第42話 領主権力

 ハナミズキの旗が赤の塔にはためいている。

 ダグウッド城の城主の執務室に、執事長のクインタス直々に案内された男は、恭しく主に一礼した後、勧められるよりも前にソファに腰を下ろし、忙しく、パイプに火石を落とした。

 この世界にもタバコがある。タバコの害は研究してみなければ分からないが、基本、良くはないだろう、とフェリックスは思っている。自分ではタバコは吸わないのだが、紳士の嗜みとされていて、どこであれ応接用にタバコ用具が置かれてある。

「今日は何のお呼び出しでしょうか?」

 尊大ともいえる態度のこの男は、ヴァンダービル鉄道の創業者にして社長、ヴァンダービルである。態度は尊大なのだが、当人の意識の中ではそれほど尊大ではない。尊大の程度が「高い」ので、この程度であればむしろへり下っている方なのである。当人的には。

 ヴァンダービルは最初からそう言う男だった。夢と野心だけがあって、ほとんど無一文に近く、融資を頼みにフェリックスの前に現れた時でさえ、その辺の公爵よりも尊大な態度だった。近年になって急に偉ぶったわけでもなく、相手を見て態度を変えるわけでもないので、フェリックスも別に腹は立たない。

 煙をふかしながら、フェリックスの傍らに立つ男を、ヴァンダービルは横目で見る。

「軍務総監殿まで立ち合われるとは、なかなか剣呑ですなあ」

 この部屋には、他に、アグネスとリュッケ、そしてルークがいる。フェリックスの親衛隊長のアグネスと、秘書官のリュッケがいるのは当たり前であり、いつものことであるが、ルークがヴァンダービルとフェリックスの面談に立ち会うことはほとんどない。マーカンドルフ、ガマ、そしてカイが立ち会うことは業務的にはあり得ても、軍事畑のルークは鉄道事業には関与しないからだ。

「しかしアイリスハウスでではないのですな。あちらの方が簡便でよろしいですなあ。ダグウッド城は入り組んでいて、ややこしくて、ここに来るだけでも目が回りそうでしたよ」

「まあ、私自身、アイリスハウスの方が気が楽なんだけどね。ダグウッド城は意図的に迷宮のように作ってあるし、出入りに時間がかかるのも確かなんだけどね。ただ、ここは正式な領主館だから」

「領主閣下としてのお話ですか?」

「そうだ」

 ヴァンダービルはわずかに居ずまいをただした。微妙な違いで、余人には分からなかっただろうが、フェリックスには分かった。

「ところで西部の騒乱だが。鉄道への影響は?」

「設備的な損害はほとんど出ていませんな。もともと、西部では主要幹線以外には敷設が進んでいませんから。貨物輸送の大幅増で、収益ベースで前年比の2.5倍は確実に見込めます。次年度は建設計画を前倒しして…」

「西部への鉄道増設は様子見して欲しい」

「は?」

「ケイド親王ににらまれない程度の現状維持、それで手を打ってくれ」

「ちょっと待ってください、ここは稼ぎ時で、鉄道の更なる飛躍の好機ですよ?」

「それは分かっているが。卿が西部へ送る兵や物資を使って、ケイド親王が何をしているか、まったく知らぬわけではあるまい?」

「…かの公爵領のことですか? 反乱分子を排除したと言う話ですが」

「住民の九割にあたる三万人が反乱分子だったらしいね、ケイド親王にとっては。概して評判が悪く、住民からも忌み嫌われていたカサンドン公爵の没落に、それだけの住民が死ぬまで戦う覚悟を示して殉死したというのも奇跡みたいな話だね。それも成人男性だけではなく、女も子供も、赤ん坊までことごとく」

「…そういう話を掴んでいらっしゃるのですか?」

「うちは財閥だからおのずと情報は集まってくる」

「ケイド親王は国軍を率いていますが。実際にガローシュとは交戦状態にあり、戦争遂行は国策ですが、これに協力してはならないと?」

「それはケイド親王個人の政策だ。国王陛下が公に臨御なされて、諸侯にご自身の策として誰の目にも分かるように勅を下されたわけじゃない」

「ガローシュ軍が攻め込んできたのもケイド親王の政策ですか?」

「…外交政策でやりようはある。敵軍に蹂躙されるよりも甚だしい損害を民衆に与えておいて、祖国防衛もなにもありはしないではないか」

「その民衆が熱烈にケイド親王を支持しているようですが。北部西部での親王の人気は高まるばかりのようですよ。積年の腐敗を一掃し、貴族に暴政の責任をとらせ、平民であっても能力のある者を抜擢する。私は彼が閣下によく似ていると思ったのですけどね。北部西部でのケイド親王の人気ぶりは閣下の財閥からは報告があがっていないのですか?」

 ヴァンダービルが言っているのは事実であった。ケイド親王の独裁的な手法はポピュリズムと相性がいい。彼は、中間層を共通の敵とすることで、民衆のルサンチマンを刺激する。

 フェリックスの中の人は、地球の歴史の中で似たような例をいくつも知っている。ある新興宗教の長は、集会で幹部らを一般信徒の前でこき下ろすことで平の信徒と直結し、それが民衆動員力となって彼の権力を支えた。

 造反有理 ― である。

 王族と言う伝統的な制度の中に生まれて、飼いならされた教育を受けてきたはずのケイド親王が、こうした野生の勘を持っていることに、フェリックスは背筋が震える思いがした。数百年の停滞と平和の後で、ボーデンブルクはそうした政治的パラノイアたちを処理する経験を蓄積させていない。

 海千山千の詐欺師の前に置かれた、田舎の純朴な老人のようなものである。

「卿は、ケイド親王を支持するのか?」

「私が支持するのはヴァンダービル鉄道のみですよ。私の会社は政治には関与しません。まして政治闘争には与しません。経済で以て民を救う、それは閣下がおっしゃったことですよね? 鉄道は鉄道です。誰を運ぼうが、何を運ぼうが、それを問わないことが結局は民衆の利益につながるはずです」

「もし私がケイド親王と戦う、ヴァンダービル鉄道は、ケイド親王に協力してはならない、ダグウッド辺境伯爵家の統制下に入れ、と言ったら?」

「…どうかそのようなことはお命じにならないでください。ダグウッド財閥の初心を忘れないでください。閣下を支持する民衆も、ケイド親王を支持する民衆も、同じ民衆であるはずです。ダグウッド辺境伯爵家という政治存在に引きずられないでください。財閥は、ダグウッド辺境伯爵家からも独立すべきです。閣下はこのことをよくお分かりだったはずではありませんか」

 元々、目つきの悪いヴァンダービルである。しかしその灰色の瞳は、一点の曇りもなくしっかりとフェリックスを見据えた。

 フェリックスは思わず顔を逸らした。そしてしばらくの沈黙の後、立ち上がり、バルコニーに通じる両開きの掃き出し窓のところまで歩いていき、中庭を眺めた。しかし実際にはフェリックスは何をも見ていなかった。見ていたのは、自身の心だけである。

「…ヴァンダービル鉄道第二位の株主として、ヴァンダービル鉄道社長に要請する。ケイド親王の要請を退け、彼の影響下に置かれた地域での事業拡大を凍結して欲しい。また、ダグウッド辺境伯爵およびその盟友たる北東部諸侯に最大限の便宜を図り、戦略物資の輸送に全面的に協力して欲しい」

「…ヴァンダービル鉄道第一位の株主として、同社の最高経営責任者として、社長として、ご要請を拒否します。ヴァンダービル鉄道はいずれの勢力にも与することはありません。これまでも、これからも」

 フェリックスは振り返って、ヴァンダービルを見た。その表情は悲し気で、泣きそうだ、とヴァンダービルは思った。

「ダグウッド辺境伯爵として領民ヴァンダービルに処分を通告する。卿の言動は、ダグウッド辺境伯爵領の生存を致命的に脅かすものであり、反逆罪に相当するものである。よって卿の身柄を拘束し、卿の財産のうち、ヴァンダービル鉄道発行株式の2%を収公する。

 これにより、私、フェリックス・ヴァーゲンザイル・ダグウッドはヴァンダービル鉄道における最大株主となる。株主権限として、卿をヴァンダービル鉄道の最高経営責任者、ならびに社長の職から解任する。後任には、ダグウッド銀行頭取のモンマルセルに当面兼務させる」

 ヴァンダービルはうろたえることなく、立ち上がり、完璧な紳士の礼で以て、フェリックスに一礼した。

「魂で結びついたはずの私たちの友誼がこのような形で終焉するのは非常に残念です。しかしこれもまた人生というものでしょう」

 ルークは一歩前に出て、ヴァンダービルに通告した。

「ダグウッド辺境伯爵領軍務総監、勲功騎士爵ルーク・ベルンシュタインである。卿の邸宅は既に領軍の制圧下にある。これより卿を連行し、処分対象となった株券を引き渡してもらう。卿はそのまま自宅軟禁処分となる」

「ご随意になされるがよかろう。犬には犬の使命があるのだろうから」

 ルークが表情を変えることはなかった。


 ヴァンダービル鉄道が名を変えることはなかった。だが、この時に、ヴァンダービル鉄道の疾風怒濤の時代、あるいは黄金時代ははっきりと幕を下ろしたのであった。即興的な天才経営者の指揮を失い、ヴァンダービル鉄道はやがて競合他社の後塵を拝するようになってゆく。

 それが誰の目にも如実に明らかになるのはもう少し先の話である。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る