第44話 エルキュールの憂鬱

 ギュラー辺境伯爵家令嬢、ジュノー・ギュラーは、従姉妹のセイラム・ヴァーゲンザイルの結婚式では、間違いなく新婦の次に注目の的だった。新郎よりは熱い視線を注がれていたのは間違いない。それは新婦のブライドメイドを務めていたからではないだろう。

 ヴァーゲンザイル三兄弟の「娘」としては、唯一残された未婚の娘になったからである。セイラムと同じく、ジュノーも美しかった。

 ジュノーは十二歳、もうすぐ十三歳、言い寄る男たちや、我が子のために道をつけてやろうと話しかけてくる諸侯を上手くあしらっていた。単にそういう社交が上手だっただけではなく、ジュノーはそうした人あしらいを愉しんでいた。

 すでに「女」である。

 他人が自分を称賛するのを聞くのも好きだったし、そうした虚栄をかなぐり捨てて、外交利益確保闘争でやりあうのも好きだった。天性の外交官であり、性格は母親のキシリアに似ている。

 数年前、ダグウッド辺境伯爵家ははっきりと、

「マックスとジュノーを結婚させるつもりはない」

 と、ギュラー家側に通告した。魔法のこともあるので、フェリックスはこれ以上、近親婚を重ねるつもりはなかったのである。ギュラー家としても、「ダメでもともと」の話であって、そこまでこの話にオールインしていたわけではないので、意図的に社交から遠ざけていたジュノーを、一転して社交にどんどん出すようにして、その社交外交の才能を引き出す方向に転じた。


「別にマックスが嫌いと言うわけじゃないんだけど」

 北東部諸侯をもてなすホステス役を立派に務めた後、ギュラー城に戻ったジュノーは、いつものように双子の兄、エルキュールの部屋に入り浸って、取り留めもないおしゃべりをしていた。

「マックスは基本、他人に関心がない子なのよね。どうでもいいと思ってると言うか。あれは元々の性格だから一生あのまんまよ。ほら、ヴェーグの町のマウリッツォ・ギュラー卿っているじゃない。あの人、子供が七人もいるのに、子供の名前も全然覚えていないそうよ。あんな感じよね。赤の他人だろうが身内だろうが、人間に関心がない人っているのよ。ダグウッド辺境伯爵夫人の仕事は面白いかも知れないけどね。まあ、マックスとは破談になってよかったわ。お互いのために」

「そうなんだ。ロレックスも浮いた話を聞かないけど、彼も他人に関心がない人なのかな」

「全然違うわよ。ロレックスは百人いたら百人の、千人いたら千人の人生を抱え込む人よ。ああはなりたくないわね。生まれながら苦労するために生まれてきたような性格だもの。まあ、テンプレ通り、ヴァーゲンザイル家は良い後継者を得ましたね、ってところかしら。北東部諸侯同盟の盟主になるために生まれてきたような人よね」

「でも立派な従兄弟だよ」


 エルキュールとジュノーは双子だから、ただの兄妹よりも強いきずなで結ばれている。二人の間には、側仕えたちや、両親でさえ入り込めない結界のようなものがある。

 この先、誰と結婚し、何人の子を持とうとも、この双子にとってはお互いが一番大事な相手であるだろうし、ジュノーはエルキュールのために生きている。

 それは愛情とは少し違う。

 右半身が左半身を求めるようなものだ。

 エルキュールが誰を愛そうとも、ジュノーが嫉妬することはない。ただ、エルキュールが暴君となって、世界の誰もが忌み嫌っても、ジュノーがエルキュールから離れることは絶対にない。夫や子を捨ててでも、ジュノーはエルキュールの傍らにあり続けるだろう。エルキュールが暴虐の性質を示して、もし両親が辺境伯爵家の名誉と利益のためにエルキュールを廃そうとするならば、ジュノーは何のためらいもなく両親を殺害するだろう。

 それと同じ思いは、エルキュールもジュノーに対して持っている。

 ただ ― 。ギュラー家嫡男という立場は、兄妹の立場の違いを浮かび上がらせる。

 ジュノーはホステスの役割を完璧にこなすだけではなく、楽しんでさえいた。彼女はギュラー家の権謀の血筋を強く受け継いでいる。

 キシリアがギュラー家のために、外交接待をジュノーに任せたように、アンドレイも広義のヴァーゲンザイル一族のために、ジュノーを使える手駒として今回は良いように使い倒した。ヴァーゲンザイル三兄弟一族の次世代はみな優秀だが、権謀に特化しているのはジュノーだけである。

 ロレックスを盟主、セイラムをカリスマ、マックスを天才とするならば、ジュノーは軍師であろう。エルキュールは ― 。

 ジュノーとしても今回の婚礼は好機であり、はりきるべき理由があった。

 普通の娘であっても外交の重要な手駒になり得る。だが、自分を手駒ではなくプレイヤーだと認識させること。キシリアとアンドレイにプレイヤーとしての価値を認めさせること。

 そうすれば ― 。

 他家に出されないで済むかも知れない。

 ジュノーはエルキュールと離れたくないのである。一生独身でギュラー家に残るのが本当の望みだが、そうもいかないならばギュラー一族の勲功騎士爵と結婚するのが次善の策である。

 だが、ヴァーゲンザイル三兄弟一族の唯一残った娘という手駒としての彼女は貴重すぎる。北東部の雄のブランデンブルク公爵家、レドモンド公爵家、ベイベル辺境伯爵家のいずれかに嫁ぐ。それが順当な使い道だ。それを覆すだけの働きを、ジュノーはキシリアとアンドレイに見せなければならない。

 そういう意味では同じ一族であるマックスの元に嫁ぐと言うのは相対的には好都合な案ではあるのだが。

 さっき、ジュノーはエルキュールに、マックスのことを嫌ってはいない、と言った。ジュノーはエルキュールには嘘を言わない。でも本当のことをすべて話すわけではない。

(あの子には、どこか…昆虫を踏み潰す幼児のような残酷さがある。誰も気づいていないけど。たぶんあの子自身でさえ)

 こうして脳内で考える時、(ケイド親王は)、と言おうとして、(マックスは)、と間違えてしまったことがあった。そしてその時、ジュノーは、自分が、ケイド親王とマックスを同じカテゴリーに入れていることに気づいたのである。なぜそんなことをしたのか、今でもはっきりと理由は分からないのだが。


 ギュラー家はもともと、文の家だった。「不実なるギュラー」と周辺諸侯から言われるほど、表裏比興の動きを見せ、それでいて最終的には必ず勝ち組にいる。稀代の外交家を何人も輩出している。

 キシリアはいかにもギュラー家の女当主らしいキャラクターであったし、ジュノーはギュラー家の姫として、いかにもそれらしく育っている。ヴァーゲンザイル家は猪突猛進気味の武の家だったが、アンドレイが諸侯同盟盟主らしい茫洋さを見せているとすれば、それはマダム・ローレイを介してヴァーゲンザイル家に伝えられたギュラー家の血筋ゆえだろう。

 ギュラー家にはコンラートを通して武門の家という側面も強化された。ヴァーゲンザイルの充実した騎士団には及ばないが、あるいは量的にはもちろんダグウッドにははるかに届かないが、費用対効果に優れた精鋭を擁している。

 ギュラー一族内部でも、周辺諸侯の間でも、コンラートへの評価は意外なほど高い。軍事力は使用する時までは真価を発揮しないものだが、ギュラーの軍事力が侮れないと言う評価が、ギュラー家の外交的発言力を増大せしめている。地味ではあるが、ギュラー家飛躍の土台を担っているのがコンラートである。

 エルキュールは文でもなければ武でもない。

 性格的に駆け引きは苦手だし、そういうのはジュノーに任せておけばいいと思う。じゃあ、父の息子として、武芸に励むかと言えば、正直言って弓矢のことにはまったく興味が持てないのである。

 エルキュールが好きなのは演劇で、12歳にしてすでに三本の戯曲を書いていたが、芸術に理解のある母キシリアであっても、次期領主が芸に耽溺するのを容認するかと言えばそういうものではない。

 こういうことでは、コンラートの方が案外理解があり、彼にしてみればエルキュールは次期領主ではなく、息子なのである。自分が政治的存在として徹底していないことを自覚しているからこそ、そういう部分はキシリアに任せて、干渉しないのだが、素直に、子にはやりたいことをやらせてやればいいと思っている。

 子の扱いについては、概してヴァーゲンザイル三兄弟の方が、ギュラー三姉妹よりは「リベラル」で、かくあらねばならぬ、と言いがちなのはこの三家の中ではどれも母親たちであった。

 エルキュールも、家を実際に動かしているのは母であることを知っているのだし、余計なことを言って父に負担をかけるつもりはない。

 世間的に見ればエルキュールも十分に優秀な少年だった。武芸に興味はないと言っても、剣技はすでに一流だし、社交の場に出せばそつなく笑顔を振りまいている。

 だが、従兄弟たち、ヴァーゲンザイル家の嫡男はロレックスで、ダグウッド家の嫡男はマックスなのだ。

 ロレックスはボーデンブルク全土の中でもあの年齢の中では一番優秀な青年だろうし、マックスは優秀とかそうではないとか、そういう尺度を振り切ったところに屹立する天才である。

 比較すればエルキュールは凡庸に見える。

 悪いことに人々の噂は耳に入りやすい。噂はむしろエルキュールに好意的なのである。ロレックスやマックスの外戚になろうとすれば、相当な覚悟が必要になる。振り回されてすりきれてしまうだろう。

 その点、エルキュールは「普通の人」だから、付き合いやすい。あの一族にエルキュールみたいな人がいてくれて良かったね、という話なのだが、他と比べて凡庸だから、付き合いやすいと言われても、この年頃の少年の心が高鳴るか、という話である。

 持てる者の悩みかも知れない。

 エルキュールだって、世間的に言えば、地位もあり、お金持ちの家の子であり、見栄えもよく、頭もよく、周囲から愛されている。そんな人間が悩んでも、軽く扱われるのが関の山、しかし、エルキュールの憂鬱は現実にここに存在している。

 今日も今日とて、人知れずエルキュールは溜息をつくのであった。

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