第58話 逆進
続くドレフェンベルの戦いでは、同盟軍が辛勝し、別方面のクライスブルクの戦いでは、同盟軍が圧勝した。
ひとつには、弑逆軍の魔法使い部隊が機能しなかったからであり、逆に、ダグウッドがマーカンドルフを戦力として投入したからである。
ドレフェンベルでは、マーカンドルフの魔法の援護を受けて、同盟軍が包囲殲滅戦に持ち込むことに成功し、クライスブルクでは覆面の「水神」の魔法使いが同じ機能を担った。
言うまでもなく、水神は、アビー・ダグウッドである。
相次ぐ戦勝によって同盟軍は王国中央部に侵攻し、北部、南部にも別動隊が攪乱して南部諸侯の幾人かは同盟側に寝返るに至っていた。
「術式の完成はまだか」
「もうしばらくお待ちください」
戦況がおもわしくないにも関わらず、ザイール城のケイド親王はまったく焦ったそぶりはなかった。
「まったく、戦争など。王冠などどうでもよいが、勇者だけは引きずり出さねばならぬ」
「否が応でもそうなるかと」
プファルツェンベルヒ侯爵は、うやうやしく頷きながらそう言った。
「エレオノールが私を倒して女王になるというならそれで構わん。ボーデンブルク王国など、かりそめのものでしかない」
「国王陛下の崇高なお志は必ずや成就されましょう。勇者が何を思っているか分かりませんが、ダグウッドが危ういとなれば選択肢は他にありません」
「勇者は、やはりフェリックス・ヴァーゲンザイル・ダグウッドなのか?」
「かの者がわずか一代で成し遂げた変革の大きさを思えば ― まったく無関係とは考えられません。転生者であるのは間違いないでしょう。かの者が我々の理想に呼応しないとしても。生きるか死ぬかになれば、戦わざるを得ないでしょう。畢竟、勇者が起てばそれでいいのです」
ケイド親王は遠い過去を見つめるようにして、目を閉じた。
人間が家畜のように虐げられた時代。
人間を家畜のように扱って、たやすくその命を奪った支配者。
「魔族を滅ぼさぬ限り、人間に未来はない」
「広大な魔域の壁によって、我々はこの世界に囚われています。そのことを知らぬは囚人ばかりで」
「勇者が魔族を攻めないのであれば、魔族に勇者を攻めさせる。こればかりは我らが二千年の非願成就、失敗するわけにはいかんぞ?」
「この時のために王族、めぼしい貴族を確保してあります」
「ゾディアック王家には大して役に立つ者はいなかったがな」
ケイド親王は嘲笑しつつそう言い放った。
「アヴェラード王家はさすがに女系で継承された王家だ。近親婚の結果でもあろう、魔法使い因子を持つ者が多かった」
「ロマリエス親王は使いつぶしてしまいましたが」
「あれは能力が低かった。試しうちをさせるにはちょうどよかった」
「ダグウッド家のマーカンドルフ、かの者を使えればよかったのですが」
「フェリックス・ダグウッドが先に取り込んでしまったからな。忌々しい」
「勇者の補佐をさせると考えれば無駄ではなかったかと」
「あの男は知るまいな。我らが早くからあの男を見出し、王家から横槍が入るのを防いできたのが我々だと言うことを」
「その甲斐もあって、ボーデンブルク王国は発達しました。勇者の能力も証明されたかと。そして。勇者に守るものを背負わせたわけです。守るものがある以上、戦わざるを得ない。逆に言えば守るものがなければ戦いに追い込むのは困難だったでしょう」
ケイド親王も何もかも事前に分かっていたわけではない。ああでもない、こうでもない、と試行錯誤してきた結果が今である。
しかし、今の状況はそれほど悪いものではない。ケイド親王の本来の目的から言えば。
王権を掌握し、勇者召還を行うのが当初の目的であったが、勇者が既にこの世界に来ているのであれば、王権を維持する意味はない。
勇者がどこにいるのか分からないならばともかく、フェリックス・ダグウッドが関係している可能性は高く、フェリックスは当然、ダグウッドを守り抜く覚悟である。
ならばそのダグウッドを魔族との戦いの矢面に立たせればいいだけのことだ。
フェリックスが勇者であるならば、魔族との戦いに追い込みさえすれば、おのずと魔族を滅ぼすに至る。
この15年、ダグウッドは昇竜の勢いで上り調子だったが、新しいパラダイムに適応したのはダグウッドばかりではない。
ボーデンブルク王国の経済成長、それに伴う流動性の激化は、ケイド親王が名目をつけて権力を掌握するのに好都合だった。
かの者はゾディアック王家の当主であり、王太子なのである。黙っていても次の次には王位につく立場であり、ボーデンブルク王国が欲しいだけならば何をする必要もなかった。しかし停滞しきったボーデンブルク王国など、どうでもよかったのである。
新しい時代の潮流にいちはやく乗って、ケイド親王は権勢を拡大してきた。そういう意味ではフェリックスとケイド親王は同じ現象の表と裏である。フェリックスが原因であるならば、ケイド親王はその結果だったとも言えよう。
「ハヤトにはしてやられたが」
「あやつめの目的がなんであるのかは、未だ分からず」
「フェリックスはハヤトであるのだろうか」
出来ればそれを確認したいところだった。
フェリックス個人を戦場に引きずり出すことが出来ていれば。
フェリックスが勇者の力を使うのであれば。
いろいろなことが分かったはずである。
「だがそれも叶わぬようだ」
ひにくげにケイド親王は笑った。
既にケイド親王は切り札を切ってしまっていた。それでも同盟軍を瓦解させるには至らなかった。
「アンドレイ・ヴァーゲンザイルがいなければ。フェリックスがアンドレイの弟でなければ」
ケイド親王にとっての不幸は、アンドレイ・ヴァーゲンザイル、キシリア・ギュラーという政治謀略の天才が、フェリックス・ダグウッドと不可分の一族として結び付いていたことである。
領地の胆力に欠けるヴァーゲンザイル単独であれば、諸侯を結束させる力に欠けるダグウッドのみであれば、幾らでも崩しようがあったのだが、ヴァーゲンザイル一族の結束をついに崩すには至らなかった。
ケイド親王の力は徹底して恐怖の力である。
大義も無ければ名分もない。
そんなもののために戦っているわけではないので当たり前ではあるのだが、正義と言うのは飾りではない。正義を持たないケイド親王にとっては、一度の敗北は一度以上の敗北である。わずかに針が敵側に有利に動けば、49対51はたやすく0対100になる。
「エレオノール女王の下で、かの者がどういう国を作るのか見たくもあったが」
「陛下らしくもありません。我らの目的には些末なことです」
「そうであったな。術式の完成を急がせろ。あれはなんとしても発動させる。あれが発動せぬうちにザイール城が陥落してしまえば我らはまた二千年の時を無為にせねばならぬ」
「出来れば、ここで死にたいものですな、お互いに」
長い生は、彼らにとっては祝福ではなかった。
地獄へ行くことさえもままならない。
それは煉獄だった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます