第68話 乾杯

 パンタナール神社は神域を拡大して、ダグウッドの一の宮になっている。宮司はダグウッドの最高神祇官が務めていたが、王都や各領邦から専門職が派遣されて、禰宜や権禰宜に就任していた。

 パンタナール神は、土地神ということではあったが、実際にはフェリックスが創作した神だった。その意に従って、神官たちはありがたい謂れなどを適当に練り上げて、パンタナール神話体系なるものが出来上がっていた。

 要は、ダグウッドは神に祝された土地、そこに住める俺たちって幸せだよねー、というのを宗教学的に飾り立てたもので、パンタナール神社は、様々な場所から移住してきた雑多なダグウッド市民共通の拠り所になっていた。


 夏の宵、パンタナール神社への参道には、連日、屋台が並び立ち、楽し気な家族連れの声が絶えることもないのだが、参道を抜けた先にある舞殿では、煌びやかな衣装を纏った巫女が、鎮魂の舞を踊っていて、そこだけが切り取られたように静謐だった。

 その舞を、手を合わせて見守っている一家がいる。

 そしてその傍らに、一人のモンテネグロ人女性がいる。


「オルディナ」

「…! 閣下、こんなところに。お忍びですか」


 オルディナは薄墨のフードを被ったその人物が、フェリックス・ダグウッド公爵だと知ると、驚きを呑み込んで声を潜めた。見たところ、近くに護衛もいないようだ。


「護衛もお付けになられないなんて、不用心ですよ」

「ああ、離れたところにいるのさ。さすがに護衛なしで出かけるのはルークが許してくれない」

「でしょうね」


 オルディナも研究者、科学官僚としてのキャリアを積むにつれ、礼則に適った話し方をするようになっている。言葉遣いは大事だ。モンテネグロ人女性としてはキャリアの最先端にいる彼女としては、詰まらない言いがかりを受けて足をすくわれるわけにはいかない。


「マルイモのことでね、君の研究所に行ったら、秘書から今日はここにいると教えて貰ったから。どうして知らせなかった?」


 フェリックスが拗ねたようにオルディナを詰ったのは、彼女が自分のスケジュールをフェリックスに教えなかったからではない。今この場所で、亡き人の鎮魂祭が家族によってひっそりと行われていることを、知っているならどうして教えなかったのだ、と言っているのだ。


「閣下。お立場をお考え下さい。閣下はダグウッド全体の父親のようなもの。贔屓はいけません。一モンテネグロ人の鎮魂祭に列席されるなど」


 オルディナが言っているのは別に謙遜でもなければ、行き過ぎた謙譲でも無い。実際問題、ダグウッド市民にとってフェリックスは神と同等なのであり、誰もがその神に寵愛されたいと願っている。

 オルディナはモンテネグロ人が妬みを買って、標的にされるのを懸念しているのだ。有史以来、虐げられ続けて来た民族の警戒心はそう簡単にはほぐれない。


「君の言わんとすることは分かっている。だからお忍びで来たのだ。後でご家族に声をかけたい」

「…この場で声をかけるのは止してください。彼らが騒いでしまうかも知れませんから。建物の中に入ってからであれば、私からまず話します」

「分かった」


 一心不乱に手を合わせているのは、フレイアの家族である。夫のみならず、その親たちも涙を流しながら祈っていた。愛されていたのだな、とフェリックスはほっとすると同時に、二度と埋められることのない欠落を実感して、切なくなった。

 まだ小さな子供、3歳くらいの男の子も、目を閉じてお祈りをしている。

 その子を見つめるフェリックスに、


「フレイアの子です」


 とオルディナが言った。


「…この子のことは僕が気にかけよう。それがフレイアへのせめてもの…」

「申し訳ありません。その任は私がやりますので。私も『不動なる者たち』です。閣下から特別扱いを受けて、それであの子が増長するようなことになれば、それはフレイアの本意ではないでしょうから」

「…そうか。では、オルディナに任せよう。何かあれば…」

「ええ、私の手に負えないことがあれば閣下に報告させていただきますから」


 舞が終わった後に、礼殿に入って、あのお方はいったい誰なのだろうかと訝しがっていたフレイアの遺族の前で、フェリックスがフードをとったら、悲鳴をあげられるやら、土下座をされるやら、大騒ぎになったので、オルディナの配慮は正しかったことになる。


 恐縮する遺族に負担をかけるのも本意ではないので、フェリックスはその場で遺族と分かれて、神殿の貴賓室で、オルディナを伴って茶をすすった。


「ところで、マルイモのことで何か気にかかられるようなことがおありでしょうか?」

「ああ、それは大したことじゃない、資料は君の秘書に渡しておいたから、近々意見を聞かせてくれ」

「分かりました」

「君のところに行ったのは…アグネスたちのことだ」

「足取りが掴めないのですね?」


 フェリックスは頷いた。


「そもそもアグネス隊は突出していた。足取りを追うよう、捜索隊を派遣したが、アグネス隊の半分も進めていない。切りのいいところで切り上げて戻ってくるよう言ってはいたんだが」

「無理でしょう。あの隊は好奇心の塊みたいなのを選んでいましたから。ただ、アグネスは勝算のないことはやりません。彼女がやれると判断したならやれるんでしょう。実際、遭難するまではやれていたのですし」

「済まない」

「この場合閣下が謝罪なられるのはふたつの点で間違っています。第一に、何があったにしても、アグネスが志願して、アグネスが全権を負っていたのですから、これはアグネスの責任であり、補佐が不十分だったなら、リューネとマルテイの責任です。第二に、アグネスはまだ生きています」

「アグネスが生きている? 分かるのか?」

「そんな感じがするだけです。リューネとマルテイも生きていますよ。私の感じでは」

「何か、モンテネグロ人の秘術とか?」


 フェリックスの言葉に、オルディナは笑った。

 ジプシー占いのように、モンテネグロ人には何か神秘的な力があるとの噂があった。


「秘術なんてないですよ。モンテネグロ人の不思議な力とやらは、生きるためにカネを巻き上げるための方便です。私たちを追い出したら呪われる、とかですね。ただの勘ですよ。ただ、私の勘は…フレイアが死んだ時には分かりましたから」

「そうか…」


 ただの気休めなのかも知れなかったが、魔法がある世界だ。フェリックスは、オルディナの勘を信じた。

 フェリックスが、どこかほっとした気になったのは事実だった。


「僕は友だちがいないんだよね…」

「…そうですか」


 何をいきなり言い出すんだろうと思いつつも、オルディナはフェリックスの言葉を待った。語るのを欲しているようだったから。


「ヴァーゲンザイル家の三男だったからさ。近くにいる人たちから見れば坊ちゃんなわけだし。社交とかにも連れて行かれなかったし。マーカンドルフがいて、ガマが来て、ルークが来て、友だちができたみたいに感じたけど、やっぱり僕は彼らにとっては主君なわけだし」

「それはそうでしょうね」

「『不動なる者たち』とも今は主従になってしまったからね。でも最初はそうじゃなかった。ただの雇用主と冒険者だった。でも君たちは命をかけて僕を守ってくれて」

「雇用主を守るのは冒険者ならば当然ですが」

「そう言う契約ではなかったからね。君たちの任務は探索であって。あの時から ― まあ、君たちは友だちだよ、僕にとってはね、迷惑かも知れないけど」


 急に胸の奥から熱いものがこみ上げてきて、流れるものを押し戻すように、オルディナは天を仰いだ。


「…閣下のお気持ち、フレイアも喜んでいると思います…」

「…フレイアのことは残念だった。僕は彼女にあんなことをして欲しくなかった」

「…はい。でもフレイアも覚悟の上ですから。どうかそれだけは分かってください。友だちならば…」

「そうだね。僕も彼女ならああしたかも知れない。まあ、僕に敵陣に切り込んで攪乱するなんてことは出来ないんだけどさ」

「閣下はそれ以上のことをおやりになっておられます。でも、恐れながら、たった一度だけ友だちとして僭越なことを申すのであれば。閣下が何もできなくても、今までの功績を台無しにするような愚行をするとしても、意気地なしでも、弱虫でも。それでも私は閣下に生きていて欲しい。今、閣下が生きてここにいらっしゃることに、パンタナール神に心から感謝しています」

「ありがとう、オルディナ。アグネスたちのことは決して諦めないよ。絶対にだ。それを言いたかった。それと。亡き我らが友に」


 フェリックスとオルディナは湯飲み茶碗で乾杯をした。


 


 

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