第54話 ヴァーゲンザイル会議
ヴァーゲンザイルは同盟の事実上の首府だから、何度となく諸侯会議がそこで開かれてきたのだが、ただ単にヴァーゲンザイル会議といえば、開戦後最初の諸侯会議を指す。
あらかじめ実務レベルでの協議で決まっていたのは以下の事項である。
・エレオノール内親王を領袖に頂き、彼女を臨時君主とし、王代殿下と呼称する。
・味方側を同盟軍と呼称し、敵側を弑逆軍と呼称する(ケイド親王側では自軍は王国軍であり、敵側は反乱軍であった)。
・ヴァーゲンザイルに作戦本部を置く。
・ヴァーゲンザイル辺境伯爵を同盟議長とする。
・各領主の軍事自治権はこの戦争中作戦本部に預けられる。
・同盟軍においてはケイド・ゾディアックの王族資格を停止し、平民扱いとする。
この会議には基本、当主のみが出席していた。
ヴァーゲンザイル家からはアンドレイ、ギュラー家からはキシリアである。ダグウッド家からは無論、フェリックスが出席していた。
ここ数日、アグネス隊からの連絡が絶え、気を揉んでいたフェリックスだったが、それだけに関わっているだけにはいかない。捜索隊を派遣するにしてももうしばらくは様子見しなければならない。
エレオノール内親王が遅れて入室し、諸侯は王代殿下を起立して迎え入れた。ケイド親王から付けられていた護衛たちは既に拘禁してある。新たに護衛がつけられたのだが、この時は、傍らにあるのはロレックスであった。
エレオノールの指示で、諸侯が着座した後、当主しか列席を許されないこの場からロレックスが立ち去ろうとしないので、アンドレイが叱責しようとしたところ、エレオノールがそれを制した。
「よいのです。事後報告で申し訳ありませんが、ロレックスには私の側近として、護衛の任についてもらっています。ヴァーゲンザイル家の嫡男を良いように使って申し訳ありませんが、私を担ぎ上げようと言うのですから、この程度のことは許容範囲ですよね?」
「…むむ、殿下がそうお望みであらせられるのであれば」
これに反応したのはアンドレイというよりはむしろ他の諸侯、例えばレドモンド公爵だった。あからさまに不愉快な表情を浮かべたが、まだ、諫言できるほどの信頼関係をエレオノールとの間に築いてはいない。アンドレイに見せつけるようにして不快げな表情を隠さない程度にとどめていた。
ボーデンブルク王国では女性君主は前例がない。しかし女系を通しての王位継承はあったし、他に王族がいなければ女王が擁立されるのも自然な流れだ。この内戦を勝利すればエレオノールにはその功績も生じる。他の王族が生きていたとしても、実績で以て、辞退に追い込むことは可能だろう。
内戦開始から勝利のその日まで、エレオノールの名において数々の勅命が下されるだろう。その合法性、継続性を担保するためには、エレオノールがこのまま即位するのが同盟諸侯にとって都合がいいのは確かである。
つまり、エレオノールがボーデンブルク王国女王となる可能性は非常に高いのであり、女王であれば、誰が王婿になるのか、誰が王権の実質を掌握するのかという問題が生じる。
諸侯の目には早速、ヴァーゲンザイル辺境伯爵家が嫡男を女王の婿とするよう画策しているように見えるはずだ。
これは同盟の結束のためにはマイナス要因でしかない。
ロレックスが果たしてそこまで理解しているのかどうか、アンドレイもキシリアも、厳しい視線でロレックスを睨みつけた。ロレックスは良い子と言うか、他人の嫌がることを別に注意したり躾けなくてもしたことがない。冗談交じりでも嫌味の一言さえ言ったことがないだろう。元々の性格が善良なのだ。アンドレイやキシリアの顔をしかめさせることなど、今まで一度もなかったのに、とフェリックスは困惑した。
フェリックスにとってはロレックスは可愛い、自慢の甥である。ヴァーゲンザイル家云々以前に、手ずからおしめを取り換えたこともある息子同然の存在だった。
雰囲気を変えるために、フェリックスは会議で第一声を発するという柄にもない役を果たさなければならなかった。
「ダグウッド辺境伯爵家では防衛部隊を含めて最大5万の動員を見込んでいます。うち、騎兵、魔導騎兵を中心に1万、ただちに展開可能ですが、これを前線に配備するかどうかは、会議の決定に委ねます」
おおっ、と言う抑えきれない喜びの声が沸き上がった。今現在はまだ両陣営とも様子見だが、いつ攻め込まれるとも限らない。前線の諸侯にとっては気が気ではない。
「待たれよ。ダグウッド卿の早速の供出、嬉しい限りだが、まずは意志決定機関の創設を決めねばならぬ」
副議長であるレドモンド公爵がそう声を発する。議長はアンドレイだが、二人の副議長は北東部からレドモンド公爵が、東部からはリュクサンブール公爵が務めていた。
最終的な意思決定機関は諸侯会議そのものだが、戦争遂行においてはより小回りの利く行政的な機関、戦時内閣が必要になる。
これについては、議長と副議長2名の他に、軍事的な知識と熱意に一長のあるベイベル辺境伯爵が軍務長官に、キシリア・ギュラーが外交諜報長官に、バーガンティ公爵が軍需長官に、ドレ辺境伯爵が財務長官に充てられることになった。
この7名が戦時内閣となり、基本、ヴァーゲンザイルに常駐するか、専用の通信魔道具を常時携帯することになる。これは比較的距離が短い場合用で、音声通話が可能になっている。フェリックスは、顕職を他諸侯に譲った形になった。
実績と負担から言えば、フェリックスが内閣に入るべきとの見方が当然あったので、敢えて入らないことで「譲った」と言う立場を強調することになった。
この戦時内閣に要求されれば要求された分だけの官僚たちを送り込み、それら官僚たちは一時的に諸侯家籍を抜けて、中央官僚扱いになる。
これは軍人たちについても同様だった。その比率は質量ともにダグウッド家の負担が第一であり、全体の3割4割を占めることになる。それでいて顕職を譲ったのだから、ヴァーゲンザイル一族の「専横」に良い顔をしない諸侯らの留飲も下がるというものだった。
この会議では引き続き、軍の編成についても進められ、ブランデンブルク公爵が自身が武人であるということもあって、「制服組」のトップである最高司令官・幕僚総長となり、その下において十六の軍団が編成されることになった。うち五軍団がダグウッドからの供出であり、各家によって軍制が異なることから、それぞれの家単位での軍団編成が基本になった。
軍団長らは各家の従士長らが充てられる。ルークは3名いる幕僚のうち、次席幕僚となり、ブランデンブルク公を補佐することになる。ここでは、顕職から身を引いたフェリックスへの代償として、次席の地位がルークに与えられたのだった。
ルークは実際には「両斧」だから実戦兵力として前線に押し出した方が使い出があるのかも知れなかったのだが、大規模な軍事行動で、指揮の経験が一番ある人物だちうのも事実で、なにしろダグウッドは絶え間なくフロンティアを切り開いていたのだから、魔物相手とは言え、未知の軍事的脅威への即応力は抜きんでている。
こうして指揮系統を固めたうえで、ダグウッドが供出した即時戦力はとりあえず前線に配置されることが決定された。
ここまでは、事務方の事前調整もあり、紛糾することもなく会議は粛々と進んだ。
紛糾したのは話が基本戦略方針の話になってからである。
前線の諸侯としては、自領を戦場に晒したくないのである。もし戦場になって、荒廃して、それで戦争に勝利したとしても内戦である。同じボーデンブルク王国貴族から賠償金をむしりとれるわけではない。
彼らは一様に積極策、つまりこちらから攻め込む、そしてこの場にいる諸侯にとっては他人の土地である中央部を戦場にすることを要求した。
逆に奥まった領地の領主たちは、兵の数に劣る側が積極策をとるのは下策、こちらの領地に引きずり込んで分断したうえで各個撃破するのが上策だと主張した。純軍事的にはその通りなのだが、もちろん敵を引きずり込めば、前線諸侯らの領地は敵軍に荒らされるわけで、どうかしたらケイド親王のやることである、住民が虐殺されかねない。他人の土地だから、理性口を叩けるのである。
この紛糾を収めたのはフェリックスだった。
列席者に資料を配布したのだが、その資料を見て諸侯は誰もが愕然となった。各領地の収入支出の見積もり、経済規模が事細かに示されていたからである。それに基づいて各領地ごとのGDPが算出されていた。
「これはダグウッド銀行調査部の内部資料です。内容にご不満の場合、後日お申し出になってください。しかしながら専門家が厳密に調査を行っておりますので、ダグウッド銀行はこの内容にはほぼ絶対の自信を持っています。
これは社外秘の資料でして、ダグウッド銀行役員のヴァーゲンザイル辺境伯爵にもお見せしたことはありません。歴代の頭取と私のみが把握している情報です」
「そのような貴重なものを公開してよろしいのかな?」
レドモンド公爵が食い入るように資料を見ながら、そう言った。
「公開するつもりはありません。どうぞこの場限りで、内密にお願いします。この資料が敵側に渡った場合の損失もご考慮お願いします」
経済の胆力は継戦能力につながる。第一級の軍事機密なのだ。渡された資料には、同盟領だけではなく、他地方についてもデータが示されていた。これは同盟側の一方的な優位である。
それに気づいた一部の諸侯からは、安堵とも感嘆ともつかぬ吐息が漏れた。経済規模においては同盟は弑逆軍に数倍している。
「歴代頭取と言うことは、カイ・テオフィロスは知っているのか?」
アンドレイの問いかけに、
「はい」
とフェリックスは頷いた。
「彼は王都に派遣されたということだが、彼を通して漏れる可能性は?」
「あり得ません。命を粗末にせぬようには言ってありますが、強要されれば自裁するでしょう。彼が、ダグウッドの旧村民のひとりであることをお忘れなく」
ダグウッド旧村民が、どれほどフェリックスを盲信しているか、北東部、東部では知らない者はいない。
「うむ。それで? この資料を出して何が言いたい?」
「議長閣下。戦費を含めて、あらかじめ復興費用を見越して戦時内閣で予算を一括管理することを提案します。この資料で示されたGDPに応じて、それぞれの諸侯家の予算の三割を戦時内閣予算として供出するのもひとつの手ですが、これは一見公平なように見えて小規模な領地には負担が重くなります。より大きな領地はより大きな負担を。累進課税と言いますが、それを導入するのが良いでしょう。ダグウッド市政においても段階的に導入していますので、やり方をお知りになりたい方々にはお教えします」
累進課税を導入した場合、負担が最も過重になるのはダグウッドだった。なにしろ、同盟地域のGDPの35%をダグウッドが占めているのである。人口が多いからというだけではなく、一人当たりで割っても圧倒的な一位だった。
諸侯もすごいすごいとは思ってはいたが、数字ではっきりと示されると圧倒されるような格差だった。
「その負担に加えて、更にその負担三年分と同額の資金供出をダグウッド辺境伯爵家は私的に行います。また、ダグウッド銀行社主として、復興費用に関しては無利子無制限に融資することをお約束します。
住民に避難が必要な場合は、個々の領主に任せるのではなく、戦時内閣の予算から費用は出されるべきです。避難民の受け入れについては、ダグウッドが無制限に引き受けます。住宅、当面の生活費も無償で提供します。無論のことながら、戦争が終われば避難民は各領地にお返しします。当人がダグウッドに残りたいと言ってもいったんはお返ししますので、その点はご安心を。
復興費用についても痛みは全員で分け合うべきです。特にダグウッドのように戦火から遠い場所の領地はより多くの負担を担うべきです。前線諸侯の方々のみに負担を押し付ける気はありません。むしろ、道路を整備し、橋もかけなおし、戦争前よりも儲けてもらうつもりです。
ダグウッドは、辺境伯爵家としても財閥としても、全面的に皆様を支援いたします」
その決意の重さ、大きさ、硬さに、この場に及んでも利を求めて角突き合わせている諸侯たちは圧倒された。
「ダグウッドが要求する代償は、勝利、ただそれだけです」
紛糾していた議場が嘘のように静まり返った。
「あの、場違いかもしれませんがひとつお聞きしてもよいでしょうか」
ライドック准男爵が声を上げた。
「はい、なんなりと」
「この資料ですが、図形が使われていて、分かりやすいですね。初めて見ましたが、これはいい。すぐに理解できました。ダグウッドではこういう文書を日常的に用いているのですか?」
「ええ、それはグラフと言って、それだけでなく、いろいろな計算上の技術も駆使しています。意思疎通を図るためにはこうした文書面での規格の統一も必要でしょう。当家学芸尚書のゼーフェルトが官僚教育を担当していますが、それぞれの家の官僚をダグウッドに送ってくださるならば特別研修プログラムを実施してもかまいません」
それを聞いて、我も我もと諸侯らはフェリックスにぜひお願いしたいと訴えた。副議長のレドモンド公爵、リュクサンブール公爵でさえ手を上げていた。そのレドモンド公爵もまた言葉を発した。
「本筋の話とずれるかもしれんが、ついでに伺わせてもらおう。見ればこの資料、すべて書面書体が一致しているようだな。これだけの部数、まさかこのためにわざわざ版木を彫らせたのか?」
「一部についてはそうです。文字部分については特殊な技術を用いています。詳細についてはまだ明かすことは出来ませんが」
「また、ダグウッド財閥は儲けの種を見つけた、ということか」
レドモンド公爵の言葉に、フェリックスは曖昧に笑って見せた。
「その技術、戦時内閣に提供してもらえないか? 情報の迅速な伝達のためには複数部数の印刷技術は是非欲しい」
アンドレイの要請に、フェリックスは考え込んだ。この世界には活版印刷はない。複数部数をする場合は版木を彫るのである。活版印刷が、医療技術の導入の比ではない、どれほど巨大な変革をもたらすのかフェリックスは理解していた。
やがては安価に書籍が供給されるようになり、そして、新聞が生まれる。ジャーナリズムの誕生と発達は、社会を一気に革命へと導くかも知れない。
貴族でありながら不徹底なことだが、フェリックスは、民主主義者であり共和主義者だった。いつか時代の流れとして、ボーデンブルクが共和国になり、貴族政治が廃されるならばそれで構わない。と言うかむしろ気質的にはそういう社会の方が暮らしやすいだろう。
しかし一方で歴史上の革命は数々の悲惨をもたらした。なるべくなら穏やかな形で、段階的に推移させたい。ボーデンブルク王国は今はまだどう見てもその段階ではない。
一、国家は先祖より子孫へ伝え候国家にして我私すべき物にはこれなく候
一、人民は国家に属したる人民にして我私すべき物にはこれなく候
一、国家人民のために立たる君にし君のために立たる国家人民にはこれなく候
上杉鷹山の伝国の辞である。フェリックスの中の人が非常に感銘を受けた文だった。まずはこの、愛民思想を領主たちに広めることから始めるべきだとフェリックスは考えている。
フェリックスが導入しているのは実際には活版印刷ではない。それはまだ、危険なので導入を避けていた。導入しているのは多重並行連打式のタイプライターである。これは1台のタイプライターが、50台のプリント機構に連結していて、最大50部を同時印刷できるというものだった。機構は複雑でおおがかりだが、原理は単純である。
「少し考えさせてください」
しかしフェリックスは即答しなかった。結局、ダグウッド関係者以外立ち入り禁止の棟で、ダグウッド関係者のみが清書入力するという形で、内容は提供したのだが技術供与自体は拒んだのだった。
とにかくもフェリックスの自己犠牲とも言える供与によって揉めながらも基本方針は決した。敵を引きずり込んでの持久戦、焦土作戦だった。
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