第48話 カノッサの虐殺
ボーデンブルクの北にはゲータラント王国があり、この半島国家は面積自体は小さいのだが、スコーニア、ヒルベニア、カレドニア、アルビニアの島嶼王国群を支国として持ち、海洋勢力としては侮れない。
また、そこから南に下った場所、ボーデンブルクからは西の隣国にあたる地域だが、平地ロタリンギア諸国が幾つか並び立っている。ここにはかつてロタリンギアという大国があったのだが、山地ロタリンギアと分かれ、山地ロタリンギア勢力はボーデンブルク建国の中核勢力になった。
平地ロタリンギア諸国としてはブラバント王国、フリジェン王国、レージュ王国、アンテール王国が林立している。
ガローシュ王国によるボーデンブルク侵攻作戦においては、平地ロタリンギア諸国はガローシュ王国に加担したのだが、ボーデンブルクがガローシュを退けたことで、再びガローシュ封じ込めに動く構えを見せていた。
このあたりの情勢分析を問われて、ジュノーは母のキシリアに答えて、「救いようのないバカ」と答えている。
弱小国としては日和見をするのも、バランス戦略をとるのもあり得る戦略だが、「強い方についてどうするのだ」という話である。
バランスをとるならば弱い方につかなければ理屈が通らない。勝った方に日和見すれば、さらに強くなった強国がどうして弱小国を気遣うのか。強国を掣肘しえるライヴァル国を叩き潰した後は、弱小国には金貨一枚の価値もない。
容易に叩き潰されないだけの堅固な防衛力を構築できればいいが、それが出来ないから外交で手玉をとろうとするのだ。手玉にとられる覇権国と準覇権国からすれば、まずはバランス戦略をとってくる連中を叩き潰さない限り、完全な覇権は握れないのだから、その連中が小国ならば、まずはそういう連中を先に叩き潰すだけの話である。
バランス戦略を取るのであれば、弱い方につく、しかしもし、バランス戦略が有効であれば、覇権国、準覇権国、双方の第一の敵になるのであって、弱小国がバランス戦略をとろうとすること自体、無謀である。
なぜ、そのような齟齬が生じるかを問われて、ジュノーが答えたのは以下のとおりである。
どこの国の人であっても正確に自国の立ち位置や能力を把握することは難しい。自分の国にはそれだけの価値があると考えたがるものだからである。
また、外交とは、政治経済軍事を土台になされるその派生に過ぎない。戦争で負けて外交で勝つなんてことは、政治経済の力が整っていなければかなり難しいことだ。弱小国ほど、選択範囲が狭いため、テクニック的な余地が大きそうに一見みえる外交への比重が大きくなりがちである。それらの国では「華麗なる外交的天才」を演出する必要から、外交政策が演劇的な、アクロバティックなものになりやすい。
だがそれは結局は破綻する。土台の体力がないからだ。
「華麗なる外交的天才」を想定するには、交渉相手たちがよほどの間抜けであると想定しなければそもそも想定さえできないが、大国の外交を担う者たちがそれほど愚かであるはずがないのだ。
弱小国にとって一番望ましいのは基本的には現状維持である。未知の脅威よりは既知の脅威の方が対処しやすいからである。
よって、バランス外交ではなく、基本的には現状維持国に加担するのが最善の策、ということになる。
ただし昨今の情勢では、いずれが現状維持勢力なのか、見定めるのは難しい。
そもそもガローシュ包囲網が崩れたのは、経済を中心としたボーデンブルクの国力の増大にある。そういう意味ではボーデンブルクを現状打破国とも捉えることが出来る。
一方で、その構図から、戦争によって外交地図を塗り替えようとしているガローシュ王国こそが現状打破国とも言える。
ジュノーが、例えばブラバント王国の女王であれば、どうするかと問われて、まだしもましな選択としてはボーデンブルクの方が安全だったと言える、と答えた。
経済では人は死なないからである。ボーデンブルクの興隆の理由を分析し、それを自国に導入しなければならない。埋没したくないなら働かないといけないのだ。出来る策はただ、考えて、働くことだけである。
だが、ボーデンブルクではケイド親王が独裁体制を作り上げ、緒戦の勝利で以て、戦線を拡げようとしている。
こうなるともう、どちらが現状打破勢力かは分からない。
以前までのボーデンブルクならば、敵を追い払えばそれで終わり、外交で中小国を取り込んで、再びガローシュ包囲網に戻っただろう。
だが、ケイド親王はそれを選択しない。
ケイド親王がそれを選択しない以上、平地ロタリンギア諸国には選択肢はない。ボーデンブルクとガローシュ、どちらが勝っても負けても勝者に蹂躙されるだけである。それを避けるには ― 。
エレオノール内親王がヴァーゲンザイルに赴いて三ヶ月が過ぎようとしていた。
そもそも彼女が滞留している名目は「隆盛著しい北東部の実情視察」であったのだから、早い段階でダグウッドに移動することが予想されたが、案に相違して彼女はヴァーゲンザイルから動かなかった。
「ヴァーゲンザイルがフラミウス同盟の盟主だから?」
別件でヴァーゲンザイルを訪ねたフェリックスとアビーは、応待したザラフィアと午後の紅茶とスコーンを愉しみながら、最近のヴァーゲンザイル辺境伯爵領の情勢について世間話をしている。
アビーが、エレオノールが移動しない理由を、ヴァーゲンザイルがフラミウス同盟の盟主であることに求めたと言うのは、要は彼女がスパイ活動を行っているのではないかと言ったのである。
「そういう動きはないみたいだけど。サンデルス男爵夫人とも何度もお話したのだけど、彼女の方にもそういう動きは無くて。お悩みが深いようには見えたけど」
サンデルス男爵夫人は亡きケイド親王妃の姉に当たる。
三ヶ月も逗留していれば、世間話をしていてもそれなりの情報量になる。
サンデルス男爵夫人が言うには、そもそも亡き妹をケイド親王が愛していたとは思えない、それらしく扱っていたこともない、エレオノール内親王にしたところで、監禁されて放置されていたので、今の事情がよく分かっていない、正直、人質としての価値があるとも思えない、ということだった。
「普通のお方ではないのです、あの方は。家族の情など、父親に対しても、娘に対しても一切持ち合わせていないのです」
サンデルス男爵夫人はそう言っていたという。
「ほお、アンドレイ兄さんはそれを聞いて何と?」
「サンデルス男爵夫人は十中八九、切り捨てられると予想しているのだろう、と。そうなった時に、ケイド親王の意に服していないことを示すことで、エレオノール内親王を守ろうとしているんじゃないか、と言っていたわ」
ケイド親王がそういう人だったとしても、外形的には唯一の娘を送り込んで来たのは事実である。そうした外形的な事実がある以上、フラミウス同盟としては、相手が誠意を見せている以上、兵を起こす大義名分が得られないでいる。
「それで? どうしてダグウッドに来ないのかしら」
とアビーが言う。
「ロレックスがね」
とザラフィアはため息をついた。
単に社交の水準を越えて、エレオノール内親王に心酔しているらしい。
「恋に落ちたの?」
「たぶんね」
サンデルス男爵夫人はそれを見て、フラミウス同盟盟主の嫡男の好意を最大限に利用しようとする方針を固めたらしい。なんなら、ロレックスとエレオノールが結婚してもいい、それくらいの勢いで二人をくっつけようとしているらしい。
「それはちょっと ― 困ったことじゃないですか?」
フェリックスはため息を吐きながら、そう言った。
反ケイド親王派のフラミウス同盟が、その盟主の息子が、ケイド親王の娘と恋仲になる。同盟の結束を乱す行為である。同盟諸侯の間に疑心暗鬼を生むだろう。
ケイド親王は痛くもかゆくもない。元々、斬り捨てても構わない娘である。
「ロレックスを接待から外すわけにはいかないんですか?」
「内親王のご所望とあれば ― 王族であるには違いないから」
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歴史はケイド親王をどう評価するのだろうか。
やったことだけで言えば軍事的天才という評価も成り立つ。
ケイド親王軍は再びガローシュ軍を退け、その退却を追って、フリジェン王国に侵攻した。
ケイド親王軍の連戦連勝には、急激に攻撃威力を増した魔法使い部隊の活躍が要因となっている。
フリジェン王国は、ガローシュ軍に侵攻経路を提供するその地理的な条件もあって、ガローシュ王国寄りの中立を標榜していたが、ケイド親王側に明確に加担したブラバント王国により国境を封鎖され、ケイド親王軍がフリジェン王国内において完全なフリーハンドを得ることが可能になった。
フリジェン王国の首都カノッサにおいて、ケイド親王軍は再び数十万人を巻き込んだ大虐殺を引き起こした。
カノッサの虐殺である。
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