第51話 財閥分裂

「死守すべきは銀行だ。ここがダグウッド財閥の本丸、ダグウッド銀行の機能が保全されることを第一に今後の対応を検討して欲しい」


 後世に親子戦争と呼ばれることになる内戦の勃発にあたって、フェリックス・ヴァーゲンザイル・ダグウッド辺境伯爵は、無論、エレオノール内親王軍の中核を担うことになる。

 しかしこの会合においては、フェリックスの立場はあくまで財閥総帥である。

 フェリックスの肩書はながらく安定していなかった。フェリックス自身にとってもそうであるが、古参の幹部たちにとって、ダグウッド財閥はそもそもがダグウッド辺境伯爵家のファミリービジネスであり、フェリックスはまず第一に辺境伯爵であったからである。

 しかしヴァンダービルを解任せねばならなかったように、今、財閥の利益と辺境伯爵家の利益は必ずしも一致していない。その齟齬をどう調整するかは最終的にはフェリックス自身の決断によるとは言え、まずは財閥は財閥としての姿勢を明らかにしておく必要があった。


 フェリックスの前世知識では、一般に財閥と呼ばれるような企業グループの場合、持株会社がその中核に据えられることになるのだが、資本と経営の分離、資本家と資本の区別はこの世界ではそこまで厳密にする必要はない。法人税というようなものは、基本存在せず、法人の資産というものもそこまで厳密に、資本家の資産と区別されるものではないからである。

 もちろんダグウッド銀行はダグウッド銀行の名において所有する資産はあるのだが、最終的にはそれはオーナーの資産に還元されるのであり、行員らの人頭税は企業が支払っているのだが、銀行にプールされている資本家の資産から支払われているという形になっている。

 この意味においても辺境伯爵家と財閥総帥の立場は明瞭には分離していない。

 だが今後は、財閥には独自の利益がある以上、「公私の区別」は厳密につけて置く必要があった。


 この会合がアイリスハウス、あるいはダグウッド城ではなく、ダグウッド銀行本店の会議室で行われているのも、その一環である。出席者は以下の通り。


 ガマ商会会頭ガマ。

 ダグウッド銀行名誉頭取カイ・テオフィロス。

 ダグウッド銀行頭取/ヴァンダービル鉄道社長モンマルセル。

 ヴァンダービル鉄道副社長ルイゴッド。

 子猫ホテルチェーン代表ビルセンテ。

 オートリンク百貨店社長オートリンク。

 エンターン劇団興行社長フィルロケンス。

 アビゲイル・ダグウッド宝飾店副代表ミラ。

 アインドルフ酒造社長ドネクセル。

 マルイモ農業振興会代表カモンズ。

 ダグウッド工芸社代表クリルタイ。

 鉄道工業社社長ドラハット。

 ボーデンブルク王国土地開発社長エドモンド。

 

「鉄道では各地区ごとに独立経営権を臨時に付与し、ケイド親王支配下においては企業と従業員はケイド親王政府に協力しています」

「うちもおおむねそういう措置にしておますな。従業員を守らんといかんので堪忍してな」


 ヴァンダービル鉄道副社長のルイゴットとガマがそう報告した。

 他の企業については、撤退や一時休業が出来る部署はそうしていて、そうできない部署については、ヴァンダービル鉄道に倣っていた。


「銀行はどうなっている?」

「ケイド親王政府、フラミウス同盟、双方に出資しています」


 モンマルセルの返答に、フェリックスはため息をついた。

 厳密に言えば、これはフラミウス同盟への裏切りに相当するかも知れない。無論、ケイド親王に対しては必要最小限度の融資であり、フラミウス同盟に対しては採算度外視しての最大出資と言う違いはあるにしても、両天秤にかけた形になっているのは事実である。


「ダグウッド銀行券の金貨への交換は、前年の20%増にとどまっています。信用は十分に維持されているかと」


 モンマルセルが述べたように、ダグウッド銀行券の信用確保は最重要課題である。ここが崩壊すればマクロ経済の基本構造が崩壊する。そしてその流通を担保するためには、鉄道や商会がその価値を下支えし、経済を政治から切り離して中立を確保する必要があった。

 ヴァンダービルは、財閥の中立を主張して解任されたのだが、フェリックスが直接介入しても、財閥の中立性は相対的に順守されている。政治的な党派から中立でなければマクロ経済が維持できないからだ。

 方向性としてはフェリックスとヴァンダービルに相違はない。違いは、中立を徹底して、ヴァンダービルは文字通り諸勢力を天秤にかけて財閥に利益を最大化しようとしていたのに対し、フェリックスは、中立は最低限の必要条件として、その必要条件を担保する範囲内で中立を維持して、最大限、フラミウス同盟に加担しようとしている点である。

 いわば、ベクトルの方向は同じだがスカラーの伸びが違うのである。


 財閥企業はボーデンブルク王国全土に展開しているのだから、従業員保護の観点からも、ボーデンブルク王国が内戦に陥れば、財閥も地域ごとで分裂せざるを得ない。

 採り得る対策としては主に三案あった。

 第一は完全局外中立を守り、諸勢力に対して是々非々で対応し、一方で財閥の利益を最大化すること。これはヴァンダービル路線であり、単純に財閥の利益としては最合理だが、内戦終結後、いずれの勢力が勝つにしても全面協力しなかったという理由から敵視される可能性があり、なおかつ、ダグウッド辺境伯爵家としては領主の利益から言えば採用できない路線である。

 第二は財閥とダグウッド辺境伯爵家との利害を完全に一致させ、財閥を辺境伯爵家の外局に位置付けることである。その場合は、フラミウス同盟の支配地域以外での営業が困難になり、従業員は迫害される、ケイド親王の態度から言えば虐殺されることを免れるのは困難だろう。これの最大の問題は、ダグウッド銀行券の流通がフラミウス同盟支配地域におそらく限られてしまい、信用不安を招きかねないことだ。

 第三の路線を実際にはとるわけだが、これはフラミウス同盟には協力しながらも、ケイド親王政府にも、商売上の最低限の協力は行うというもので、各地区ごとで独自判断してゆくことになる。


 資本というものは融通無碍なもので、ただ自己増殖を目的に鵺のように徘徊する。ただし現時点ではボーデンブルク王国では資本主義が成立しているとまでは言えず、その種が撒かれたに過ぎなかった。

 ダグウッド財閥の企業群も、株式の発明も、単に同族会社内のローカルルールで運用されているに過ぎず、フェリックスによってコントロールされる度合が大きい。それだけにフェリックス個人が判断を誤れば、ダグウッド企業群の破滅のみならず、種を蒔かれた資本主義そのものの挫折につながりかねない。


 フェリックスは、資本主義の究極形ともいえる、格差がひたすら拡大してゆく無間地獄のようなグローバリズムの社会から転生してきたから、資本主義を無条件に肯定するつもりはない。シカゴ学派的なマネタリストのように、無条件かつ無批判に、果てしなく増殖してゆく金融を肯定するつもりはないのである。

 社会主義者というわけでもないが、フェリックスの考えでは、正義は社会主義の中にも、新自由主義リバタリアニズムの中にもない。その両者を両極とする運動の中にだけ、妥当な解があると考えている。

 70年代の社会福祉主義は経済の停滞を招いた。80年代のハゲタカ自由主義は社会の荒廃を招いた。フェリックスはそのどちらを採るつもりもない。

 しかしながら200年、300年のスパンで見れば資本主義の段階的な発展が、毛罪規模の拡大と同時に、庶民の福祉の向上に寄与してきたのは疑いのない事実であって、今のフェリックスは何もグローバリズムへの対策を考える必要はないのである。


 フェリックスが促しているのは、あくまで実体経済の発展であり、金融セクターはそのための必要条件であってそれ自体が目的ではない。

 金融、利子というものは、それだけが肥大化してゆけばかえって実体経済を毀損するのである。そのため多くの宗教では、利子をとることを禁止していた。

 マクロ経済に寄与する金融セクターという意識と使命を持っているのは、この世界ではダグウッド銀行しかない。

 ダグウッド銀行こそは守るべき本丸であった。

 この最重要課題の前では、数十万の民衆の生命も、ボーデンブルク王国の命運も、ダグウッド辺境伯爵家の栄枯盛衰も小さな話である。


「カイ・テオフィロスを、ダグウッド辺境伯爵家の冢宰職から解く」


 出席者は、十分に社交的な自制が出来る者たちだったが、それでも思わず、カイ自身を含めて、驚きの唸り声があがった。


「ダグウッド銀行名誉頭取のまま、副頭取職を兼務させ、王都支店での業務に全権を与える。ケイド親王支配下のダグウッド銀行業務についてはすべてカイ・テオフィロスの差配下に移行するものとする。

 また、カイ・テオフィロス勲功騎士爵には一村を割譲し、独立領主とさせる。貴族としても、経営者としても、ダグウッド辺境伯爵家の差配から離れてもらう」

「私は王都へ行けばよろしいのでしょうか?」


 カイの問いに、フェリックスはうなづいた。


「プファルツェンベルヒ侯爵とは親交があり、今もってやりとりがある。プファルツェンベルヒ侯爵に取り入って、ダグウッド銀行の経営を滞らせることなく運営して欲しい」

「大規模な資金提供を当然、要求されると思いますが」

「すべては卿の判断に委ねる」


 ダグウッド辺境伯爵家が滅んでも。

 ダグウッド銀行は生き延びらなければならない。

 ダグウッド辺境伯爵家が滅んで、ダグウッド辺境伯爵たるフェリックス・ダグウッドが生き残るということはあり得ない。

 ダグウッド辺境伯爵家亡き世界で、フェリックス・ダグウッドの代わりになれるとすれば、それはフェリックスが手塩にかけて育て上げた腹心中の腹心、カイ・テオフィロスしかいなかった。

 カイはこの世界ではフェリックスを除けばおそらく唯一、マクロ経済を理解している人物である。


「私が戦犯として処刑される日がいずれ訪れんことを期待します」


 承諾の意を込めて、カイはそう笑った。

 エレオノール内親王が内戦に勝利すれば、当然、ケイド親王に仕えた者たちは、信賞必罰の倣いから言っても、犯した罪の大きさから言っても処刑されないということはあり得なかった。

 ケイド親王が勝利すれば、当然、フラミウス同盟諸侯は処刑されるだろう。

 フェリックスが財閥当主であるだけならば、敗北してもなお生き延びる可能性はあるが、ダグウッド辺境伯爵なのである。エレオノール内親王軍の中核を担うヴァーゲンザイル・ギュラー一族が、敗戦してなお生きられるはずはなかった。

 もし、エレオノール内親王が勝利すれば、ケイド親王に協力したダグウッド財閥の面々を当然、フェリックスは助命にうごくつもりである。

 しかし存在感のあるダグウッド財閥だけに、エレオノール内親王が勝利して、何ら処断を降さなければ法の正義が問われることになる。まったく不問に付すというわけにはいかないだろう。そして下の者たちを救おうと思えば、どうしても幹部の首ひとつふたつは差し出さなければならないのだ。

 カイは即座にそのことを理解し、戦犯となるのがフェリックスではなく、自分でありたいと意思表示をしたのであった。


「カイ…卿は、私の、僕の愛弟子だった」

「はい」

「卿は嫌がるかも知れないが、僕の息子同然だと思っている」

「過分なお言葉です。私は三男でしたから、閣下がいらっしゃらなければダグウッドを離れていたはずです。そうであればおそらくは今頃は生きてはいなかったでしょう。閣下に頂いた命です。閣下のお役にたてるならば、本望です。どうかお忘れなきよう。ダグウッド村の者たちはことごとく同じ思いでいます。フェリックス様のためであれば、生きるも死ぬも幸福というものです」

「決して早まった真似をするな。どういうことになろうとも、最後の最後まで、あがいてみせる。僕のためと言うなら、僕のために死ぬのではなく、僕のためにいきてくれ」


 カイは頷きながらもガマを見て、絞り出すようにして言った。


「ガマ様。フェリックス様のことよろしくお願いします」

「わいがあんはんほど秀才やったら、その任を負うはわいやった。年寄りよりも先に若い人が死に急いではあかんよ」


 ガマも、涙を堪えるようにして、そう言うのだった。


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