第47話 教育の成果

 外交的に課題が多いこの時期でも、フェリックスは小まめにダグウッドに戻り、内政に従事している。

 ダグウッドでは、教育は義務であり権利である。

 初等学校にはすべての市民が通い、選抜されて高等学校へ通う。高等学校卒業者たちは、教師や官僚に採用されて、ダグウッドを支えるか、北東部諸侯に同じく教師・官僚として派遣されている。

 教育にはむろんカネがかかるわけだが、その成果を見せつけることで、目端のきく領主たちは教育の重要性を理解するようになっている。

 フェリックスの基本的な教育方針は徹底して実学重視で、その点は、教育尚書のゼーフェルトには不満なのだが、次第に、現時点では理論的な性格が強い理科の教育なども取り入れられるようになっている。

 一番重視されているのは算数である。


 フェリックスの中の人は大学院を出ていて、大学在学中以来、家庭教師のアルバイトをしていた。家庭教師にはふたつの種類がいて、ひとつは出来る生徒を伸ばす家庭教師。もうひとつはできない生徒を引き上げる家庭教師。フェリックスは後者の家庭教師だった。

 主に中学生を教えていたのだが、底辺すれすれだった生徒が、難関校に次々と合格するに及んで、フェリックスの中の人は非常に評判になった。依頼が殺到して、一件当たりの報酬は月10万円、当人がやる気がない場合は受けない、との高飛車姿勢だったが、依頼が途切れることはなかった。

 実際、就職してからの方が収入が下がったくらいだった。

 フェリックスの基本方針は「基礎をきちんと理解する」ことである。きちんと理解していなければ、諸々の要素の干渉を受けて、何が何だか分からないブラックボックスになってしまうからだ。


 「=」は「は」ではない。「いちたすいちはに」と文章で理解するから却って本質が掴めない。「=」は左辺と右辺が等しい、釣り合っているという意味なのだ。天秤ばかりで考えるのが一番都合がいい。

 X+5=10 であれば、5が移項して、と考えるのではなく、Xだけを残すにはどうすればいいかを考えればいいのだ。移項して、と考えるのは無駄であるだけでなく誤った技術だ。本質を理解させなくてもテクニックだけで一応できるようにはなるから、点数をあげさせるためには楽だと思われているのかも知れないが、出来ない生徒には却って訳の分からない呪文が増えるだけなのだ。

 1にしても、それは1個でもなければ1人でもない。何かを「1」と決めるということなのだ。

 リンゴ1個を半分に分ければ1/2個。それはいいとして、1人を半分に分ければ1/2人なのか。冗談ではなく、つまづく子はこういうところでつまづくのだ。それは1を目の前にある1としてしか見ていないからだ。目の前にある1が重要なのではなくて、それを1とするという意思が1の本質なのだ。


 ダグウッドの教育は家庭教師的に一番省力化されたやり方が導入されたので、落ちこぼれ率が著しく少なかった。もともと落ちこぼれをすくいあげるための技術だからだ。

 それでいて、当面必要はないとフェリックスが判断した内容はばっさり切られている。二乗でさえ、高等学校でしか教えていない。幾何は、日常生活で使用することはほとんどないので、専門家だけ分かっていればいいと初等学校では教えていない。

 

 そういうところにゼーフェルトは不満を持っているわけである。


 ゼーフェルトの学者らしいところを見込んで、フェリックスは教育尚書に任じたのだが、フェリックスはあくまで行政的な視点で教育を導入したのに対して、ゼーフェルトはもっと学問寄りな見方をしている。


 幾何にしても、大工にとっては必須ともいえる知識で、それならば大工だけに大工算数として教えればいいじゃないかというのがフェリックスの発想だ。大工はその知識が必要になる場面を実感しているから、ああ、なるほど、となりやすく、手間もかからない。

 ゼーフェルトはこんなに便利な知識をおしなべて教えないことに口惜しさを感じている。


 そういうこともあって、いずれはと思いながらも先延ばしにしていた大学の設立を、ついに導入することにしたフェリックスだった。何のために、というよりは学問のために学問をやる機関である。

 カリキュラムにはフェリックスは関与しない。

 フェリックスにとって大学を導入する理由の九割はゼーフェルトを宥めるためであった。


 ダグウッド大学の設立は、ごたごたしたこの時期になった。

 最初の学生は25人。ゼーフェルトが厳選した人材だ。教授はいない。互いに課題を出し合い、検討しながら方法論自体を構築させてゆく。学費と生活費はダグウッド政府が支出する。

 彼らの中からいずれ、教授が生まれるだろう。そこから先はもうフェリックスの手を離れている。この世界の変革はこの世界の人たちが自らやっていくのだから。

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