第50話 エレオノールの決意
滞在している、と言ってもエレオノールは内親王である。好き勝手に出歩けるわけではない。ましてや事実上の人質であることは自覚している。
「町の中をご案内しましょう」
そう誘うロレックスにも、微笑みながらも頭を横に振るだけだった。
ケイド親王もさすがに数名の護衛はつけてある。出歩けば彼らも同道するだろう。
「見たくないし、見せたくないのです」
見てしまえば、知ってしまうことも多いだろう。ここは何と言っても、フラミウス同盟の首府なのだから。
「父は不思議な魔法をいろいろ使うと聞いています。見てしまえば、私のその知識も、奪われてしまうかもしれません」
「 ― お父上の、お役に立ちたいと思うことはないのですか?」
別にロレックスも機密を漏らそうというつもりはないのだ。あたりさわりのない観光だけであるのに、エレオノールは過剰に警戒しているように見えた。それほど警戒しているのか、彼女にとっては父親はそれほど警戒する対象であるのか、ロレックスは聞いてみたくなった。
「あなたのご家族とは違うのですよ」
エレオノールは寂しそうに笑った。
「 ― もちろん、王家であらせられるならば、一介の辺境伯爵家とは違うでしょうが」
「そういう意味ではありません。ご存知でしょうか? 私の母は、父に犯されたのです」
「え?」
「意味はお分かりですか? 犯されたとはレイプされたということです」
「殿下! 誰がそのようなことを」
「母です。私がまだ幼かった頃、母が自殺する前に私に言ったのです。少なくとも、自分の方は、あの男の子供など産みたくは無かった、と」
「…」
「父は別に母を愛していたわけでもなかったのです。それどころか、肉体的に執着していたわけでもなかった。どの閨閥に組み込まれることもない弱小貴族の娘ならば誰でも良かったのです。けれどもそういう立場の貴族の娘はかえって、王族とは接触しないものですから。たまたま、女官として回されてきた母を」
「殿下…」
「私には父の考えが分かりません。何をしているのかも知りません。知っているのは、あの人が私には何の関心もないというだけのことです。それほど多く会ったわけではありませんが。どうぞこのことはヴァーゲンザイル卿にもお伝えください。あの人は、悪い人ですらないのです。野心家とか、エゴイストとか、そういう性質ですらないのです。ただ、違うのです。普通の人とは何もかも」
「…殿下。お父君を、憎んでいらっしゃるのですか?」
「憎むほどの関わりもないものですから。教えてください、ロレックス様。父はいったい、何をやっているのですか。何をやってしまったのですか」
「…それは…」
「ロレックス様。あなただけは、どうか私に嘘はおっしゃらないで。お願い。あなただけは。あなたも、私の立場なら、知りたいと思うはず」
数十秒の沈黙の後、ロレックスは、これは自分が父や他の諸侯から聞いた話ですが、と前置きしたうえで意を決して語り始めた。
エレオノールとケイド親王自身を除く王族を監禁していること、少なくともうち数名を殺害していること。西部諸侯数名を詭計にかけて冤罪で取り潰したこと。
ボーデンブルク王国内で三万に及ぶ一般民衆、女子供を含めて虐殺に及んだこと。
そこまで聞いたところで、エレオノールは両手で顔を覆って、
「ああっ」
と短く叫んで、うずくまった。
「殿下」
「…いえ、いいのです。私は知りたい。続けて」
「…はい」
虐殺が一度ではなく、今度は他国においても同じことをなしたこと。戦争の結果、虐殺になってしまった、というよりは明らかに虐殺することが目的であるかのような殺し方であったこと。
「…もっとも、それでボーデンブルク軍による占領はさしたる抵抗もなく進んでいるようです。ガローシュに数度に及んで大勝したのも事実。ガローシュは講和の意を示してきているらしいのですが」
「だからと言って、罪もない民衆を虐殺することが許されるはずがありません」
「はい」
「ガローシュとの戦争が一段落したならば、今度は矛先をヴァーゲンザイルに向けてくるのではありませんか?」
「その可能性はあります。父たちはそれに備えてはいますが」
「なぜ起たないのです? 攻め込まれるのを待っているよりはいいのでは?」
「旗頭となり得る ― 王族がいないのです」
北東部と東部は精強とは言え、北部、西部、南部、中央部を抑えるケイド親王と比較すれば、1:2である。それも、ケイド親王にはガローシュ王国を降す要因となった魔法部隊がある。その名声もある。新たに保護国を得たならば、そちらからも徴兵することが可能だ。
北部は難しいとしても南部、中央部をどうにかして離反させなければならない。大義名分がどうしても必要だった。民衆虐殺の非をならすだけでは、勝てば官軍、勝利のためには止むを得ない犠牲と言われれば、同じボーデンブルク人がそれを責めれば愛国精神にそぐわぬと見られてしまう。
「いるではありませんか」
「…。…。…!」
「諸侯会議は近々開かれるのですよね?」
「…はい」
「ヴァーゲンザイル卿との面談の手配をお願いします。私は王族の務めを果たします。望まれて生まれてきたわけではありません、生まれてきた意味は自分自身で作り上げなければならないのですから。私は、ボーデンブルク王国内親王エレオノールは、ケイド親王と、かの者の行為を悪と断じます」
エレオノールは立ち上がり、光あふれる中庭を見て、ロレックスに背を見せた。
「ロレックス・ヴァーゲンザイル」
「はっ」
ロレックスは膝まついた。
「付いてきてくれますね? 私と共に」
「殿下の思し召しのままに」
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ヴァーゲンザイル辺境伯爵領に逗留中のエレオノール内親王の名において、ボーデンブルク王国全土に向けて令旨が発せられた。
『諸侯の請願にもかかわらず、摂政王太子たるケイド親王が、国王陛下、副王陛下、および王族の方々を隠匿しているのには、王族の一人として、余、エレオノール内親王は、遺憾の意を表さざるを得ない。率直に言って、理解に苦しむことである。
諸国との戦争という重大局面にあって、長きに及ぶ両王陛下のご不在を鑑みれば、ケイド親王による監禁、あるいは殺害を考慮するも、故なき妄言とは退けられぬ事態である。
また、ケイド親王には冤罪によって諸侯を貶めた十分に根拠ある疑惑があり、王家がその身に代えても守るべき民草を虐殺したという事実がある。ケイド親王はこれについてただちに釈明し、犯罪者を処罰し、その犯罪者が自分自身であるのであれば、自裁すべきである。
ケイド親王による法と秩序の破壊は、その実子である余の目から見ても弁明のしようのない事実であり、親子の情に優先して、法と秩序の回復のために王族の義務としてケイド親王を排するために決起するもやむなしと思い至った次第である。
ボーデンブルク王国内親王として、弾劾される当事者であるケイド親王を除けば現在動ける唯一の王族として、臨時に君主大権を担い、ケイド親王の王族権を停止、剥奪することをここに宣言する。
ケイド親王はすみやかに王族たちを解放し、いさぎよく獄に身を置くべきである。
すべてのボーデンブルク王国諸侯に次ぐ。この宣言の下、ケイド親王を国家反逆者であることを明言する。ケイド親王の命によって従わされていた者たちについては、これまでのことは一切の罪を問わない。
ただし今後、ケイド親王に加担した場合、臨時ながら正統君主の名において、ケイド親王同様の罪に問われることを通告する。
ボーデンブルク王国諸侯ならびに民衆に告ぐ。余の下に集い、反逆者を排し、速やかに王国の危機を打ち据え、常態への復帰に尽くすことを命じる。』
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