第65話 終戦

 ザイール城陥落の知らせに、ヴァーゲンザイルに集っていた同盟諸侯は、浮かれていた。勝った時こそ油断するなとも言うが、彼らはいずれも一世一代の賭けに勝ったのであって、自然発生的に祝勝会があちらこちらで開かれたのだった。


 4日後に、南部を視察中であったエレオノール内親王が帰投する予定であり、それに合わせて実情説明と今後の予定が同盟議長から諸侯へ伝えられる予定である。

 戻ってこられる者たちは、今、息を切らせながらヴァーゲンザイルへ向かっているはずである。誰しもが自分たちの将来を決めかねない場には、声を発する権利を確保するためにその場にいたいのだから。


「ここにいたのね」


 ヴァーゲンザイル城内のフェリックスの自室に、マダム・ローレイがそう声をかけながら入って来た。


「僕が自分の部屋にいるのは当たり前じゃないですか」


 窓の下、暮れなずむ町でいつまでも終わることのない歓声を上げているヴァーゲンザイルの人々を睨むように見ながら、フェリックスは母親に不貞腐れた物言いをした。


「ダグウッド辺境伯爵がひきこもっていられるような状況じゃないでしょ? みんな探しているわよ?」

「…ダグウッドに戻っていないだけありがたく思って欲しいです…僕をなんだと思っているんだ、どいつもこいつも」

「ボーデンブルク王国の少なくとも3分の1の人たちがお腹いっぱいに食べられるようにした立役者でしょ? みんなそう思っているわよ」

「…改革なんて、しなければよかった」


 マダム・ローレイは腕をのばして、フェリックスの頭を撫でた。


「止めてください、子供じゃないんだから」

「母親にとってはいつまでたっても子供よ。カイのことは聞いたわ」

「…気安いことは言わないでください。今、僕は自分を抑えられる自信がないから」

「カイのことは残念だったわね、とか? カイも本望だったでしょう、とか? あなたの痛みは分かるわ、フェリックス、とか? 前に進むのがカイへの何よりの供養よ、とか?」

「…相変わらず底意地が悪いですね、母上」

「ええ、母親ですからね。あなたがどれほど言葉の剣で私をえぐろうとしても、この手を」


 マダム・ローレイは、強い力で、フェリックスの手を握った。


「この手を放しませんから」

「…」

「もう隠居する?」

「…」

「してもいいのよ。マックスはまだ幼いけど、あれでしっかりしているところがあるし、補佐役も十分にいるでしょう。今、何もかもを放り出したとしても…」


 マダム・ローレイは腕を握られたまま顔を背けようとするフェリックスに、「聞きなさい!」と大声をだした。

 これも魔法であるのかも知れない。フェリックスも、他の人も、マダム・ローレイの本気に逆らえた試しがなかった。


「今、すべてを放り出しても、あなたはもう何千人分もの仕事をもうやってしまった。誰も責められはしないわ。もし責める人がいたら、がひっぱたいてあげるから」

「…もうやめたい…でもカイが戻ってくるわけじゃ」


 顔を歪めて泣き出したフェリックスを、マダム・ローレイはそのまま抱きかかえた。


「…あんな決断をもうしたくない。あんな決断をしなければならないのが怖い。怖いんだよ、怖いんだよ、怖いんだよ、僕は」

「…とにかく、マーカンドルフとアビーをすぐに呼び戻しましょう。アビーが戻ってくるまでは。私はヴァーゲンザイル伯爵夫人だったけど、アンドレイには必要ないでしょう。アンドレイが改革の重荷と財閥の責任を背負っているわけじゃないんですから。アビーも辺境伯爵夫人よ。こんな夫を放り出して、前線に出ているなんて、後できっちり叱っておきます。マーカンドルフもね。アビーに引き継ぐまでは、私がダグウッド家の全権を掌握します。いいわね? フェリックス」


 フェリックスは泣きながら頷いた。


 部屋から出て来たマダム・ローレイは部屋の外で待機していたメイドたちと護衛兵に、部屋の中に入って一瞬たりともフェリックスから目を離すな、と厳命した。


「どこにでも、トイレにでも寝室でもかならず一緒についていきなさい。私から命令されていると言えば引き下がるわ。引き下がらないようなら私をすぐに呼びなさい。これは最重要命令よ。目を放したらあの子は…」


 その先はマダム・ローレイは言わなかったが、みんな、言いたいことは理解した。

 こういう時にここを離れたくないマダム・ローレイだったが、今この時に、ダグウッド家の当主が諸侯の間にいないというのは、本当にまずいのである。カイ・テオフィロスが形式上は裏切ったと言う事実がある以上、今、諸侯には愛想をふるまくなり、それとなく脅したりの工作が必要なのだ。

 アンドレイとキシリアが繕ってはいるが、彼らにもまた猜疑の目が向けられている。


「モンマルセルに連絡して至急に来てもらって。ええ、当主命令で来させなさい。財閥のことは彼に補佐させるしかないんだから。それとイアン・ヒューゲンロックもよ。働いてもらうわよ」


 自らの秘書に、歩きながらマダム・ローレイはそう命じた。その秘書は早速駆けだしてゆく。


(そう、カイがいればこういう時こそカイに任せておけばよかったのだけどね)


 そう思って、言ってもせんないことだと、マダム・ローレイは乾いた笑いを短く発したのだった。


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 ザイール城は壁が破られてしまえば陥落するのは早かった。

 全域を制圧するまで10時間はかかっていない。

 未発見だった王族はすべて遺骸となって発見された。ロマリエス親王と同じく、生きながらミイラ化した状態であり、そのまま衰弱死したものと見られた。死因が餓死であったのか、別の理由であったかについては今後の調査が必要である。

 国王、副王、他の王族すべての死亡が確認されたことによって、エレオノール内親王は自動的に女王に即位した。女系への継承はまだしも、女子の王位継承権は発効したことがなかったのだが、王族が他にいない場合は、女子の継承権が発生することは従来の王位継承法でも補足として定められていたからである。

 技術的には、エレオノール女王の在位は、副王の死亡が確認された時点からになる。実際にはヴァーゲンザイルに帰投した時に仮即位式が行われ、王都に入ってから改めて即位式が行われたのではあるが。


 ケイド親王およびプファルツェンベルヒ侯爵ら、弑逆軍首脳の死骸は発見されなかった。中庭庭園に十数の焼死体があり、ケイド親王側近のうち生き残った最高位者のフェルマー侯爵が半ば錯乱状態の中、ケイド親王たちが自ら火の中に身を投じたことを証言したことによって、首謀者らは死亡したという処理になった。

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