第52話 東方探索

 『不動なる者たち』は正式に解散したわけではなかったが、もう何年も活動停止状態にある。モンテネグロ人が安住の地を得たことで、彼女たちもそれぞれに別の人生が開けたからだった。

 フレイアは、ダグウッド村の旧村民と結婚していた。今は専業主婦で、夫や夫の両親にかいがいしく仕えている。フレイアの結婚は、インターレイシャルな結婚としては、実験的な試みだったので、フェリックスも結婚式に参列して、相手側に「フレイアをないがしろにするなよ~、上手くいくよう努力しろよ~」とプレッシャーを与えておいたのだが、そういう心配をするまでもなく仲睦まじい家族であり、フレイアに続いて異人種間の結婚も次第に増えてきている。

 オルディナは辺境伯爵家が創設したダグウッド植物研究所の所長となり、20名の研究員を従えている。管理職、なおかつこうした知的プロフェッショナルな仕事にモンテネグロ人、しかも女性が従事することはまだまだ少なく、オルディナもまたモデルケースであり、モンテネグロ人にとっては、希望の星である。


 エレオノール内親王が父に反旗を翻す、その一年半前から、フェリックスは東邦探索隊を魔域に送り込んでいた。26チームからなり、比較的近場に配されたチームの目的は、鉱物資源の発見、特に金の発見であった。主に火山帯を中心に派遣されていて、実際に2か所で、規模は分からないまでも金鉱石の掘り出しに成功していた。

 これは無論、ダグウッド銀行券を金に交換する騒動が起きた場合に備えるためである。全額面分の金を確保することなどどだい無理な話であったが、通貨不安に陥らないよう、出来るだけの手は打たなければならない。


 アグネス隊は、12名から成る。隊長はアグネスであり、リューネとマルテイがそれを補佐している。3名の測量技師、3名の動植物研究者、アグネスたちを含む6名の戦闘員から成り、これはひたすら東へ突き抜けて、地形調査をするのが目的である。

 もし、フェリックスがたてた仮説通り、この世界が地球のコピーであるのであれば、大陸や島嶼の位置に若干の違いはあるとはいえ、ある位置が地球ではどこに相当するのか、おおよそを掴むことは可能になる。それはつまり、原油や鉄鉱石、天然ガスなどの地下資源の在り処もおおよそ分かる、ということを意味する。

 アグネスは、フェリックスの親衛隊長を務めていたのだが、探索経験があり、隊をまとめあげる経験を考慮して、余人に代えがたしという判断で、再びこの過酷な任務にあたっていた。

 測量技師と動植物研究者も、ひととおり戦闘訓練は経ていて、それぞれに魔法使いが一人ずつ含まれていた。

 道など無い道である。

 低山でさえ、遭難することもあり、遭難すれば死ぬこともあると言うのに、道を切り開きながら、一寸先がどうなっているか分からないまま、しかも魔物が襲ってくるのを倒しながら、食料も現地調達をしながらの旅である。

 毎日、かなりの強行軍だったが、それでも1日20キメルがせいぜいである。あと少し、あと少し先までと言いながら1年、累計すれば6000キメル離れた場所にまで至っていた。


「よし、つかまえた」


 赤い宝玉を握りながら、マルテイがそう言って、宝玉をアグネスに渡した。この宝玉はマーカンドルフが制作した通信用の魔道具で、魔力を込めれば点滅する。使用する魔力は、魔物を倒して得た魔核から得るのである。

 点滅するだけの魔道具なのだが、あらかじめ信号を決めておけば点滅の間隔で、文章のやりとりを行うことが出来る。

 今日は生きていても明日は死んでいるかもしれない旅だ。報告はこまめに、毎日行っていた。と言っても、ダグウッドから距離が離れれば離れるほど、交信状況が悪化し、ここ最近はダグウッドの位置を捉えるだけでも二時間を要している。

 これはフェリックスが直接、ダグウッドにある対の宝玉に魔力を込めて、上空高く魔導波を送り、それが注ぐ形で、アグネスが持つ宝玉との間で情報がやりとりされている。ダグウッドからアグネス隊へ向かう波の魔力はもちろんながら、アグネス隊からダグウッドに向かう魔導波にもフェリックスの魔力の補助が加わっている。実際問題、この魔道具を扱えるのは、フェリックスとマーカンドルフ、マックスだけだろう。アビーでも魔力的に難しい。

 大層圏に打ちあがって、そこから落ちてくるわけだから、ダグウッドを極とした場合、赤道から向こう半球には物理的に届かない。ダグウッドから距離が離れれば離れるほど、魔導波はほぼ水平に走るわけであり、山脈などで遮られれば、そのルートは使えない。

 1キメルは1キロメートルとほぼ同じであるから、この星が地球のコピーであるとしたら、極から赤道までの距離は1万キメルのはずである。

 6000キメル進んだということは、だいたい北極点から仙台あたりまでの距離、ということになる。

 非常に貴重な地理データを送ることに成功していた。


 測量技師の一人は、文学的な素養があり、ゼーフェルトの門下の一人であったのだが、その男が主要なポイントの地名を付けていた。エルム川はエルムの木が河岸に茂っていることからそう名付けたのだが、その夜は見晴らしのいいその河岸での逗留になった。

 この周辺を数日調査した後、調査を切り上げて帰還することになっている。


「ちょっといいかい? アグネス」


 まだ日が暮れていたわけではなかったが、夜の、交代の不寝番に備えるために明るいうちに横になっていたアグネスに、マルテイが声をかけた。


「ティムが川でこんなものを見つけてね」


 ティムというのは植物採集の担当者で、河岸の植生を調査している時に、川の上流から流れてきたのだという。

 それは棒きれだったが、片方が四角で、もう片方が尖った形に削られていた。明らかに人工的なものである。


「上流に人里があるかも知れない」

「こんなところに? これは自然の枝ではないのかい?」

「よくごらんよ、斜めに筋が入っている。年輪だよ。削らないとこんな風にはならない」

「こんな魔物だらけのところに人が住めるわけが…」

「あたしたちは現にここにいるじゃないか」


 でも、それは、と言い返そうとして、アグネスは口をつぐんだ。

 アグネスたちが魔域を進むことが出来たのは、マーカンドルフが開発した数々の魔道具を与えられていたからである。その魔道具も、フェリックスが膨大な魔力を注ぐことによって内部畜魔機構によって、発動できている。

 マーカンドルフもフェリックスも規格外ではあるが。

 現に存在している。

 であれば、同じような者が他にいたとしてもおかしくはない。


「…だとすれば、相手は普通じゃないのは確かだろうさ」

「このまま進めば接触するかも知れないよ。どうする?」

「…辺境伯爵様の指示を仰ぐさ」


 その日は通信が届かず、数日雨が降ったこともあって、フェリックスからの指示が届いたのは三日後になった。

 フェリックスの指示は、接触するな、直ちに帰還せよ、ということだった。

 その指示に従って、アグネスたちは帰途に就いたのだが…。


「あ、あ…」


 タイラントボアの群れをやり過ごして、何体か仕留めた時、その姿に驚いたようにして、森の中から、一人の少年が姿を現したのだった。


「こいつらはあんたの獲物かい?」


 弓を抱えたその少年に、アグネスが軽口をたたくようにして、言えば、少年の口から出てきた言葉は ― 。


「◎△$♪×¥○&%#?」


 少なくともボーデンブルク語でないのは確かだった。

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