第62話 マックス覚醒

 ガマは誰から縁談を勧められても、


「わいのような醜男に嫁ぐおなごはんがお気の毒や」


 と言って、決して受けようとはしなかった。

 ヴァーゲンザイル勲功騎士爵家最高幹部会。非公式であるがゆえに名称も変わらず続いていたその最高意思決定機関も、後からはカイが入っただけで、そのカイも抜けてしまえば、面子はダグウッド村以来の面々、フェリックス、アビー、マーカンドルフ、ガマ、ルークのみである。

 彼らがダグウッド中枢であるのは衆目の知るところであり、幹部が所帯を持つことは、外交的な意味合いからも、次世代以降、辺境伯爵家を輔弼する人材を確保する意味からも、むしろ義務であったのだが、最初から夫婦だった辺境伯爵家以外は、最若年のカイを除けば誰もこの義務を果たしていない。

 マーカンドルフとルークはやむを得ない。寿命の長さを思えば、気軽に所帯を持ちたくないという思いも、フェリックスには理解できなくもない。

 だがガマは、そうではないのだから、政略的にも、当人の幸福から言っても、所帯をもってしかるべきだとフェリックスは考えていた。


 だが、ガマの拒絶もかたくなだった。

 ガマは確かに風貌で言えば、整っているとは言えない。だが当人が卑下しまくるほど醜いとは誰も思っていない。特に年齢を重ねてからは、人柄が顔ににじみ出るようになっていて、女の誰もが顔で男を選ぶというわけでもなし、ガマを慕う女だっていたのだが、ガマは聞く耳を持たなかった。

 ガマは長年奉公した商会で、風貌のせいで跡継ぎから漏れたということもあって、トラウマになっているのは仕方がないことではあったが、今は大領たるダグウッドの家臣序列第2位なのである。ダグウッド市民70万の中で、辺境伯爵家を除けば、ガマよりも上の立場の人間はマーカンドルフしかいないのだ。

 そのマーカンドルフも、縁の下の力持ちに徹して功績を誇ることのないガマを高く評価していて、マーカンドルフはあれで下の者には結構あたりがきついので、公の場で敬意を示す相手のダグウッド辺境伯爵家臣と言えば、ガマ相手のみである。ルークにも基本上から目線で指示をしているのだが、ガマに対してのみはわりあい恭しい態度だった。

 そのマーカンドルフが「容貌のことは考えすぎ」といくら諭しても、ガマはコンプレックスを手放そうとしなかった。最終的にはマダム・ローレイが「当人が望んでもいないことを周囲が強制するはおよしなさい」と預かって、ガマのことは放置することになったのである。

 マダム・ローレイは、フェリックスとアビーに向かって「要らない善意はいい迷惑」と言ったのだが、彼女が諭して末っ子たちに言うには、


「コンプレックスでも妄想でも、それと一緒に何十年とガマは一緒に生きてきたのだから、それはもうガマの一部。あの年齢になれば今更人格を変えたくない、いじられたくないと思うのは当然でしょう?」


 と言うことだった。

 そういう考え方もあるのか、とフェリックスは啓蒙される思いを抱いたのだが。

 ともあれ、そう言う事情で、ガマは独身であり、勲功騎士爵としての彼の家、シルヴァーシュタイン家は一代で絶える見込みである。


 ガマは妻は要らなかったが、子供好きではあった。

 ガマ商会で子供相手に駄菓子を売っていた頃から、ガマになついていた多くの元子供たちが、子供が生まれればガマに見せに来る。ガマに名付けられた子も多い。そういうわけで結構、普段は子供に囲まれている。

 ガマが一番気にかけている子と言えば、それはもちろん辺境伯爵家の一粒種、マクシミリアンである。

 ガマはダグウッド家の最高幹部であるが、いち早く従業員を育てて、自分の代わりになる人材にどんどん仕事を振っていたので、ダグウッドが大領地になる過程では、一番時間の融通がしやすい立場にあった。

 フェリックスが財閥の仕事で、アビーが辺境伯爵家の経営のために多忙である中、マックスはガマに一番慣れ親しんでいたといっていい。


「もうやだー。アイス食べたいー」


 マックスが執務机に坐って、天板の上に上半身をだらりと横たえていた。


「ほら、あと少しでっせ。振り分けは終わってますさかい、サインだけをしたらええようにしてあるんやさかい」


 最高幹部のいずれもがダグウッド不在である以上、日々、山ほど沸き起こる諸事を差配できるのはガマしかいなかった。別にガマが辺境伯爵代行として署名してもいいのだが、マックスも十一歳、署名代行くらいは出来るようにならないと、辺境伯爵家嫡子としての沽券にかかわる。


「どうせ、中身なんて読んでないんだからさー、署名も誰かにやらせてよ」

「中身を読んで取捨選択してもええのでっせ。署名だけが嫌やったらそうしまひょか?」

「うう、ガマのいじわるー。アイスがないともう動けない。アイス! アイス! アイス! アイス!」


 マーカンドルフ相手だったらマックスもこんな我儘は言わない。言っても無駄だからだ。誰がチョロい相手なのかはきちんと判別している。チョロ筆頭はフェリックスであり、その次がガマだった。

 この世界には冷却器、冷凍装置はないのだが、何しろ辺境伯爵夫人が水神である。内々で氷を作るなど、おちゃのこさいさいである。ダグウッド城の中には巨大な氷室があり、氷を利用してアイスクリームも作られているし、夏には、応接室や寝室には冷風が送り込まれるようになっている。

 別にガマは、アイスくらい出してもいいのだが、マーカンドルフとアビーが前線に出て以来、マックスのアイス消費量は5倍になっている。

 食べ過ぎればお腹を壊すし、アイスはマックスをコントロールするための重要なアメなので、無暗に与えないよう、ガマはマーカンドルフから厳命されている。マーカンドルフは戻ってくれば必ず減った量を確認する。

 細部までぬかりのない執事なのだ。

 すでにガマはマーカンドルフから叱責をうけるのを覚悟しているが、もはやこれ以上は辺境伯爵家への忠誠がうたがわれるレベルになってしまう。


 ガマは悲し気に押し黙って、マックスを見つめる。


「うっ!」


 ガマはくどくどは言わないのである。マックスの我儘がどうしようもない時は、悲しく見つめるだけである。


「むぅ、分かったよ! 署名すればいいんだろ! ガマにそんな顔されたら逆らえないって知っている癖に!」

「ぼんは良い子ですなー。仕事が終わったらアイスをお出ししまひょ」

「ほんとに!? 約束だよっ!」


 マックスは椅子に座ったまま、喜びの舞を踊った。

 その時。


 西から放たれた魔導の帯が幾筋も空を覆った。


「!」


 マックスは飛び上がって、執務室のフランス窓を開いて、バルコニーに走って出た。ガマもすぐにそれを追い、空を見上げた。


「あれは…なんやろうか」

「ダグウッドに落ちるかも!」


 その瞬間、マックスの身体から膨大な魔力量があふれ出た。


「ぼん!」

「黙って見てて…おねがい」


 マックスから放たれた光はやがて薄く空を覆った。マックスはバリアを張ったのである。それもダグウッド全域に。


「何を、何をしてはるんや?」


 魔法のことは、ガマには知らされていなかった。魔法使いではない者に言ったところでしようがないからである。

 コトを構成する要素として、フェリックスとアビー、それにマーカンドルフの魔力のことは知っておかなければ正しい戦略もたてられないので、フェリックスとアビーが魔法使いであることはガマも知っていた。

 だがマックスのことは。

 フェリックスたちがガマにさえ言うのを躊躇うほど、マックスは規格外だったのだ。それこそ、人類のためを思えばこの危険な存在を潰してしまわなければならないと身内の者でさえ思いかねないほどに。


「…違う」


 ふいにマックスがつぶやいた。


「何が? 何をいうてはります?」

「あれは…ダグウッドを狙ってない。狙っているのは、もっと東!」


 マックスはバリアを解除して、おもむろに空へ向けて攻撃魔法を放った。それを受けて魔導弾がはじかれて消滅してゆく。しかし魔導弾の数も多かった。

 百、二百、三百。

 果てしないモグラ叩きのように、マックスも攻撃魔法を放ってゆく。


 ふと、気づいたガマは、部屋の外へ飛び出し、衛兵たちに、この執務室のバルコニーが見られること無いよう指示した。


「…見たと思われる者をいかがしますか?」

「拘束しなはれ。逆らうようなら殺してもええ」


 温厚なガマが一瞬の躊躇いもなくそう言ったことに緊張が走り、衛兵たちは敬礼をしてただちに迅速に行動を開始した。


 時間にすれば10分弱であったのだが。

 あらかたを掃討し終えた時、魔力切れで崩れ落ちるマックスの姿があった。


「ぼん!」

「…偉かったよね、僕。アイス、3個食べていいよね?」

「…2個にしなはれ…」


 マックスはこの世の終わりのような絶望的な表情を浮かべた。

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