第43話 姪の結婚
ヴァーゲンザイルからダグウッドへ、そしてダグウッドからヴァーゲンザイルへ。ほとんどとんぼ返りだった。
今回は簡便な鉄道馬車ではなく、敢えてダグウッド辺境伯爵家の財と技術を結集して作られた八頭立ての飾り馬車が六台でヴァーゲンザイルへ向かう。
三の馬車にフェリックスとアビーが乗車し、四の馬車にマックスとマーカンドルフ、イアン・ヒューゲンロックが乗車している。マックスとイアンは年齢が六歳離れているから、同じ年ごろの友人ではなかったが、穏やかで誠実な人柄のイアンを、「兄」としてマックスは慕っていた。
イアンは遊学のためにダグウッドに居住しているのではない。その主要な目的は、ヒューゲンロックの安全を確保するためであったが、ヒューゲンロック・オークショニアのダグウッド支店の経営も飾りの仕事ではない。
北東部や東部の貴族たちは、冬のヴァカンスシーズンをダグウッドで過ごすことが多くなり、ヒューゲンロック・オークショニアのダグウッド支店の商売も忙しくなっている。
滅多に会えない「兄」であればこそ、マックスはここぞとばかりにイアンに話しかけていたのだが、今日はイアンには彼にしかできない任務がある。朝から疲れさせてはいけませんよ、とマーカンドルフが何度もマックスを窘めるのだった。
マックスにとっては、この「兄」が正式に自分の「従兄弟」になる日である。
王都に戻るヒューゲンロックへのはからいとして、ヴァーゲンザイル辺境伯爵アンドレイは、婚約中であった娘のセイラムと、ヒューゲンロックの嫡孫のイアンの結婚を予定を前倒しして行うことを決定した。
イアンは十六歳、セイラムはもうじき十五歳である。この世界では早すぎるということはない年齢だった。
セイラムの両親のアンドレイとザラフィアが結婚したのはアンドレイが二十三歳、ザラフィアが十九歳の時だったので、本当ならばイアンがもう少し経験を積むまで、結婚は数年先でもいいとアンドレイは思っていたのだが、その時まで待っていればヒューゲンロックはおそらくはその時には生きてはいないだろう。
ヴァーゲンザイル城でダグウッド辺境伯爵夫妻とマクシミリアン卿、そして新郎のイアンを出迎えたのはロレックスだった。188センチを超える長身で、ザラフィアに似た美男子であった。
「やあ、ロレックス。会うのは久しぶりだな」
「フェリックス叔父上、アビー叔母上、マックス、イアン、ようこそお越しくださいました」
「諸侯との下工作で忙しくしているらしいな」
フェリックスがそう言った。ロレックスは既にヴァーゲンザイル辺境伯爵家の外交工作を担当している。最近はあちらこちらを飛び回って滅多にヴァーゲンザイルにおちついてはいない。
「まあ、父は人使いが荒いですから。叔父上もよくご存じでしょう」
フェリックスとロレックスは顔を見合わせて苦笑する。もちろん若いうちから経験を積ませるのはアンドレイの親子心である。
この10年で北東部諸侯も世代交代が進み、勢力から言っても、規模から言っても、年齢的にもアンドレイが盟主扱いされるのは当然視されている。アンドレイにそれだけの能力と人望があるのは事実だが、ヴァーゲンザイル一族そのものが雄飛しているのも確かであって、おそらくは次世代の盟主はロレックスに引き継がれる。
使い走りのうちから、ロレックスを諸侯に顔つなぎさせておく。それが将来、ロレックスにとって貴重な財産になるだろうということは、フェリックスもロレックスも分かっている。
「少しやつれたんじゃない? ロレックス。体だけは気を付けるのよ」
アビーは手を伸ばして、数本だけはねていたロレックスの髪の毛を直しながらそう言った。アビーはマックスには結構厳しいのだが、甥姪には教育の責任が無いだけ、ひたすら甘い。もっとも、甘いのはフェリックスもそうで、ダグウッドには孫たちにはめろめろのマダム・ローレイもいるから、ヴァーゲンザイル辺境伯爵夫妻とギュラー辺境伯爵夫妻は、子供たちが甘やかされるのを警戒して、子供のうちはそうそうダグウッドには行かせなかったくらいである。
何しろフェリックスは財にあかして甥姪が遊びに来れば、一年分くらいの玩具を一日で買い与えてしまうのだ。
二組の兄夫婦(姉夫婦)から見て、フェリックスとアビーは駄目親だった。マックスのことも、マーカンドルフが側に仕えていなければ、末っ子夫婦には任せられないとばかりにもっと介入していたはずである。
「だ、大丈夫ですよ。叔母上は心配性なんだから」
さりげなく身を翻して、ロレックスがアビーの手を払うと、アビーが不満げに膨れた。身内の女たちに構われるのを嫌がる思春期少年の心理を、アビーは理解していないし、理解するつもりもなければ尊重するつもりもない。甥は素直に叔母に可愛がられていればいいのである。
「アビー、ロレックスはやつれたんじゃないよ。成長して精悍になったんだよ」
フェリックスはそう言って、助け舟を出した。
実際、フェリックスと比べれば身長はほぼ20センチは高いし、コンラートのようにごつい体型ではないが、すらりと伸びた身体には黒豹のようなしなやかな筋肉がしっかりとついているのが見て取れる。
物腰も柔らかいし、辺境伯爵家の嫡男でなくても、女が放っておかないだろう。
「まあ、ロレックス、おまえは僕と違って女性にもてるかも知れんがね、だからと言って無暗に手出しをしてはいかんぞ。下心がある程度ならまだいいが、下手に本気で惚れられてみろ。厄介なことこの上ない」
「な、なにを言うんですか、叔父上。まったく。もてるなんて、そんなことないですよ」
ロレックスはぷりぷりしながら、マックスとイアンに近寄って、話を切り替えていた。
「あら、意外と奥手なのね?」
「光る源氏、名のみことごとしう、か。いやいやこっちの話。アンドレイ兄さんとザラフィア義姉さんの子なんだから、色恋でそんな器用な真似ができるはずもないよね。奥手なら奥手でさっさと身を固めさせた方がいいかもね。次期盟主の結婚相手となったら、そりゃあもうこれから魑魅魍魎がうごめくことになるからね」
なにしろ生後一ヶ月から縁談が持ち込まれたロレックスである。
北東部諸侯同盟はまだ正式には発足していないが、すでに九割がたには根回しが済んで、参加の意思が伝えられている。
イアンとセイラムの挙式は急な話だったが、北東部諸侯にとっては盟主の唯一の娘の結婚である。無理を承知で駆けつけている。
アンドレイは急な話だし、身内だけで挙行できればいいと思っていたのだが、話が広まればここぞとばかりに同盟と盟主への忠誠を見せつける諸侯の競争になってしまった。あるいは、アンドレイはそれを狙ってやっているのではないか、と。
公平に言えば、アンドレイは意外なほど身内に甘く、身内を政略に利用することがない領主である。しかし、そういう実例が一例もないにもかかわらず、世間の評価はそれとは真逆である。政治謀略の熟練の士、息をするようにはかりごとを巡らす。当然、実子ですら手駒として扱う。そういう風に見られている。
辺境伯爵の娘としてはまず考えられない王都平民との今回の結婚でも、ヒューゲンロックとのつながりが、素早く北東部諸侯をまとめあげる情報の入手につながっている。権力のためならば実の娘をも犠牲にする男。第三者の目から見ればそういう風に見える。
その結果、北東部諸侯は転がり込むようにしてこの結婚にかけつけていた。馬車を並走させ、二台、三台と乗りつぶした貴族も一人や二人ではない。そのためこじんまりと行うはずだったこの式が、意外な盛儀となって、ヴァーゲンザイル辺境伯爵夫妻とヒューゲンロックは応対に追われているという。
ロレックスも花婿を迎え入れるのでなければ、本当はフェリックスたちに付いていられるような状況ではない。
ギュラー夫妻はすでに到着して、ホスト側としてアンドレイとザラフィアを補佐して客人対応しているという。それどころか、12歳のエルキュールとジュノーでさえ、応対に駆り出されているらしかった。
一日早くヴァーゲンザイル入りしていたマダム・ローレイは、花嫁の準備手伝い担当である。ザラフィアがそういう細々とした仕事に向かないのは誰もが知っているので、そういう仕事はマダム・ローレイの担当である。孫の初めての結婚式に、マダム・ローレイもはりきっている。
「僕もがんばるよ」
マックスもやる気十分である。だが、フェリックスはこころもとない。不安げにロレックスを見ると、
「私の近くに置いておきますから。ダグウッド家の嫡男も面通しにはいい機会でしょう」
とロレックスが言うので、マックスはロレックスに預けた。イアンは控室に案内され、フェリックスは客人対応に合流した。
アビーは花嫁の準備の手伝いに向かう。
アビゲイル・ダグウッドの初姪の結婚式なのである。ここぞとばかりに高価なアクアジェル宝飾を持ち込み、式が終わればそれはそのまま、ダグウッド家からヒューゲンロック家への贈り物になる。
「フェリックス」
忙しい中、わずかな時間をひねりだして、アンドレイがフェリックスに近寄ってきた。
「ヴァンダービルのことだが、話は聞いた。あれほどの異才が抜けるのは残念だが」
「彼には彼の信念があり、しかも立派な信念です。決して曲げはしないでしょうし、曲げさせることも出来ません。しかし僕にも譲れないものはあります。今度のことは否応なく道が離れてしまっただけです。どちらが悪かったという話ではありません。今度の件の区切りがつけば軟禁は解きます。彼も今更、鉄道を返すと言われても意地でも受け取らないでしょうが。きっと別の事業でも始めるでしょう。止まったままではいられない男です。資金はダグウッド銀行に頼らなくても、今の彼にはうなるほどのカネがあるわけですし」
「おまえには無理をさせる。すまない」
フェリックスは笑った。
「なにがおかしい?」
「いや、アンドレイ兄さんらしくないなと思って。いつも平然として無茶ぶりをしてくるのに」
「無茶なことは、滅多に、絶対にとは言わんが滅多に言わんぞ? 実際こなせているだろうが。ヴァンダービルは面白い男であったな。なにに自信があるのか知れんがいつも自信満々で。おまえには友であったのだろう? 申し訳なく思っているのは本当の気持ちだ」
「友だからこそ、ヴァンダービルも分かってくれていると思います。友だからと言って、原理原則を曲げてくれるような安い男ではありませんが。それに、百人の友であっても、兄さんの代わりにはなりませんよ」
「そうか」
アンドレイはぶっきらぼうに言ったのだが、恥ずかしかったのかも知れない。
式の間、ヒューゲンロックは滂沱の涙を流しっぱなしであった。無理な日程だったが、この老人のために式を挙行して良かったのだと、身内の誰もがそう思った。
数々のアクアジェルに飾られたセイラムは、輝く太陽のようだった。美しいのもそうだったが、生来の活発な気性を抑え込まれるなく、のびのびと育った彼女は、真夏の満開のヒマワリのように、生のオーラに包まれていた。生まれながらの女王であるかのような、一点の曇りもない天真爛漫さに、思わず膝を折りそうになった諸侯はひとりやふたりではない。
一方、新郎のイアンはひたすら地味だった。優し気な表情は、誰をも穏やかな気持ちにさせたが、それだけと言えばそれだけだった。
まあ、美男と言えなくもない。
まあ、好感が持てると言えなくもない。
まあ、上品に見えると言えなくもない。
可もなく不可もなく、である。生まれながらのモブとも言えるイアンに、身分のことは置いておいても、釣り合いがとれない夫婦ですな、と陰口をたたく者たちもいたのだが、セイラムの身内は全員知っている。
この地味な男がいればこそ、セイラムは生きる力を得られているのだ、と。
互いに愛し合う、若い夫婦の誕生だった。
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