第59話 女王の決断

 戦況は五分に戻せた。それもこちらが勝ったうえでの状況である。

 勝敗は時の運とは言え、同盟本部があるヴァーゲンザイルでも、弛緩したとまでは言わないまでも、町全体に安堵が広がっているのは確かだった。


 ヴァーゲンザイル一族のうち、この町に現在いるのは4名。

 同盟議長たるアンドレイと副議長の任にあるキシリア・ギュラー、そして、即応的なロジスティックスを担当するために、フェリックスもダグウッドには戻らず、ヴァーゲンザイル城内の、子供時分のかつての自室に滞在している。

 ロレックスはエレオノール内親王の側近として、常にその側近くにあった。


 逆に言えば他の面々はこの場にはいない。

 アビーは内内ながら一魔法使いとして従軍していたし(アンドレイたちには、財閥関係の業務を仕切るためにダグウッドにいると思われていたが)、マックスは辺境伯爵家嫡子として、代理統治の任にある。

 ヴァーゲンザイル辺境伯爵夫人ザラフィアとギュラー辺境伯爵コンラートは武の人なので、それぞれの領軍を率いて前線にあった。

 ギュラー家嫡子のエルキュールは、ギュラー辺境伯爵領の統治を任されていて、その双子の妹のジュノーは、母のメッセンジャーとして同盟諸侯の間を飛び回っている。

 セイラムは既にヒューゲンロック家の人で、ダグウッドにおいてヒューゲンロック家を守っている。セイラムの夫のイアンは、ヒューゲンロック・オークショナリーの事実上の社長としての任があると同時に、各方面に人材を供出した結果、手薄になったダグウッド財閥を補佐するために、各社の役員に就任して、若いながらその手腕を振るっていた。

 順調に成長すれば、フェリックスは、辺境伯爵家は当然、マックスが継ぐとして、財閥はイアン・ヒューゲンロックに委ねてもいいかとも思うようになっていた。両組織がきっちり分離すれば、今回、フェリックスとカイが分かれたようなことはしないで済むようになるかも知れないのだから。


「お姫様は、レドモンド公爵にご執心のようね」


 アンドレイとフェリックス、両従兄弟と共にするビジネスランチの席で、キシリアはそう言った。


「レドモンド公に?」


 二人にどういう接点があったのだろうと思いながら、フェリックスがそう尋ねた。


「既に勝ったおつもりのようだ。さすがはケイド親王の娘というところか」


 アンドレイは、ステーキを切り分けながら鼻を鳴らした。

 フェリックスに説明するように、キシリアは言葉を続ける。


「このままではお姫様はただのお飾り。戦後を見据えて主導権をとりにきたってことよね」

「同盟諸侯の中核はヴァーゲンザイル・ギュラー・ダグウッドの連合だ。ケイド親王が弱体化すれば、我々を疎ましく思う連中が一気に元気づく。レドモンド公爵や、ブランデンブルク公爵、ベイベル辺境伯爵もそうであろうな」

「エレオノール様ご自身には何の力も無くても、私たちとレドモンド公爵あたりを争わせれば、主導権を握る機会も増えるというものだわ」

「まあ、定石どおりだな」

「この程度のことも画策できないようじゃ、帽子の役にすら立たないけど」


 それでもうるさいコバエよね、と言うように、キシリアはため息をついた。


「あの、兄さん、義姉さんたちは、戦後、ボーデンブルク王国をどうするおつもりでしょうか。例えば他の王族が生存していれば」

「それはどうかしら。ロマリエス親王ならば、まず生きている見込みはないわね」

「生きているとしても、ご療養いただくことになるだろうな。王族の不始末がこれだけの大乱を引き起こしたのだ。なんら軍功が無い者がしゃしゃりでて、いまさらまとまるはずもない」

「では、エレオノール内親王が即位する、と考えておいていいのですね?」


 アンドレイは頷く。


「エレオノール内親王が旗頭を務めたのは事実。また、同盟によって擁立されている以上、同盟諸侯の権益を保護する立場にある。我々にとって使い出がある駒なのは間違いない」

「大人しく駒でいてくれればいいのだけど」

「許容範囲の範疇ならば、ダンスを踊るのも目をつぶるさ」

「うっかりしていたら、そのダンスの相手が誰かになってしまうかも知れないわよ?」

「それは ― どちらの意味なのかな?」

「あなたは、ロレックスがお相手になることを望んでいるの? そうではないの? ロレックス以外の者がお相手になることを許容できるの?」

「ヴァーゲンザイル家は中央とは距離をとってきた。今後も、中央と不必要に強く結びついて得られる利益が大きいとも思えんな」

「王国宰相に ― なるつもりはないということ?」

「君はどうだい? 女王に女性宰相、面白い組み合わせではあるが」

「中央に力を注ぎ過ぎれば、ギュラー家は滅びるわ」

「ならばヴァーゲンザイル家も同じ考えだ。貧乏くじはレドモンド公爵あたりが喜んでひいてくれるだろう」

「西部北部諸侯は総入れ替えになるわね」

「論功行賞は他家にくれてやれ。あんなところに関わってはいいことはない。持ち出しが増えるだけだ。頭数が足りないならば宮中貴族たちを領主貴族に鞍替えさせるのも手だ」

「宮中貴族も無力だったのに?」

「最初から無力だったのだから責任もないさ。エレオノール女王は手駒としてそうしたがるだろうな。そういうご希望ならそうさせてやればいい」

「無欲なことね。でも公爵になるくらいのことは引き受けなければならないわよ。さすがに私たちが何も引き受けないというわけには」

「うちもですか?」

「ダグウッド家が引き受けないでどうするのよ。功績第一よ。ダグウッド家が公爵にならなかったら他家も論功行賞を受けられないわ。恨まれるわよ」


 フェリックスはため息をついた。


「ロレックスのことだけど。放っておいていいの?」

「良い意味でエレオノール内親王が政治家であるのは判明したではないか。今後のことを考えれば彼女が採り得る合理的な選択肢はそう多くない。我が息子は、そう遠からずこっぴどく振られることになるだろうさ」

「可哀そうね。あんなに純情なのに」

「ヴァーゲンザイル辺境伯爵家を、いや、ヴァーゲンザイル公爵家を継ぐ者としてはいささか物足りないほどにな。ザラフィアの血筋だろうな」

「まあ、あなたに似なくて良かったじゃないの、性格的に」

「君のところも似たようなものだろうが。エルキュールはあれはコンラート寄りの性格だ」


 アンドレイもキシリアも、親としては後継者が自分に似なくて良かった、と思っているのだ。彼らはそれほど高く自分自身を評価しているわけではない。だが、領主としては、おのずと別の見解も持たなければならないのだった。


 アンドレイは、戦後体制においてリーダーシップを執ることを望んでいない。彼の主眼はあくまでヴァーゲンザイル領の保全と発展であって、ボーデンブルク王国の平穏は必要条件であって目的ではない。

 嫡子であるロレックスが必要以上にエレオノールに関わるのは迷惑至極。

 エレオノールの方も、自身に郎党がいないだけに、「諸侯から中立を守れる」というのは唯一の利点に近い。ロレックスと近くなり過ぎれば、みすみすその利点を手放すことになる。

 エレオノールが、ヴァーゲンザイル一族に近くなり過ぎれば、他の同盟諸侯はエレオノール以外の者を擁立にはかるかもしれない。エレオノールは女性であり、女王はこれまでボーデンブルク王国にいない以上、無理を承知でおしすすめなければならず、少なくとも同盟諸侯の支持は割れることなく確保しておきたい。


 そうなれば、結論は明らかだ。


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「なぜですか? 今、殿下が危ない前線に赴かれるなど」

「遅すぎたくらいです。これは私の戦いなのですよ。私が兵の前に姿を見せるのは当たり前です」


 エレオノールが前線の視察に向かうことに、ロレックスは反対していた。エレオノールの身を案じてくれてのことだとは分かってはいたが、エレオノールがイラッとしたのも事実だった。


(どうして、ヴァーゲンザイル辺境伯爵の嫡男がこの程度のことも分からないの? 今、少しでも貢献度を上げておくことが戦後の主導権争いで重要になるのは子供でも分かりそうなものだけど)


 元々、忘れ去られていた内親王である。女王になるなど夢にも思わなかった。だが、それが現実のものになりつつあるのであれば。

 女王になりたい。

 その思いがエレオノールの中で膨らんでいた。女王になって、良き女王と称賛されたい。歴史に名君として名を刻みたい。

 そうなれば、母を殺して生まれてきたこの命にも、生まれてくるだけの理由があったということになるだろう。

 エレオノールは一日寝れば、起きた時にはその分だけ、君主の自覚を強めつつあった。

 何もかもがどん底に思えた時に、寄り添ってくれた貴公子。

 この美青年への思いが枯れてしまったわけではないけれど。

 君主の部分が成長するにつれて、ロレックスへの思いが割合として縮小してゆくのは避けられないことであった。


「あなたはここに残るのです、ロレックス」

「え?」

「護衛の任を解きます。今までありがとうございました」

「私がいなければ他に誰が ― 」

「レドモンド公爵が要員を用意してくださっています。何もかもヴァーゲンザイル辺境伯爵に頼るのも心苦しかったのですもの、さすがにヴァーゲンザイル宗家のご嫡男を縛り付けてはおけませんわ」

「私は、縛り付けられているなど、そんな風に思ったことはありません。私はただ殿下のおそばにいたいだけなのです」


 それが迷惑だというのに、分からないの? と苛立たしい思いを隠して、エレオノールは悲し気に俯いた。ヴァーゲンザイル辺境伯爵家だって必要不可欠な手駒である。エレオノールとしてはロレックスの不興を決定的に買うわけにはいかない。


「ロレックス。あなたのことを生涯忘れることはありません。あなたはたったおひとりのかた。あなただけです。私には、生涯あなただけです」


 どうとでも解釈できる言い方をしながら、エレオノールはできるだけ綺麗にロレックスから離れようとしていた。


 エレオノールは、誰とも結婚する気がない。前例のない女王になるのだ。誰かと結婚して、もし息子が生まれれば、たとえ我が子といえども、王位を巡るライヴァルになるだろう。

 結婚してしまえば、夫が君主気取りですべてを差配しようとするかも知れない。

 エレオノールは君主として、誰であっても自分の地位を脅かしかねない者の存在を容認する気はさらさらないのだ。

 むろん、生涯独身を通せば、王国は後継者不在のため、エレオノールの死後、騒乱が起きるかもしれない。しかし自分が死んだ後のことはどうでもいいとまでは言わないが、優先順位が低いのは確かである。

 50年、60年と在位していれば、時が解決する問題でもある。


「今までありがとう、ロレックス。私は女王でなければならないのです。ヴァーゲンザイル家の嫡男のみを、偏愛するわけにはいきません」

「しかし ― 」

「おっしゃらないで。私の想いはあなただけが分かっていてくだされば、それだけで、私は幸せなのです。ありがとう。そして、さようなら」


 踵を返して歩き出すエレオノールの歩みには一切の迷いが無かった。

 ロレックスは、その後を追うことができなかった。 

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