第36話 ファンケル荘

 王都タウナスは、厳密に区画整理された人工都市である。

 北端の中央に王宮があり、王宮を囲むかたちで親王・大公たちの邸宅が配置されている。

 北から順に東西に、一の筋、二の筋、と刻まれ、貴族街はだいたい四の筋、五の筋まで、五の筋、六の筋が繁華街で、そこから数を重ねるにつれ庶民町になり、十の筋を越えれば郊外になる。

 基本的には筋の数が若いほど、地価が高く、大貴族たちはだいたい三の筋までに屋敷を構えている。領地貴族の王都屋敷は、三の筋に多いのだが、ヴァーゲンザイル伯爵家、陞爵してヴァーゲンザイル辺境伯爵家となったのだが、古い家系であるためか、その邸宅は一の筋にある。

 そこに隣接する建物は、ファンケル荘と言うのだが、名前は素朴だが実際には宮殿というべき規模で、ここ十数年は王家預かりの、空き家になっていた。


 ファンケル荘は、元々は北部の雄、クルーガーラント公爵家の王都屋敷だったのだが、十数年前、同家が隣国と結んで乱を起こす兆しがあったため、他の北部諸侯と北東部諸侯が連合して兵を上げ、同家を打ち滅ぼすという事件があった。

 豊かで広大なクルーガーラント公爵領を巡っては、勝者ハイエナたちの分捕り合戦で内戦になりそうであったので、妥協として王領に組み込まれ、ケイド親王が実質管理をしている。

 ケイド親王は四十代の働き盛りで、新王の嫡子であり、新王と新副王が老齢で、アヴェラード王家から出た新副王太子がまだ少年であることから、ここ十数年は王家の権力を一手に握っている。また、それだけの力量がある人物である。

 今回の王位継承では、王太子に上げられた。ただし、王位を継ぐのは副王なので、順序としては次の次の国王ということになる。

 新国王に即位したウェンブリーは、中立であるべきため、ゾディアック家当主の座を離れ、ケイド親王がゾディアック王家の当主にもなっている。

 地位もあれば力量もあるのをいいことに、ケイド親王は旧クルーガーラント公爵領を事実上私物化していた。

 アヴェラード王家が臍をかんでも、領地経営のための官僚組織がない彼らには手も足も出せない。ケイド親王は若い時から、私設官僚団を組織していたので、同領を統治できるのだ。

 何しろ、公爵領三四個の上りで、中央政府全体のかかりを賄っているところに、北部の雄とも言われるほどの公爵領を一個人が私物化できているわけであって、ケイド親王派は末端貴族にいたるまで富裕な生活が出来ていた。

 重要なのはケイド親王派は、ゾディアック王党ではないということだ。そもそもケイド親王は父王とは不仲であり、廃嫡の噂もかつてはあった。今は、新王といえども手出しは出来ない。


 ともあれ、ファンケル荘であるが、王都にはケイド親王の本宅もあるので、ここくらいなら、「王家財産」に組み込んでもいいと思ったのか、王家の所有物として売りに出された。ただ、価格が高かったため、落札する者がいなかっただけである。

 それを、ダグウッド家が購入した。

 正確には、大喪の礼・即位の礼のための資金、三百億デュカートをダグウッドから警護して王都入りしていたルーク・ベルンシュタイン勲功騎士爵(フェリックスの陞爵に伴い、ルークも名誉騎士爵から陞爵していた)が主家の代理人として購入手続きをしたのである。

 ダグウッド家はそれまでヴァーゲンザイル家の王都屋敷に間借りをしていたのだが、ダグウッド辺境伯爵夫人アビゲイル・ダグウッドの王都入りも予定される中、拠点として自前の屋敷を整えることになったのだった。

 ファンケル荘は、居抜きで、公爵家のものから王家のものになり、それがダグウッド家に売却されたわけだから、家具調度は整っていて、最低限の管理人や女中たちはいた。

 ヴァーゲンザイル家から新たに女中らが回されたり、ダグウッドから派遣されて来た者たちもいたが、大体の新規採用をルークは王都で行い、莫大なカネが市中に流れ込むことになった。

 調度類や美術工芸品も新たに大量買いされたから、王都は即位の礼をひかえて、にわかに好況の様を呈することになった。

 フェリックスは、ケインズ理論だの、有効需要の創出だのと言っていたが、ルークは命じられた通りに動いただけである。

 結果的には、そもそもの費用負担からして、即位の大礼は、まるでダグウッド家のダグウッド家によるダグウッド家のための式典のようになる。少なくとも、それによって潤う民衆や、貧乏貴族たちにとってはそうだった。


「見誤ったか」


 臍を噛んでいる男が一人いた。ケイド親王である。


「かのフェリックスなる者、我らの常識が通用する男ではありません。出来得れば味方に引き込みたいところです」


 そう進言するのはプファルツェンベルヒ侯爵である。


 即位の大礼の開催については、そもそもケイド親王は反対だった。父王の愚かな虚栄心にしか見えなかったし、無駄遣いとしか思えなかったからだ。

 ウェンブリー王は費用負担を、王家内では唯一それに応じられるケイド親王に命じたが、ケイド親王はのらりくらりとはぐらかし、事実上拒絶した。

 ならば、と新王は、ダグウッド家を辺境伯爵に叙し、費用負担を求めるという禁じ手を行使したのである。


 そこまでしたとしても、普通に考えればダグウッド家には負担だけが大きく、益が少ない話である。ケイド親王は、フェリックスがせいぜい付き合い程度の負担に応じるだけだろうと読んでいた。

 だが、案に相違して、フェリックスは思いのほか、全力をもってカネをぶっこんできた。

 ダグウッド家には益は少なくても、マクロ経済にとっては都市人口が多い王都の経済が活性化することは、有益だからである。ケイド親王は、フェリックスがマクロ経済のために動いていることを知らない。

 もっとも、銀行、鉄道、大規模小売業等々、マクロ経済に対応した唯一の産業機構を持っている家がダグウッド家である。全体の経済が活性化すれば最大の受益者になるので、ダグウッド家単体にとっても益がないわけではない。

 ダグウッド家は、フェリックスの家族、都市ダグウッドを領する領地貴族、そしてダグウッド財閥というそれぞれに異なる性格を持っている。そのうちのどこかで損をしても、全体グロスで元が取れればいいのであって、ダグウッド家をただの領地貴族としてしか見ていないケイド親王にとっては、一見、非合理的にしか見えない。


 ケイド親王は、父のことを唾棄すべき俗物程度にしか見ていないが、その虚栄心にダグウッド家が呼応した結果、王都における優越した立場が揺らぐ危機に直面させられることになった。

 これまでは、王都での資金供給者といえば自分しかいなかったのだ。そこにダグウッド家が立ちふさがることになる。


「だが、卿の話では、おそらくはかの者と余は相容れぬであろう。モンテネグロ人を保護するような相手だ、あれは」

「で、あればこそです。まだ、我らの準備は整っておりません。こちらも急ぐにはしても、時を稼がねば。王がこれに自信をつけて、廃嫡に及ぶようなことがあれば、すべては水の泡です」


 プファルツェンベルヒ侯爵は、当初、フェリックスに接近して、ケイド親王派の資金源にしようと思っていたのだが、どうこうする前にダグウッド家は成長し過ぎた。


「今のところはダグウッド卿も我らを敵視する理由はありません。友好に務めておくべきです。ルーク・ベルンシュタインの動きを見るに、アヴェラード、ゾディアックの区別なく広く浅く交際しているようです」

「夫人が即位の大礼に来るのであるな?」

「そのようです」

「忌々しい。当人が来るなら呼びつけられるものを」


 名代はしょせんは名代である。辺境伯爵夫人と言えども、当主でない者を、親王の面前に呼び寄せることは出来ない。ケイド親王は親王であるから、王家ならではの縛りがある。臣下の宴には出られないし、名代相手には会うこともままならない。


 別にケイド親王を意識していたわけではないが、フェリックスが王都訪問を避けたのも、そういう理由もあって、アビーであれば巻き込まれることが少ないし、最悪、「難しいことは夫に聞きませんと」と逃げられる。


「まあ、夜会なり舞踏会なりも開くでしょう。私は一度ダグウッドを訪れていますから、面つなぎも出来ています。ダグウッド対策は私めにお任せを」

「ならばそうしよう。頼んだぞ、プファルツェンベルヒ」

「はっ」


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「あー疲れたー、ただいまー」

「おかえりー、アビー」


 まるでパート仕事から戻って来た主婦のような言い草だが、実際にはアビーがダグウッドに戻ってきたのは二か月半ぶり、その間、連日、辺境伯爵夫人として社交にいそしみ、即位の大礼にも出席してきた。

 名代出席としては異例のことながら、衆人環視の中で、新王直々からお褒めの言葉もいただいたのであった。


「ちょっとー、その言い方、愛がないなあー」

「うん? そうだった? アビー、愛してるよ、帰ってきてくれて嬉しいよ」

「はいはい、こうして新婚時代は過ぎていくのね。それ、銀行関係の書類?」


 執務机に山積みされた書類を見て、アビーはうんざりした表情をする。


「そう。今日明日中に読んじゃわないと」

「その様子じゃ、私がいなかった間、寂しいとか、会いたくて会いたくて震えるとかなかったみたいだね」

「うーん、会いたかったのは確かだけど、震えはしなかったかも」

「いいのよ。正直、私の方もそれどころじゃなかったから。正直、フェリックスを思って星を見るなんてこともなかったから。ベッドに入ったらもう次の瞬間には朝よ。ルークはどんだけ私を働かせるつもりなの!」

「忙しかったんだ?」

「もう誰が誰だかさっぱり忘れました! 一日百人以上会うんだもの。王都対策とかそんなの考える暇もなかったわ。だから考えていません。不満があるなら、自分でやって」

「不満なんてないさ。今回は、顔つなぎが目的だったんだから。一番大変な部分をアビーにおしつけちゃったね。ごめんね、そしてありがとう、ふがふが」


 アビーはフェリックスの口を左右に引っ張った。


「フェリックスぅ~、そんな簡単な言葉で済ますのが許されるのはイケメンだけなのよ? 自分がどれだけ二枚目のつもりでいるのよっ!?」

「ひゅりゅひへ。ひょめんなしゃい」

「ああ、もう! むかつくー。この顔よ、この顔がいけないのよ!」

「…いたい」

「そんなファーストキスを奪われた少女のような瞳で私を見ても許さないんだからねっ! なにを買ってもらおうかしら…」

「あの…アビー、王都に開いたアビゲイル・ダグウッドのブランドショップなんだけど、ここ一ヶ月ものすごい赤字が積みあがってるんだけど…」

「ああ、それ? アクアジェル配ったでしょう? 王都の貴婦人たちはそれを売りに来てるのよ。値崩れしたら嫌だから、売値で買ってるの」


 原価一万デュカートのものを一千万デュカートで売るのがアクアジェルビジネスである。それを買い上げるということは逆に、莫大な損失を甘受するということである。


「アクアジェル、人気ない?」

「あるわよっ! 宮中貴族の手元不如意ぶりはフェリックスが継いだばかりの頃のダグウッドの比じゃなかったわ」

「え? そこまで?」

「フェリックスは上澄みしか見ていないから。私はまんべんなく子爵夫人、男爵夫人にもアクアジェルを配ったからね? そういう下級貴族の夫人たちが売りに来るの」

「っていうか、アビーから贈られたものを、アビーの店に売りにくるって、失礼な話だなあ」

「贈る時に、あらかじめ、手放されるときはアビゲイル・ダグウッドで買い上げさせていただきます、って伝えてあるからね。失礼なのはあの人たちも重々承知。それくらい、手元のおカネがないって話よ」

「ふーん、貴族がねえ。そこまでとは。貴族の生活状況のことはあんまり考えていなかったな」

「少なくとも王都のアビゲイル・ダグウッドの商品ラインナップは、見直さないといけないわね。低価格帯を充実させないといけないと思ったわ」

「結果的に市中におカネが回るならそれでいいのかな。そもそもアビゲイル・ダグウッドのアクアジェルは詐欺みたいな利益率だし。王都でカネがまわるならよしとしておこうか」


 プファルツェンベルヒ侯爵は、アビーが主催した夜会にも何度か顔を出したのだが、哀れ、「誰が誰だかさっぱり忘れました」の中に含まれてしまったのだった。

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