第56話 主に愛されし者

 ダグウッド辺境伯爵家冢宰になってからも、カイ・テオフィロスは、ダグウッド銀行の名誉頭取であった。組織上はダグウッド銀行のCEO(最高経営責任者)である。そして、フェリックスは、ダグウッド銀行以外の、自分が保有する株券を、ダグウッド銀行に所有を移し、ダグウッド銀行に事実上、持株会社としての機能も負わせていた。

 カイ・テオフィロスが、ダグウッド銀行最高経営責任者の地位から株主会で解任されない限り、法制度上、ダグウッド財閥総帥は実はフェリックスではなくカイ・テオフィロスである。


 フェリックス・ダグウッドは天才と言われている。しかし謙遜でも何でもなく、事実としてフェリックスは自分が天才ではないことを知っていた。ただ単に、前世知識を持っていただけだ。

 本当の天才と言えるような人々を、フェリックスはこの世界で見てきた。フェリックスの兄のアンドレイ、義姉のキシリア、マーカンドルフ、ガマ、ルーク、ヴァンダービル。フェリックスに、単に知識だけではない、本当に才覚があったとすれば、それは才ある人を使う才であったかも知れない。

 基本的に大枠の知識はあっても細かいところは分からないから道筋を付けた後は丸投げで、経済成長が様々な矛盾を覆い隠してくれた。運が良かったのも確かだが、才能ある人たちが頼りないフェリックスを支えてくれればこそである。


 フェリックスから見て天才中の天才と言えるのは、カイだった。ただの村の少年だった。しかし教えてみれば、底なし沼のように知識を吸収していった。それだけではない、教えられた知識をもとにして、自分で新たな知識を開拓していったのである。微積分は教えられるよりも先に、カイが自力で「再発見」している。少なくとも、ニュートン、ライプニッツ級の天才だということだ。

 カイはそこから先も、これはこうなのでは? こういう理論が導き出されるのでは? と自力で先に進んでいったが、「すいません、もう能力的に僕では付いていけません」とフェリックスが先にギヴアップをするはめになった。

 その才能ぶりから、姓を与える際に、フェリックスは、アマデウスをもじって、テオフィロス、とした。意味は同じで、神に愛されし者、という意味である。

 カイはその姓を非常に誇りに思った。

 彼にとって、神とは、フェリックス・ダグウッドだったからである。


 ファンケル荘は、開戦以来、「ボーデンブルク王国政府」に接収されたままである。ダグウッド辺境伯爵家の個人資産であるからだ。

 カイは、ダグウッド銀行が貸し倒れ担保として王都に幾つか所有している邸宅のひとつに、王都ダグウッド銀行の総帥として入った。

 戒厳令と戦争の影響で、王都でも物資の供給が滞る中、流通、物流を財閥傘下に持つダグウッド銀行では、行員たちに十分な物資を与えている。テオフィロス邸にも物資が溢れていて、カイは客人を山海の珍味でもてなしていた。


「摂政殿下への忠誠の証として、500億デュカートを用立てて貰いたい」

「1000億用意しましょう」

「ほお」


 プファルツェンベルヒ侯爵は極上の葡萄酒を流し込みながら、さすがに驚いた表情を浮かべた。


「ダグウッド卿は ― いや、フェリックス・ダグウッドは承知の上か? ダグウッドでは敵意満々の演説を行ったと聞く。卿が勝手な真似をしても構わぬのか?」

「私は正規の手順を踏んで、最高経営責任者の地位にあります。私が彼に従うべきではなく彼が私に従うべきです。ダグウッド銀行はダグウッド辺境伯爵家の私物ではなく、ダグウッド財閥もまた同じです」

「卿は、主人を裏切ると?」

主人です。王国政府に反逆した以上、今はかの者は一介の犯罪者に過ぎません。商人としては、勝つ方につくのは当たり前のことでございましょう? ケーニヒスベルクでの戦いでも大勝なさったとか」

「まあ、それなりに苦労も無理もしたのだがな。卿が本当に我らにつくというのであれば、もっと機能的に協力してくれているはずなのだがな。鉄道が協力して更なる兵力を送り込んでいたならば、こちらも無理をさせる必要は無かったのだが」

「鉄道は十分に協力していますが、すでに幹部や技術者たちがダグウッドへ逃れた後です。現場だけでは出来ることも限られましょう。どうかその辺りの事情をご斟酌ください。その代わり王都ダグウッド銀行はその全力をかけて、王国政府を金融面でお支えするつもりです」

「見返りは? 何を期待している? ダグウッド家の者たちの助命は受け入れられんぞ」

「さようなものは望みません。むしろ、生きて貰っていては邪魔なのはお分かりでしょう? ダグウッド銀行の存続と独立、それさえお約束いただければ、摂政殿下に絶対の忠誠をお誓いしましょう」

「さて…安請け合いは出来ぬが、我々に運営の知識と経験が無いのも事実」

「おそらく根本的に銀行経営を理解している人間は、この世界でただふたりのみです。私と、フェリックス・ダグウッド、それだけです」

「なるほど。そういう意図か。これはフェリックス・ダグウッドの策であるのだな」

「私が彼の利益のために動いているわけではありません。むしろ彼の利益に反するように動くのが私の任とご理解ください」

「フェリックス・ダグウッドにとって最重要なのは辺境伯爵家でもなければ辺境伯爵領でもなく、ダグウッド銀行、ということか。さてさて。かの名演説で魂を揺さぶられて喜び勇んで死地に赴くダグウッド兵も気の毒なことだ。騙されているとも知らず。素直に摂政殿下の下についておけば相応の地位を与えられたであろうに」

「貴族の限界でしょう。ただの商人であれば最合理の道を選べたはずですが」

「その最合理の道を、卿を切り離すことによって、卿に、もうひとりのフェリックス・ダグウッドに委ねた、ということか」

「閣下のご慧眼に敬意を表します。さような次第で、私ども、王都ダグウッド銀行が摂政殿下を裏切ることはありません。戦争遂行でもむろんですが、むしろ復興でお役に立てるかと存じます」

「摂政殿下には口添えしておこう。上手くいくかどうかはダグウッド銀行の働き次第であるがな」

「痛み入ります。プファルツェンベルヒ侯爵閣下にはお礼の品を。ザイール城のお屋敷の方に送らせていただいています」

「まあ、そんなもので動くことはしないが。あって邪魔になるものではないからな」


 一家総出で、プファルツェンベルヒ侯爵の馬車を見送った後、カイははるか東の空を見つめた。

 遠い星の下には、生きる意味を与えてくれたあの人がいるはずだった。

 おそらくは二度と会うことがない人。

 彼が生き延びればカイが死に、カイが生き延びれば彼が死ぬ。


 フェリックスがケイド親王派にとって反逆者であるように、ケイド親王に協力するカイは、同盟にとって裏切者の反逆者になる。

 財閥はその間でまた裂き状態になる。

 どちらが勝とうとも、敗れた側は財閥を守るために、すべての責任を負って自決しなければならない。

 そしてそのどちらが死のうとも、どちらかが生き残る。

 フェリックスとカイ、どちらかが生き残ることこそが、最重要ミッションであった。

 フェリックスがカイに与えた最後の命令は、そのように過酷なものだった。


「ねえ、カイ。数学の教科書を作ったの。見てくださるかしら」


 カイの妻のセオリナも、ダグウッド村の旧村民、フェリックスが手塩にかけて育成した人材だった。

 フェリックス・ダグウッドが滅びても、彼がなしたことは残る。いや、絶対に残さねばならない。ダグウッドが滅びれば、教育の義務化もボーデンブルク王国にあっては頓挫するだろう。

 またゼロからやり直さなければならない。セオリナはゼロからやり直す時のために、教科書を執筆している。


「ああ、寝る前に読ませてもらうよ。寝物語が恋の話ではないのは無粋だけどね」

「でも、それがあなたらしいでしょう?」


 セオリナはわざと意地悪げに笑った。



 

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