第40話 西部の騒乱

 ボーデンブルク王国は周辺諸国の中では東に寄った位置にある。大雑把に言えば西の方が文明が古く、ボーデンブルク王国自体がそもそもを言えば開拓地だった。

 辺境伯爵という爵位はボーデンブルクの中でも東部、北東部に集中して見られるが、頭部と北東部が元々の辺境だったのだから、当たり前と言えば当たり前である。

 辺境伯爵という爵位が実際に見られるドイツの実例を見れば、本来的な意味でのドイツは元々は東フランク王国であって、それは東西冷戦時代の西ドイツの領域とほぼ一致する。

 ドイツ圏の二大首都であるベルリンとウィーンは、そもそもはドイツではなかったのである。その両首都は、ブランデンブルク辺境伯爵家の、あるいはオーストリア辺境伯爵家の首府として発展していったものであって、辺境伯爵という立場がどのようなものであるのか、そのことを踏まえればおぼろげにイメージがつかめるのではないだろうか。

 つまりは開拓政庁が辺境伯爵のそもそもの機能であって、辺境であるからこそ、自治独立と権力の集中が進んだ。ベルリンとウィーンの大都市化はその最終的な結果である。

 シャルルマーニュの王国の根本がゲルマンとガロ・ローマンの融合にあるとすれば、東フランク王国はその枝葉に過ぎない。心臓を抱えていたのはフランス、つまり西フランク王国であった。

 それと同じような意味で、この異世界においても、文明の本道は西方諸国が担っているのであって、ボーデンブルク王国は辺境に過ぎない。東部、北東部となれば魔域に隣接する文字通りの辺境である。

 この世界における文明の揺りかごとも言える西方諸国で、騒乱の種がまかれようとしていた。


 ガローシュ王国は人口においても国力においてもボーデンブルクに数倍する。大国ということはままならないこともあって、それは近隣諸国がすべて相対的な大国を仮想敵扱いすることである。

 大国に接した中小国がとる戦略としては、封じ込めか追従かのふたつの戦略があって、追従戦略はリスクが高い。追従者に飴を与える強者などそうはいないからである。それが成り立つ場合は、国論が統一されている、いざとなれば徹底抗戦の覚悟がある、経済的な富裕さよりも独立に価値を置く、等々の前提条件が必要になるのだが、そこまでするよりは諸国と連合して封じ込め策をとる方がいい。

 ガローシュ王国は大国でありながら、あるいは大国であるからこそ、数百年に及ぶ外交的孤立にもがいていたのだが、ボーデンブルクの相対的な成長が、この外交環境を破壊する好機となった。

 ボーデンブルクは準大国だが、相対的な小国から見れば大国である。ボーデンブルクは事実上の連邦国家であって、中央政府の統制力は著しく弱い。それでいて今まで外交政策が統一されていたのは、「弱者にはそもそも選択肢が少ない」からであって、極めて強大な王権を持つガローシュ王が君臨することを、ボーデンブルク諸侯は誰も望まなかったからである。

 ダグウッドに端を発した経済成長は、ボーデンブルク国内に産業革命の連鎖を引き起こし、それらは近隣諸国の産業に壊滅的な打撃を与えつつあった。外交的な利益の前に、経済的な覇権を慎む、つまり事実上の輸出制限をすることも、中央政府が強力であれば可能だったのかも知れないが、諸侯がそれぞれのエゴイズムで動くボーデンブルクでは不可能なことだった。

 こうした経済的な摩擦が、傭兵を用いての武力抗争に嵩じることもしばしばあって、ボーデンブルク周辺国にとって、ボーデンブルクの脅威は、ガローシュ王国のそれよりも強まりつつあった。

 これを見逃すガローシュ王国ではない。

 包囲網の決壊に目をつけて、ただちに軍事行動を開始した。

 ケイド親王は国軍総司令官に就任し、ガローシュ王国の侵攻に対して、北部諸侯と西部諸侯に動員令を発動、ガローシュ王国の侵攻を阻止したのだが、ひとたび入手した軍権を手放すことはなかった。


「カサリンドン公爵家が廃されたそうでっせ」

 ガマは商業部門の責任者である。ある意味、一番耳が早い。

「まさか、あの大領主が?」

 マーカンドルフが疑問の呈を示す。廃されて、そう簡単にはいそうですかと納得する相手ではない。領地の隅々まで地縁血縁が張り巡らされている。カサリンドン公爵家を廃せば、民衆暴動が起きるはずだ。

「ここだけの話、数万人が殺されたっちゅう話もありまんな」

「ケイド親王がそこまでの統制力を持てるものだろうか」

 フェリックスの疑問に、ルークが口を開く。

「大幅な統制変更を行っているようです。領主たちはすべて親王の幕下におき、諸侯の軍勢は部隊ごとにパッチワークのように組み替えられているとか。諸侯軍ではなく今や国軍です。西部での虐殺には主に北部の軍勢が関与しているとか」

「まあ、北部の連中にしたら、西部のもんもガローシュ人も似たようなもんですからなあ。ガローシュに内通してるから殺せと言われれば、殺すやろ」

「同じことを東部、北東部でやられたら、どうなると思う?」

 フェリックスは聞いた。

「希望的観測かも知れませんが。東部、北東部は辺境です。中央から支援がないまま自分たちで開拓してきた土地です。互いに張り合っては来ましたが、それだけに血縁も絡み合っています。いざとなれば助け合わないと生きていけない土地です。西部ほど容易には切り崩されないでしょう」

 ルークの言葉にフェリックスはうなづく。

 あるいはだからこそケイド親王は、北東部を後回しにしているのかも知れない。ここにはダグウッドがいるのだから。

「アンドレイ兄さん、コンラート兄さん、キシリア義姉さんと話がしたい。至急、ヴァーゲンザイルで会合が開けるよう段取りしてくれ」

 若年ゆえにこれまで発言を控えていたカイに、フェリックスは指示を出した。この場にいるのは、フェリックス、マーカンドルフ、ガマ、ルーク、カイの五名である。

「数日後、ヒューゲンロック氏がダグウッドを来訪する予定です。ヴァーゲンザイルで摑まえることができるでしょう。王都での情報はかの御仁に聞いてみないと、よく分かりません」

「そうだな」


 翌々日に、ヴァーゲンザイル城で緊急の親族会議が開かれた。

 ヴァーゲンザイル、ギュラー、ダグウッドの三辺境伯爵夫妻と、それぞれの家から数名の最高幹部が臨んでいる。

「なんでも数万人が殺されたとか」

 口火を切ったのはキシリアである。

「領主を処罰するならばまだしも、領民まで累を及ぼすとは、気が狂っているとしか思えぬ」

 アンドレイがそう言った。

「北部と西部の諸侯はなぜ王太子に唯々諾々と従っているのだ?」

 コンラートが疑問を呈した。

「西部と北部には魔物と言う共通の敵がいないわ」

 ザラフィアが指摘した。

 ザラフィアは細かい政務には関わらないわりには妙に本質を突いた指摘をすることがある。

「頭の言うことに、手足が従うとも限らぬ、か」

 アンドレイが嘆息して言った。

「手足を裏切ったのは頭なのではなくて?」

 キシリアが言った。

 北部、西部は豊かで安全な土地である。豊かさとは、無能を許容できる余裕である。北東部、東部では、愚かな領主は、魔物の脅威を呼び込み、身代を維持できない。隣の領地の領主が無能であれば、火事が類焼する可能性も高い。周辺領主が一致して圧迫して、無能な領主を引きずり下ろす。

 だが、北部と西部はその動機が働かなかった。空虚な虚礼のみが蔓延し、領主たちは民生を蔑ろにした。

「手足を失って立っていられる者など誰もいないわ」

 アビーがつぶやく。

 ケイド親王は、西部、北部の中間管理層に直接働きかけたのだ。俺に忠誠を尽くせ、と。領主の上にいるのは俺だから謀反にはあたらない、と。バカな領主と違って俺はおまえの働きをしっかりと見ているぞ、おまえを知っているぞ、と。

「中間層に働きかけるのはいい案かも知れませんが、民衆を虐殺してそれこそ立っていられるのでしょうか?」

「民衆じゃないわ。生贄よ」

 フェリックスの言葉に、キシリアが言った。

「どういうことでしょうか?」

「非常に嫌なことを言うわよ。集団をまとめるためにはてっとり早い方法は集団内部に生贄を作ることよ。いじめなんてのはその最たるものよね。いじめがない人間集団なんて無いわ」

「ギュラー伯爵夫人はさような手法を好んでおられるのか?」

「よしてよ、アンドレイ。こんな時まで嫌味を言うのはやめて。ギュラー家、ヴァーゲンザイル家、ダグウッド家はかなりまともな集団よ。私たちがそういう手法を好まないのはみんな分かっているわよね? でも、まともな人間がつまづきやすいのは、他人もまともだと思い込んでしまうからよ。私たち貴族が他家のことに冷淡なように、民衆だって他領の民衆に冷淡よ。同じ民衆だなんて思ってないわ。ケイド親王がそういう風に分断してるのだもの」

 沈黙が夜のとばりのように下りた。

「南部の動向は、ダグウッド財閥の情報では右往左往しているだけのようですね」

 フェリックスが言った。

「あそこは西部より更にまとまりがないからな。ケイド親王に各個撃破されるだろう」

 アンドレイが言う。

「我々三家が結束するのは当然として、北東部諸侯の動向はどうなるだろうか」

 コンラートが言った。

「すでに私が動いている。おおむね北東部諸侯はまとまって動けるだろう。何かあればダグウッドの軍事力はおおいに期待されている」

 アンドレイの言葉を受けて、フェリックスがルークに発言を促した。

「ただちに動かせる兵力は?」

「一万から二万というところですね。動員をかければ五万は可能でしょう」

「忠誠心は期待できるの?」

 ザラフィアの問いに、ルークは頷いた。

「忠誠心を期待できる者のみを選んでの結果です。モンテネグロ人師団の創設を急がせています。こちらは五千人程度になる予定ですが、適切な表現かどうかは分かりませんがどのような命令であれ絶対に従う兵力です。ゾディアック王党を皆殺しにしろと言えばするでしょう」

「アンドレイ、北東部諸侯軍、東部諸侯軍、合わせてどれくらいになる見積もりかしら?」

「無理ない動員で十五万くらいだ、キシリア」

「ケイド親王軍の規模は?」

「三十万程度だろうか」

「数で劣るわね」

「だが我々にはマルイモがあるからな、増産はすでにすすめておろうな、フェリックス」

 マルイモがある限り、兵糧不足になることはない。

 フェリックスはカイを見た。

「至急の増産を急がせています。例年の倍以上の生産を見込んでいます」

 カイが言った。

「現状はともかくは結束の強化と防衛ラインの建設だな。前線に要塞を築く。鉄道にも協力してもらう」

「ヴァンダービルにも言っておきましょう」

 フェリックスはアンドレイにそう言った。

「よろしいでしょうか」

 マーカンドルフが発言許可を求める。議長役のアンドレイが頷いた。

「可能であればエンギラス副王陛下をダグウッドにお迎えするてはずを整えるべきです。アヴェラード王家の方々に接触を図っては?」

「王都の情勢は…ちょうど到着したようだ。来た早々で申し訳ないが、報告してもらおう。ヒューゲンロック殿をお通しせよ」

 王都情報の専門家が、入室したのであった。

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