第57話 黒の壁
モンテネグロ人たちは大規模な軍編成に慣れておらず、守るべき郷里も持たなかったからその必要も長い間無かった。ダグウッドの軍制にあって、モンテネグロ人のみが別枠扱いになっていたのは、その特質をいかさんがためである。
モンテネグロ人部隊は独立の遊軍扱いになっていて、冒険者集団であった。
「来たわね」
そう声を発したのはフレイアである。
「不動なる者たち」の面々は、今ここには彼女以外にはいない。アグネスとマルテイ、リューネは東方探索に出たままで、オルディナはダグウッド内政の要ともいえる植物研究所の任から離れるわけにはいかない。
夫もいる。子供も2人いる。義理の両親もいた。許諾をとったうえでとは言え、それらを残して前線に立っているのは、遊軍的な性格が強いモンテネグロ人部隊を率いられる、経験豊富な冒険者が不足していたからである。
誰に要請されるでもなく、フレイアは再び、自ら戦いの渦に身を投じた。
味方の大惨敗の報はすでに届いている。
しかしまだ同盟は戦えるし、戦わねばならない。
そのためには、今は再編の余裕を確保するために、敵の進軍を足止めしなければならない。
夜営で、疲れた体を休めている弑逆軍に、夜陰に乗じて接近したモンテネグロ人部隊が急襲した。
戦いとは、普通は線である。
退避ルートを確保した上での攻撃になるからおのずと線状になるわけであり、その線を切断することが戦闘の定石のひとつになる。
しかし、ここにいるモンテネグロ人部隊、550人は、いずれも生きて帰るつもりは無かった。ヒロイズムのために命を落とすのではない。それが効果的だからやるだけのことだ。
ブランデンブルク公爵の軍令部からも、ダグウッド軍務総監のルークからもそういう命令が下されたわけではなかった。すべては、フレイアを始めとする現場指揮官の判断である。
一対多数の戦いになれば、単に個人戦になれば、一般兵は熟練の冒険者の敵ではない。変幻自在の動きをする魔物と、互いに命のやりとりをする冒険者たちだ。しょせん、予想可能な人間の動きしかできない一般兵は翻弄されるしかない。
「雑兵には構わないで! 魔法使いをやるわよ! 可能なら生け捕りにしてサンプルを確保するわ!」
こうまで近づいてしまえば、魔法使いの遠距離攻撃も封じられる。
「簡単に死んでは駄目よ! 一人でも二人でも道連れにして死になさい! フェリックス様、ばんざい!」
剣を振るいながらフレイアがそう檄を飛ばすと、周囲のモンテネグロ人たちも、「フェリックス様、ばんざい!」と叫びながら狂戦士さながらに剣を振り下ろす。
弑逆軍の軍営は混乱に陥っていた。ただし、全体の状況から見ればしょせんは蠅にたかられた程度の損失であるのも事実ではあったのだが。
蠅は蠅なりに、ただでは死なないつもりのフレイアである。
「魔法使いたちはどこにいるの!? 言いなさい!」
一人の敵兵を捕らえて、刃先を突き付けながら、フレイアは言う。
震えながら、奥を指さしたその敵兵を切り捨て、フレイアは数人を引き連れて奥へと走った。
そのテントの中に入れば、くぐもったような呻き声が聞こえた。
シーツに丸まっているその一人の、シーツを剥がしてみれば、フレイアは驚いた。
痩せ細って、目だけがぎょろりと飛び出たガイコツのようなその男が震えていたのである。
「あう…あう…あああわああ」
何を言っているのか、言葉にもなっていなかった。見ればそんなものばかり、数名が震えていた。
「敵兵を捕らえて聞き出しました。この者たちが魔法使いであるようです」
副官のパーシヴァルがフレイアにそう言った。
「普通じゃないわ…何が行われているの…?」
そしてただちにパーシヴァルに向かって言った。
「作戦変更よ。あなたは、そうね、この男を連れてダグウッドに届けなさい。ルーク様やマーカンドルフ様なら何かわかるかも知れない。私たちはあなたに道を作るために、盾になるわ」
「フレイア様、それならば、私がここに残ります。フレイア様がこの者を連れて…」
「伊達や酔狂で言っているんじゃないわ! あなたには無理だから言ってるのよ! 私の判断に従いなさい!」
「はっ!」
「あう、あうああああああああ」
もっともマシそうな男を一人選んで、その者をパーシヴァルに委ねて、フレイアは退路を確保するために、雲霞のような敵兵に切りかかった。
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ダグウッド領軍モンテネグロ人部隊第1連隊の奮戦によって、弑逆軍の侵攻は足止めされた。それはたった2日程度のことではあったのだが、この2日を稼げたことによって、同盟軍は態勢を立て直すことが出来たのだった。
この作戦に関わった者のうち、生還者は22名。
その中にフレイアの名は含まれていなかった。
パーシヴァルは捕虜を連れて、ヴァーゲンザイルの同盟本部へと帰着した。数少ない生還者の一人である。
そこでフェリックス・ダグウッドと面会し、この無謀な作戦を独断で行ったことについて激昂するフェリックスの怒りを、たった一人で引き受けることになる。
マーカンドルフは急遽呼び寄せられて、ルークともども捕虜の面談を行ったのだが、残念なことに詳しいことは分からなかった。
ただ、その捕虜を、アンドレイとキシリアが確認のために見た際に、新事実が判明した。
その男は、副王太子、アヴェラード王家のロマリエス親王だったのである。
しかしそれも、その直後に捕虜が衰弱死したため、どういう事情であるのかはまったく分からなかった。
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