第49話 ザイール城の咆哮
ケイド親王軍の主力は魔法使い部隊が担っている。
既に寡兵を以て多数を降すという奇跡を何度も実現しているかのように見えるケイド親王だが、ケイド親王が数十年に及んで養成してきた特殊魔法使い部隊の火力をもってすれば、実際には、寡は衆に敵せず、の定石通りの事態が生じているに過ぎない。
戦闘における多寡は、第一には人数である。
第二に、実戦闘に関与している人数であり、第三に火力である。
寡が衆を破ることがあるように見えても、それは見かけ上の話であり、実際には少数が多数を破ることは絶対にない。それがあるように見えるのは個々の戦闘において、戦力に含むべきではない人数を含んでいるか、戦力をミクロで分析していないからである。
例えば包囲殲滅戦だが、2万の兵が10万の兵を包囲すれば、実際に戦闘が生じるのは円の外周部分であり、そこでは2万対1万の戦闘が生じているに過ぎない。
あるいは、少数の片方が獲物が機関銃で後方の安全を確保した上で、見晴らしのいい場所で敵と対峙するなら、一人で百人も二百人も倒すことは可能だろう。極端な話、一人が核兵器を持っているなら、一人で数十万人を殺すことも可能なのである。これは火力において優位に立っているからである。
同時代、同文明内での戦闘では、ハードウェアの差はそこまで大きくは生じない。また、戦術思想、戦略思想というソフトウェアの差も普通はそこまで差が開かない。
指揮を執るのはいずれもプロなのだ。物語のように分かりやすい無能は、そうそう出てこない。特にボーデンブルク王国のように、定期的に内戦、対外戦争があった国では、無能な指揮系統が生じる余地は少ない。そういうものはすでに淘汰されているからだ。
しかし、ケイド親王は、すでに奇跡のような大勝を何度か実現していた。「大親王」という呼称も生じている。ケイド親王が軍事上有能であればあるほど生存可能性が小さくなることを自覚しているフラミウス同盟諸侯らは、それで自身の戦略が揺らぐようなことはないが、民衆の間では、北東部においても、ケイド親王を称賛する声が生じ始めている。
一方で民衆虐殺者としての悪名もあるのだが、民衆は自分自身に矛が向けられない限り、他の民衆を切断操作するものである。
『ナチスが最初共産主義者を攻撃したとき、私は声をあげなかった
私は共産主義者ではなかったから
社会民主主義者が牢獄に入れられたとき、私は声をあげなかった
私は社会民主主義ではなかったから
彼らが労働組合員たちを攻撃したとき、私は声をあげなかった
私は労働組合員ではなかったから
そして、彼らが私を攻撃したとき
私のために声をあげる者は、誰一人残っていなかった』
人間の本質などは、地球だろうが異世界だろうが変わりはない。
皮肉にも、ケイド親王の快進撃を下支えしたのは、フェリックスが準備していた文明のアドヴァンテージだった。
経営がヴァンダービルに委ねられていた時は、ヴァンダービル鉄道は直接的に軍の協力者であったし、経営をフェリックスが剥奪してからも、オーパーツ的な物流機構、ファイナンスを手当てするマネタイズの機構は機能していたからである。これがローシュ王国らが欠いていた前提条件である。
更に言えば数万人に一人しか確保できない強力な魔法使いを、その百倍以上の規模で、ケイド親王は確保していた。これにはフェリックスはまったく関与していないが、フェリックスが経済の発展に充てていた数十年を、あるいはそれ以上の期間をケイド親王は魔法学の革新にあてて、フェリックスが経済でなした以上の成果を入手していたとすれば、あり得る話であり、逆に言えばそう考える以外にはあり得ない話であった。
ともかくも、経済と魔法の両面において、ケイド親王には数世紀先んじたアドヴァンテージがあったのであり、同時代同文明内では差はそれほど開かないという前提条件自体がここでは成り立っていないのであった。
ケイド親王の持つ先進性はすでに同時代同文明内のものではなかったからである。
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ケイド親王自身はすでに前線に赴くことはない。
ザイール城の奥で、指示を出すだけである。これは彼が独自に手足となる官僚機構を整備していたことを意味していた。
「なぜだ!」
ケイド親王は数名の幹部を前に咆哮していた。
「なぜ、またもや失敗したのだ!」
ケイド親王は感情の起伏をコントロールできる人物である。成したことの大きさからすれば、表面上は、意外に過ぎるほど常識人と言ってもいい。王族や大貴族の中には平民に対して傍若無人な振る舞いをする者が多く、小姓の十人や二十人は斬られて当たり前だったのだが、ケイド親王がそのような振る舞いを見せたことはただの一度もない。
周囲に仕える弱い立場の者には、わりあい公明正大であり、優しい人物である。
だが、一方で必要であれば冷酷になれる人物でもある。
十数年に及ぶ側近であっても、致命的な失敗をすれば容赦なく処断することを躊躇うような甘い主人ではない。
既に数万人、十万人を越える民衆を蕩尽している。
必要があればそうすることを躊躇わないケイド親王だが、その悪行が政治的には不利をもたらすことは理解している。実際、その酷薄さ、正確に言えば酷薄であるという評判のせいでボーデンブルク王国内をまとめきれずにいる。
ヴァーゲンザイル一族のせいで北東部諸侯には手出しを出来ていない。もっとも、今のところはヴァーゲンザイルをしても、防戦一方にさせることには成功しているのだが。
それだけの犠牲を払って実行した計画である。
失敗しました、では済まない。
いや、すでに一度は失敗したのだった。
今度ばかりは更に万全を期して実行したはずだった。
「陛下」
ケイド親王最側近のプファルツェンベルヒ侯爵が一歩前に進んだ。
「陛下、これはあるいは失敗ではないのかも知れません」
「どういうことだ、プファルツェンベルヒ」
両者とも、ケイド親王を陛下、と呼ぶことについて当たり前にように捉えている。だが、この場合の陛下とは、ケイド親王をすでにボーデンブルク国王扱いしているわけではない。
この二人の間では、遠く、ケイド親王がまだ少年ですらなかった頃から、そう呼び呼ばれをしてきたのだ。
「術式は完璧でした。等価交換のための代償も十分でした。それを一度のみならず二度までも失敗したということは、失敗ではなく別の事態が生じていると解釈すべきかと」
ケイド親王とプファルツェンベルヒ侯爵がもたらした魔法学の、特に魔法陣術式の革新は現実である。その有効さはすでに魔法部隊の創設、魔法兵の拡充という形で実証されている。
よって、魔法陣に欠陥があったという可能性は退けられる。この魔法陣はケイド親王とプファルツェンベルヒ侯爵にとっては最重要のものであり、他のことを覚えていてこれを忘れているということはあり得ないからだ。
魔法陣を発動させるために必要な供物、等価交換のためのエネルギー、この場合は膨大な人命であるが、それもむしろ多めに消費している。こちらでも落ち度はあり得ない。
であれば、ケイド親王が期待した通りの結果が生じてしかるべきなのである。
そうなっていないのだとすれば、そこには何か理由がある。
「すべてが完璧ならばなぜ召喚陣が作動しないのだ」
「すでに召喚されているのではないでしょうか?」
「なに?」
「すでに勇者がいる。だから召喚されない。こう考えればつじつまが合います。勇者は一人しか存在できませんので」
「なんだ…と?」
「我々以前に誰かが召喚陣を実行させたか…」
「莫大な人命が必要になるのだ、あれは。召喚されていれば気づくはずだ」
「であれば勇者の側からやって来たのか。勇者は勇者ではありません。勇者になるのです。召喚されて初めて勇者になる。私も、陛下も目で見たわけではありませんが、一人いるではありませんか。消息を絶った勇者が」
「…ハヤトか…。あれが、今、この世界にいると?」
「ずっとここにいたのか、あるいは戻って来たのか」
「…方針を変更し、まずはハヤトの行方を調べるべきです」
「ここまで来て…我が望みは叶わぬのか…」
「またやればいいのですよ。何度でも」
プファルツェンベルヒ侯爵はそう言って、「陛下」にひざまつくのであった。
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