第60話 粛清の嵐

 ヴァーゲンザイル城の応接室には、立ったままの人が座る場所もなく、もう数時間も放置されていて、


「我々を誰だと思ってるんだ!」


 と言う怒りの声が起きていた。それに対して、ヴァーゲンザイル領軍の騎士が、


「趨勢が明らかになった今頃になってのこのこ尻尾を振って来た間抜けな南部諸侯だと思っていますが、それが何か?」


 と返答すると、たかだか一騎士から面罵された南部諸侯らは衝撃で二の句も告げず、肩を震わせながらうつむくだけであった。


 北東部・東部諸侯の結束は固い。友誼ゆえに固いのではなく、生存のために固い。それだけに結束は強固だった。

 今はこのカルテルから、受益者を極力減らそうとしている段階である。

 今頃になってのこのこすり寄って来た南部諸侯に吸わせる蜜などない。

 とは言え、過半数を制するためには南部諸侯も必要だった。

 いざとなれば斬り捨てても構わないとは言え、より穏便に覇権を掌握しようと思えば、諸侯のかずだけは確保しておきたい。

 南部諸侯の価値はその程度のものだった。

 大人しく這いつくばって、一兵卒になっていれば命だけは助けてやろうと言うのに、いい気になるようならこうして思い知らされるだけなのだ。


 南部諸侯の領軍も同盟軍に編成され、盾役と言えば聞こえはいいが、要は一番損傷の激しい場所に配されている。死者が出るのであれば、南部に引き受けてもらおうという露骨な冷遇である。


 それでも南部諸侯はまだましだろう。発言権などゼロに削られ、領地も領民も満身創痍になったとしても、生き延びることは出来る。


 北部諸侯は基本、総入れ替えである。

 エレオノール内親王は北部民衆に布告を出し、反逆者である北部諸侯を領民が自ら始末をつければ、領民の責は問わない、同盟が必ず保護することを約束した。

 これによって北部諸侯の大部分は、極めて悲惨な結末を迎えることになった。


 北部の雄のひとつ、クレマンソー公爵家では、公爵当人が反乱領民によってその首が槍の穂先につけられて、見せしめにされたばかりでなく、領軍もまた叛旗を翻し、夫人と令嬢たちは自らの護衛たちによって、レイプされ、暴行を受け、火炙りにされている。

 北部では強姦されなかった貴族の女はひとりもおらず、暴力と報復の饗宴は、ダグウッド家軍務総監のルーク・ベルンシュタインが、正統政府軍将軍の資格で以て、兵を率いて駐屯するまで続いた。


「同じボーデンブルク人同士、殺しあっていては王国の将来に禍根を残す」


 とする声もあって、フェリックスはその派を率いて同盟首脳に働きかけていたのだが、同盟首脳の反応は鈍かった。アンドレイとキシリアを含めて、である。


「フェリックスはあれでいい」


 末弟の憤る姿を見て、アンドレイはキシリアにそう話していた。


「そうね、これは年長者の務めだもの」


 死が無ければ生も無いのだ。

 新しいものが生まれるためには破壊が必要なのであって、フェリックスも同じことをやってきたはずなのである。

 ただ、舞台が経済から軍事・政治に代わるだけで、結果はこれだけ血なまぐさいものになったのだが。

 人には向き不向きがあるのである。

 これはアンドレイとキシリアの仕事であって、彼らはフェリックスに出来るとも思っていないし、出来て欲しいとも思っていない。

 北部諸侯を粛清することで新体制の地ならしをしておく。

 更に言えば、北部領民に、領主殺しの実績を積ませて、共犯とし、後戻り出来ないように追い込む。

 北部の次は西部だが、相次ぐ戦争で戦場になった西部では、そこまで苛烈なことをしなくてもいいかも知れない。だが、北部ではやっておかなければならない。


 貴族は国家民衆のために存在しているのであって、国家民衆が貴族のために存在しているわけではない。

 ケイド親王は民衆を害したから、アンドレイたちは叛旗を翻した。

 だが他地方の貴族の命運など、彼らにはどうでもいいのだ。責任者は責任をとるためにいるのだ。

 そして今こそ責任をとってもらうべき時、というだけの話だった。

 領地経営を誤れば真っ先に責任を取って貴族が処刑されるのは、アンドレイたちには口にするまでもない当たり前のことであった。

 

 弑逆軍は最後の抵抗をするために、中央に兵を集めていた。

 この時点でボーデンブルクの領域が一応は、北部、西部、中央部を擁するケイド親王、北東部、東部、南部を擁する同盟軍と二分されているように見えても、実際には北東部はダグウッドを含んでいる。ダグウッドだけで生産力では、北部と西部を合わせたくらいにはあるのだから、北部、西部も蹂躙されつつある状況では、既に雌雄を決した、と言うべきであった。

 ケイド親王にはもはや大義もなければ忠誠もなく、兵もなければ、権威もない。


 ザイール城に隣接する王都においても、ついに民衆蜂起が起きた。

 ケイド親王の兵たちは雲霞のような勢いの民衆たちに手も足も出ず、呑み込まれるようにしてリンチされていった。

 押し寄せる民衆蜂起の声を聞きながら、カイは妻のセオリナに、落ち延びるように告げた。どこへ? ダグウッドへは戻れない。

 説得に手間取るかとも思ったカイだったが、セオリナはただちにうなづくと、簡単な荷づくりを始めた。


「あなたは来ないのね?」


 セオリナは確認した。


「どうも蜂起兵たちはわざわざここを目指しているようだよ。プファルツェンベルヒ侯爵と何度も一緒の姿を公に見せていて、親しく歓談していた僕をご所望のようだ。なにしろ僕はダグウッドの裏切り者だからね。お客人は僕がもてなさないとご納得いただけないだろう」

「そう?」

「どこへ行くのか聞いてもいいかい?」

「ガローシュへ行くわ。ボーデンブルクにはいられないのだから」


 カイの目をはばかることもなく、セオリナは粗末な村娘の衣服に着替えた。ダグウッド村民だった時に、着ていた服である。


「金貨が何十枚か縫い込んであるの。ガローシュではダグウッド銀行券は使えないでしょうから」

「手荷物はそれだけ?」

「ええ、大事なのはこれだけよ。私が書いた数学の教科書の原稿。それ以外は全部、私の体の中に大事なものはあるわ。知識も、思い出も」

「じゃあ、元気で」

「ええ。最後に名前をふたつちょうだい。男の子の名前と女の子の名前」

「…?!」


 細い腹をさすりながら、セオリナは言う。


「…この子を、いつかカイ・テオフィロスに並ぶ者に育てて見せるわ」

「ありがとう…セオリナ。男だったら、フェリックス、女だったらフェリシア。いい名前だろう?」


 セオリナはカイに抱きついた後、汚い鞄を手に持って、振り向くこともなくそのまま大邸宅を後にした。


「さて、お客人のご到着までは10分はかからないかな」


 カイは、ダグウッド産のきつい蒸留酒を胃の中に流し込んだ。

 

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