敵軍は、魔法が使えなくなればなすすべもない。


「殺すなら、俺の命で納めろ。兵たちは従っただけだ。元々は俺が被害者、これくらいは要求しても構わんだろうが」

「被害者?」

「何か月か前、魔導弾でうちの国を襲っただろうがっ!」

「…あー…あれね。それ逆恨みだよねー。僕はむしろ撃ち落として、数を減らしてたんだから。君んとこ狙ったのは別の人で、その人は僕にとっても敵。そしてもう倒しちゃったから、復讐目的なら、その目的は遂行できないねー。それでも暴れるっていうなら、遠慮なく皆殺しにするけど?」

「…投降する」

「そう? 僕はどっちでもいいけど。とりあえず、君んところの兵たちは、東に移動して待機、君は捕虜、裁きはお父さんがつける、それでいい?」

「是非もない」

「急に大人しくなっちゃったけど…一応、捕縛はさせてもらうね」


 マックスは光の環で、魔王メタトロンを捕縛した。

 それを見ていた魔王軍からは、おおっ、と落胆の声が上がる。


「ルーク!」

「はっ!」


 マックスは大声で、ルークに呼びかけた。


「魔王を捕縛したから敵も大人しくなるでしょ。後始末は頼むね。魔王は城に連れていくよ。マーカンドルフはついてきて!」


 そう言い残して、マックスはダグウッド城に向けて飛んでいく。その後ろを引きずられながら、ころころと回転して着いていく魔王メタトロンであった。

 

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