第46話 エレオノール内親王

 王都-ダグウッド線はヴァンダービル鉄道の最重要基幹路線であり、行程の半ばを過ぎた頃から、北東部に入る。北東部に入って最初の停車場の町、ケーニヒスベルクを擁するのはケーニヒスベルク准男爵家であり、同家から後続のフラミウス同盟諸侯領地に急使が放たれた。

 その急使を受けて、沿線諸侯がまさかそんなことはあるまいと思いつつ、出迎えに出れば、ケーニヒスベルク准男爵が報せた通りだったので、彼らもまた、順繰りに後続の同盟諸侯に急使を送ったから、ヴァーゲンザイル駅にヴァーゲンザイル辺境伯爵一家は無論のことながら、ブランデンブルク公爵、レドモンド公爵、リュクサンブール公爵、バーガンティ公爵、ギュラー辺境伯爵夫妻、ダグウッド辺境伯爵夫妻、ベイベル辺境伯爵、ドレ辺境伯爵ら、フラミウス同盟の有力諸侯が雁首を揃えてその人を迎えに上がった時、その人がその人であることを疑う者はもはやいなかった。

 ヴァーゲンザイル駅の十二番線は、ヴァーゲンザイル一族専用の駅であり、同じヴァーゲンザイル駅と言ってもヴァーゲンザイル駅本体よりは数百メル離れた場所に乗降所があり、ヴァーゲンザイル城の城壁内に通じていた。

 有力政治家としても知られるジャンガレアッツォ侯爵が先触れとしてまずその車両から下り、サンデルス男爵夫人が次いで降り立って、護衛の騎士が数名下りて人垣を作った後、サンデルス男爵夫人に手を引かれて、その人が降り立った。

 諸侯らは一斉に膝をつき、平伏する。

「先触れでも知らせた通り、こたびはご静養であらせられる。大袈裟なことはなされるな」

 ジャンガレアッツォ侯爵が立ったまま、そう一堂に声をかける。

 この地の領主でもあることから、アンドレイが膝を折ったまま、言った。

「ご尊顔を拝す栄に浴し、恐悦に存じあげ奉ります。かの地の領主、辺境伯爵アンドレイ・ヴァーゲンザイルでございます。殿下におかれましては、ご静養のためヴァーゲンザイル、あるいはダグウッドにご逗留あそばされるとか。田舎者の不調法にて、高貴なる姫君にご満足いただけるかどうかいささか心もとなく存じますが、とりもなおさず城内にて御行在所ごあんざいしょを設けております。まずは旅のお疲れをおとすべくゆるりとあそばされませ。

 こちらは我が妻、ザラフィア・ギュラー・ヴァーゲンザイル、ならびに嫡男のロレックスでございます。ご滞在中なんなりとこれらの者にお申し付け下さいませ。また、こちらは私の姪で、ギュラー辺境伯爵夫妻が一子、ジュノーでございます。おそれながら年が近いので、話し相手などにお使いください」

「大儀である、ヴァーゲンザイル卿。さ、姫様」

 ジャンガレアッツォ侯爵は老練な政治家らしくにこやかにアンドレイの口上を受けつつ、その姫に発言を促した。

「ボーデンブルク王国王太子ケイド親王長女のエレオーノールです。今回のことは急な話ですので出来るだけ大袈裟になさらないでください。皆様方にはご迷惑をおかけします。申し訳ございません」

 エレオノール内親王が恭しく頭を下げたので、諸侯の間に衝撃が走り、不躾なことではあるがざわついた。

「姫様、さようなことをなされてはかえって皆様方を困らせますわ」

 傍らにいたレイディがさりげなく、内親王をたしなめた。

「お初にお目にかかります。私はエレオノール内親王殿下の筆頭女官、サンデルス男爵夫人です。亡きケイド親王妃殿下は私の妹ですから、姫様には伯母にあたります。姫様はお優しいおかたですが、頭を下げられては皆様方もお困りでしょう。さりながら急な話で、私どもが申し訳なく思っているのは本当のことです。どれくらいの滞在になりますか分かりませんが、ご厄介になります。よろしくお願い申し上げます」

 サンデルス男爵夫人の言葉を受けて、アビーが前に出た。

「覚えていらっしゃるかどうか分かりませんが、一度王都の社交界でお目にかかりましたね」

「もちろん、覚えておりますよ、レイディ・ダグウッド。アクアジェルをありがとう。ほら、ご覧の通り愛用しておりますのよ」

 ショールをずらして、サンデルス男爵夫人は胸元にある大きなブローチを見せる。

「つもる話もあるでしょうが、長旅は特に女の身にはこらえるもの、まずは殿下ともどもお休みになられてはいかがでしょうか」

「そうさせていただきたいわ。殿方には分からぬ気苦労も多いものですから。正直申し上げて、なぜ殿下と私がこちらへ遣わされてきたのか、ケイド親王殿下からは伺っておりませんの。私どもは右へ行けと言われれば行くだけですから。昨今の情勢からして、皆様は是非とも問いただしたいこともおありでしょうが、さようなことはジャンガレアッツォ侯爵にお聞きくださいませ。皆様とのご関係がどうであれ、エレオノール内親王殿下が王家のお血筋のれっきとした姫君であらせられるのは事実です。なにとぞ、寛容なお気持ちで、その御身に相応しい処遇をいただければ深く感謝いたします」

 サンデルス男爵夫人の言葉には、ケイド親王側近のジャンガレアッツォ侯爵に対する嫌味も含まれていたのだが、ジャンガレアッツォ侯爵は眉を上げるだけに反応をとどめた。

 余りに深いために青みがかった黒髪ブルネット。一本のねじれもない、腰まである長髪は、むしろ質素ともいえる衣服と相まって、エレオノール内親王を清楚な少女に見せていた。瞳は澄み切った青で、聖女を思わせる美少女だった。

 先日結婚した、ヴァーゲンザイル辺境伯爵令嬢のセイラムも相当な美少女なのだが、セイラムを太陽とすれば、エレオノール内親王は月である。それも、冷え冷えとした冬の満月を思わせ、とても暴君の一人娘とは思えないはかなげな印象だった。

「こちらに」

 ロレックスが前に出て、エスコートのために腕を差し出した。

 無礼とまではいかないが、内親王相手にかなり思い切った振舞いではある。未婚の女性を迎えるにあたっては、ホスト側の男性の振舞いとしてはあり得ることではあるのだが、相手は内親王であるから、馴れ馴れしいと批判されかねない行為でもあった。ザラフィアが思わず、息子に代わって前に出ようとした時、

「ありがとう」

 とエレオノールは鈴の鳴るような可憐な声でそう言い、ロレックスの腕をとり、エスコートを委ねた。

 息子のいつにない、頬を赤らめた紅潮ぶりに、アンドレイはわずかに険しい顔をしたが、内親王の接遇は家族に委ねて、フラミウス同盟の盟主として残されたジャンガレアッツォ侯爵に向かった。

「まさか貴殿まで、我らに用向きを伝える前にゆるりと湯あみを所望するようなことはないと思うが」

「席をご用意いただきたい。盟主殿とのみ話した方がいいか、同盟諸侯に話すがいいかは貴公に判断を委ねる。某は別に観光に来たわけではないのでね、用が済めばザイール城へ戻る」

「ザイール城か。王都ではないのだな」

 アンドレイがそう言うと、ジャンガレアッツォ侯爵は肩をすくめた。

 ザイール城は権力掌握後、ケイド親王が王都に隣接して建造させている軍事施設で、表向きは王都防衛のための拠点であるが、実際には王都を軍政下に置くための威圧装置である。

 王族たちが王都で見かけられないのであれば、この城の地価に幽閉されているのではないかと推測されていた。

「あのような、拷問の呻き声が絶えぬ場所に還るとは、貴殿もご苦労なことだ」

 アンドレイも、ジャンガレアッツォ侯爵相手ならば一片の礼儀を示すこともない。今更取り繕う気など、フラミウス同盟諸侯にはない。彼らにとって、ジャンガレアッツォ侯爵は弑逆者の片割れであり、民衆虐殺者なのである。


 同盟諸侯とジャンガレアッツォ侯爵が会談した場所は駅舎であり、この会談を歴史的には「駅舎会談」と呼ぶようになる。画家としても著名なフライブルク伯爵夫人が夫に代わってこの会談に列席していたが、後に、この会談の再現画像を描き、その絵は、ヴァーゲンザイル駅の本駅舎に飾られることになった。

 同盟諸侯をまとめ上げ、簒奪された中央権力に毅然として立ち向かう正義の人、アンドレイ・ヴァーゲンザイル。領民向けへの宣伝として、この絵を用いたのである。


 ジャンガレアッツォ侯爵が言った、ケイド親王からの伝達事項は以下のとおりである。


『実情を明らかには出来ぬが、今回の一連の騒動は、敵国の数十年に及ぶ工作の結果であり、既に幾人かの王族が敵国によって殺害されている。存命の王族は余の保護下にあるが、誰が生きていて誰がそうではないかを現時点で明らかにするのは危険が大きい。

このような形で独裁権力を掌握し、行使するのは余としても避けたかったところではあるが、国王陛下、副王陛下の勅に従い、非常の権を振るうもやむなしと受け入れた次第である。

余を権力亡者のように言う輩もいるが、騙されてはならない。それこそが敵国の分断工作である。虚心に余の振舞いを見るべきだ。権力を壟断してもそれを継がせるべき者が余にはいない。権力闘争から身を離すために、力なき下級貴族の娘を敢えて妃に迎え入れたのは他ならぬ余であり、内親王一人が余の子にはいるのみである。我が誠意の証として、余の一粒種を卿らに委ねる。無論、内親王としての処遇は要求するが、余が弑逆者と判明すれば卿らの好きにすればよいだろう。娘を委ねることが余の潔白の証である。

敵国との抗争は最終局面にあり、祖国の地より敵国を追い払うことが出来れば、国王陛下ご自身のお言葉によって、この間の事情を明らかにすることも出来るだろう。卿らに期待するは、敵国の妄言に惑わされることなく、最終武力としてそれぞれの領地に留まり、ボーデンブルク王国軍の展開を邪魔せぬことである。

そもそもの我らの間の齟齬は、余が情勢を明らかにできぬことに端を発し、卿らが王国への忠誠篤いことから生じていることは理解している。卿らの行動が忠義に叶うことは余が保障しよう。

エレオノールは人質ではあるが、我らの間の齟齬をうずめる役目を負う者でもある。余の誠意の証として、また、平和の礎として、エレオノールをヴァーゲンザイル卿が嫡男ロレックス卿の室として嫁がせることを提案する次第である』


 大貴族たちはさすがにいささかも動揺することは無い。

 最大の焦点である王族の解放については出来ぬ、と言い、それをなす合理的な事情説明は避けている。

 事情を明かすことはできないが俺は潔白だから潔白だ、と循環参照トートロジーに陥っているのであり、これ自体がフラミウス同盟の分断を狙う罠である。

 だが、エレオノールを差し出すという思い切った策を示しているのも事実であって、中小の諸侯を含めれば、フラミウス同盟がまったく動揺しないということもあり得ないだろう。

 これだけの譲歩を示しているのだから、あるいは本当にケイド親王の言う通り、何かやむにやまれぬ事情があったのではないか、そう忖度そんたくする者が出てこないとも限らない。


「ケイド親王は西部で10万以上の民衆を虐殺しているではないですか」

 その危険をみてとったフェリックスは、会談の席中、独断で声を張り上げた。ジャンガレアッツォ侯爵は、おまえは誰だ、という訝し気な表情を浮かべたので、アンドレイが「我が末弟のダグウッド辺境伯爵だ」と言葉を沿えた。

 おお、かの有名な財閥創始者ですか、という表情をジャンガレアッツォ侯爵は浮かべて、

「モンテネグロ人さえ保護する寛大なダグウッド卿ならば別の行動をとるのかも知れませんが、戦場にあっては信賞必罰は武門の倣い、反乱者を殺すは当たり前の話ではありませんか?」

 と言った。

 フェリックスについては「民衆に甘すぎる」という悪評が、北東部諸侯の間でもある。モンテネグロ人保護政策など、ヴァーゲンザイル一族、ギュラー一族の間でさえ評判がいいものではない。ここに集まっているのはしょせんは身分制社会の勝者、封建領主たちなのである。モンテネグロ人の名を出すことによって、ジャンガレアッツォ侯爵は、他の面々の領主貴族としての自負に働きかける。実際、何人も頷く者がいた。

 何を言うか、とフェリックスが更に言葉を続けようとするのを、傍らにいたキシリアがさりげなく制した。

「かの公爵一人に10万の民衆が忠誠を誓っていたとは、ずいぶん善政を敷いていたのですね」

「ギュラー卿夫人か。外交の女王とも言われるあなたであっても戦場の機微はご存じないらしい。王国軍にとってかの地は敵地であった。敵軍に呼応する民兵に背後を突かれる恐れがあり、安全を確保するために最善策をとったまで。優秀な将軍が、戦争の実情も知らぬ後方の謀略家たちによって手足を縛られることはまま見られることですが、同盟軍の将軍らも同様の羽目になりそうですな」

 ジャンガレアッツォ侯爵はさすがに海千山千の外交家だった。彼自身、優秀な将軍の手足を縛る後方の謀略家であるのだが、敢えてその構図を描き、キシリアとフェリックスを「後方のやかまし屋」に置くことで、武門の家系の貴族たちの積年の怨念を刺激した。彼らの家系史に、どれだけ中央の、後方でぬくぬくしている政治家連中にしてやられた血の涙で書かれた呪いの言葉が刻まれていることか。

 レドモンド公爵やブランデンブルク公爵ら、この狭い部屋の中で言い争われている会談が、実質的にはプロパガンダ戦であることを見抜いている少数の者たちはため息を吐いた。

 フェリックスの若さが敗因となった。民衆虐殺など、フェリックスが問題視しているほど他の諸侯は問題視していない。フェリックスは元は庶民であった転生者だが、彼らは生まれながらの貴族なのである。

 この根本の世界観のずれが、ケイド親王に彼が望む間までのフリーハンドを与えることになるだろう。ガローシュとの戦線が決着がつくまでは、フラミウス同盟は動けなくなった。

 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る