内戦編

第39話 インペリアル

 ダグウッドの人口は五十万人を越え、とうにボーデンブルク最大の都市になっている。市域は、かつての西岸地区が一割、東岸奥地に向けて拡大を続けている。


「ただいまーっ! 楽しかったー!」

 そう言ってダグウッド城に戻って来たのはマクシミリアン。この巨大領地の跡を継ぐべき少年である。

 まるでサマーキャンプから帰ってきたかのような様子だが、前人未踏の魔域奥地に入り込んで、魔法訓練を続けていたのだった。

 当人は元気いっぱいなのに、付き添いで付き従ったマーカンドルフは疲労困憊で帰って来た。


 マックスがひとしきり母親のアビーに甘えている横で、

「お疲れさん。どうだった?」

 とフェリックスはマーカンドルフに尋ねた。

「どうもこうも。山を一つ吹き飛ばしましたよ、若君は」

「だってー、あれが無かったならもっと行き来がしやすいじゃん?」

 マックスがアビーに抱き着きながらそう言うと、マーカンドルフは、キッ、と睨んで、

「誰もそんなことをしてくれとは頼んでいません!」

 涙目になりつつ怒る、という珍しい表情を浮かべた。

 五年前に、マーカンドルフはダグウッド辺境伯爵家の冢宰職を勇退した。後任には、ダグウッド銀行頭取だったカイが充てられている。以後、マーカンドルフはマックス専属の家庭教師になっていたのだが、彼が直々にそれをやらなければならないほど、マックスはあぶなかしいのである。

「ダメだろ、マックス。お父さんは、あれほどマーカンドルフの言うことをちゃんと聞きなさいって言っておいたよね?」

「ちゃんと聞いてたよ、僕。お山のことは、みんな喜んでくれると思ったの」

「そう思って実行する前に、必ずマーカンドルフに確認しなさい」

「はーい。でもね、お山を吹き飛ばして、気持ちよかったー」

 その言葉を聞いて、アビーは表情を固くした。

「ねえ、マックス。お父さんもお母さんも意地悪で言っているんじゃないの。あなたが自分の力をコントロールできないなら、ここに置いておくわけにはいかないのよ? わかるでしょう? 山を吹き飛ばすくらいの魔力爆発がダグウッドの街中で起きたら、どれだけの人が死ぬのか」

 そう言われて、とたんにマックスは泣きそうな表情になった。そういうところは、まだ十歳の年相応の子供である。

「僕、力を出さないから、よそにやらないで」

 泣き出したマックスをあやしつつ、もう寝かしつけるわ、とアビーはマックスを連れて居間から出ていった。


 フェリックスとマーカンドルフは互いに顔を見合わせて、どちらともなくため息をつきながらソファに向かい合って腰かけた。

「まあ、山をとばすのはともかく、溜まった魔力は放出させなければなりません。まさか山を吹き飛ばすとまでは思いもしなかったのですが」

「マックスの魔力はまた強まっているみたいだね?」

「魔力吸収の魔道具もあてがっているのですが。あれほどの魔力の持ち主は、過去に例がありません」

「どうしても、ダグウッドから外に出すわけにはいかないな」

 ダグウッドであれば、前人未到の魔域が近い。そこでなら魔力を発散させることが出来る。

「今の様子では、長くても半年、それ以上はダグウッドから離れるのは危険です」

「しきりに王都では招待もされているのだけどね」


 もっとも、今のフェリックスは何かを求めて、あるいは何かを調整するために王都に赴く必要はなくなっている。ダグウッドを訪れる王族や貴族たちでさえ、すべてを相手にすることはない。マックスもまた、どういう招待であれ無視しても構わない立場である。ダグウッド財閥の継承者なのだから。

 フェリックスとアビーに間にはついに第二子は出来なかった。もともと魔法使いは子を残しにくい。魔法使い同士となればなおのことである。フェリックスの考えによれば、ギュラー家もヴァーゲンザイル家も潜在的には魔法使いの家系である。アンドレイの家も、コンラートの家もそれぞれ二人の子を授かっている。これはかなり奇跡的なことだとフェリックスは思う。

 ましてマクシミリアンが生まれたことは、奇跡中の奇跡である。同じことはたぶん二度はない。それはフェリックスもアビーも覚悟をしていた。

 実際問題、子は多く欲しいとしても現状は痛し痒しである。マックスのような子が他にいればとても対応しきれない。今でさえマーカンドルフがつきっきりになっているのだ。マーカンドルフは二人はいない。

 ただ、貴族としては、それも王家をもしのぐ勢いのダグウッド辺境伯爵家としては、次世代の婚姻政策に使える手駒が一人しかないという状況である。

 別に今更婚姻政策に頼らなければならないわけではないが、向こうから迫ってくるのだ。ギュラー家は身内だが、その身内でさえ、辺境伯爵令嬢のジュノーをマクシミリアンの室にどうかと詰め寄ってきている。

 ヴァーゲンザイル三兄弟とギュラー三姉妹はそれぞれ従兄妹結婚をしているわけだが、この上さらに、ジュノーとマックスで従姉弟結婚をさせるつもりはないフェリックスである。近親婚云々は、リスクに対して過剰に警戒が過ぎるとフェリックスは思っていて、それで言うならばサラブレッドなどは近親結婚の極みであって、それでいて支障は出ていないのだから、近親婚だからとタブー視するつもりはない。しかしこの三家の場合は、魔法使い因子の問題がある。

 ジュノーも潜在的には魔法使い因子を持っているであろうし、そうなればマックスとの間に子を望めない可能性が高い。

 別に今となっては、自分とアビーは魔法使いですと打ち明けたとしても、それぞれギュラー家とヴァーゲンザイル家に拘束される恐れはないフェリックスではあるが、魔法使いとしてもダグウッド家三人の力量は規格外すぎる。どう考えても軍事的な脅威であり、今となっては無い方がいい能力なのだ。

 寄せられる縁談をかわすだけでもフェリックスは苦労している。

 こういう場合は普通は、「うちの子は無理ですが、一族の子や、幹部家臣の子弟なら紹介できますけど」と言って、脇に逸らすのが常道なのだが、ダグウッド家には一族はいないし、幹部家臣はそもそも結婚をしておらず子弟もいない。どう言葉を尽くして勧めても、マーカンドルフもガマもルークも独身を貫いていた。

 三者三様に考えがあってのことだから、フェリックスもそれ以上は干渉は出来ない。カイには某公爵家令嬢との婚姻話があったのだが、貴族との結婚に恐れをなして、カイはさっさと幼馴染の女の子と結婚してしまった。


 ダグウッド銀行が独自試算した計算では、ここ数年のボーデンブルクの経済成長率はずっと二ケタを超えている。急速に貧困は撃退され、経済成長はすべてを癒すとの言葉通り、諸問題も抑制されていた。

 諸外国から見れば二つの意味でのキョウイ、つまり脅威と驚異なのだが、そのからくりの根本が、ダグウッド銀行券の流通によるマネーサプライにあるとは見抜けていない。タネ自体は簡単なのだが、経済学の素養が無いところでは、理解することが難しい。


 マネーサプライのてこ入れも手に入れた以上、ダグウッド辺境伯爵家は無理に過剰消費に走らなくても良くなった。質素とまでは言わないが、わりあい落ち着いた暮らしをしている。

 ダグウッド城は政庁として活用しつつ、その向かい側に、アイリスハウスという小規模な館を作り、フェリックス一家はそちらに移っていた。小規模と言っても部屋数は十三あるのだが、大貴族の邸宅としては「離れ」のようなものである。

 財閥創建としては、フェリックスはやり切った感があるので、ここから先は守成のつもりである。ダグウッド辺境伯爵家は、というかダグウッド財閥は、ボーデンブルクの喉ぶえどころか、心臓も鷲掴みにしている状況なのだが、そうでればこそここから先はなるべく目立たないに越したことはない。

 そうでなくとも、あの事件の背後にはダグウッド家が!とやってもいない陰謀の主犯にされがちなのである。世の陰謀論の九割は嘘八百だが、中には真実も含まれている。だから陰謀論を陰謀論だからと退けることも出来ず、厄介なのだ。

 フェリックスが「ダグウッド」の名を示威的に誇示しなければならなかったのは、ダグウッド銀行券に信用を与えるためだったが、既に流通している以上、誇示する必要はない。ダグウッド銀行を除いて、財閥の傘下企業からはダグウッドの名が外されて改名され、小売業は同じ企業でありながら複数の屋号で営業させていた。名前がダグウッドでなければ、案外、ダグウッド財閥傘下とは気づかれにくいものだからだ。


 ダグウッド財閥は既に帝国であったが、フェリックスはなるべく身を隠そうとしていた。


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