第33話 歓楽の都

 この頃、フェリックスの主観としては九割方の意識をダグウッド銀行、つまり金融事業に向けていたのだが、細かく見ていていけば、実に多くの事に手を打つというか、口を挟んでいる。

 それが可能だったのは委ねられる限りは事業を家臣や部下に委ねていたからで、フェリックスの意を受けて実現に動く官僚機構が整いつつあったからである。


 商業部門の責任者は、ガマであり、ダグウッド家の下部組織としてのガマ商会の名において、シルヴァーシュタインマーケット、シルヴァーシュタイン百貨店が本格稼働している。この世界では商店は個人経営がほとんどであり、むろん結果として商店街が形成されることはあるのだが、常設の総合マーケットは存在しなかった。

 そこに現れたのがシルヴァーシュタインマーケットであり、ヴァンダービル鉄道と特別契約を締結して、月に何店という速度で増殖した。流通において、ヴァンダービル鉄道から融通されると同時に、駅ごとに、ヴァンダービル鉄道が有する土地に、シルヴァーシュタインブランドのスーパーマーケットが置かれていったのである。

 実際のところ、小売流通には、ダグウッド市域内ならばともかくその外にまで関与するのはフェリックスとしては避けたいところだった。既存の商店、商会への影響が大きすぎるからである。

 しかし流通業界自体は把握する必要はなくても、フェリックスの思い描くダグウッド銀行の一手のためには、流通業界において影響を強めておく必要があった。

 シルヴァーシュタインマーケットは、そのため、本部の統率権を確保したうえで、既存の商店、商会を店子として受け入れるというかなり融和的なものになっている。

 会社の名前として、ダグウッドではなく、ガマの姓であるシルヴァーシュタインを用いたのは、ダグウッド家の統率の印象を弱めつつ、ダグウッドは都市の名前でもあるので、ダグウッド以外での展開をやりやすくするためである。

 スーパーマーケットの上位互換として、シルヴァーシュタイン百貨店をオープンさせたのは、これは流通業としてよりは娯楽施設としての側面が強い。

 フェリックスの中の人が覚えているかつての日本の百貨店は、小売業と言うだけではなく、文化の発信施設であり、アミューズメントパークであった。そういう古き良き百貨店を、ダグウッドの地に蘇らせたのである。

 これはダグウッドの都市ブランドを確立するためである。


 ダグウッドは地理的に辺境にあるので、普通に考えれば物流や人の集積所にはなりにくい。今は、ダグウッドにしかない物産があるから、人が集まっているが、モノめあてにダグウッドに人を集めるのはいずれ限界が来る、とフェリックスは思っていた。

 ダグウッドに来ること自体が目的、に置き換えていかなければならないのである。つまり、モノ消費から体験消費への転換である。もちろんモノ消費をおろそかにする必要はない。そちらはそちらで手を打っていく。

 だが、それだけではない、ダグウッドでしか体験できない「歓び」を提供できれば、ダグウッドは観光都市としても栄えるし、モノについても競争力が付与されるのだ。

 シルヴァーシュタイン百貨店はそのための一策であり、オープンの時には、派手なパレードを催して大好評だった。そこから更にアイデアを受けて、季節ごとに大規模なフェスティヴァルを開催して、市民に娯楽を提供するとともに、観光客を呼び込み、ダグウッドの都市ブランドを高めるフェリックスであった。


 これについて全面的な協力を仰いだ相手が、キシリアだった。

 ギュラーもヴァーゲンザイルも、ダグウッドの余慶を受けて劇的に発展している。望んでそうなったわけではない彼らとしては「巻き込まれた感」があるのも事実だが、実際問題、ダグウッド、ヴァーゲンザイル、ギュラーは一心同体の運命共同体になりつつある。

 エンターテインメントの分野で、フェリックスがギュラー伯爵夫人に助力を仰ぎ、その実行を委ねたのは、彼女がその分野に造詣が深く、人脈を持っていたからだが、ギュラー家に能動的な役割を与え、ダグウッド家への不満を解消させるという意味合いがあったのも確かである。


「あなたの考えは分かりました。よろしいでしょう。これはあなたの義姉として私が全面的に統括します」


 キシリアはそう言って早速に獅子奮迅の働きを見せたのだが、フェリックスの意図を彼女は実際、正確に理解していた。

 大劇場を始め、数十に及ぶ劇場をダグウッド市内に建設すると同時に、自由劇場と銘打って、何十に及ぶ野外劇場を整備した。

 野外劇場では誰でも自由に公演でき、フリーゾーンであるから木戸賃は得られないが、観客からおひねりを貰えるようにした。何しろカネだけはあるダグウッド市民である。おひねりだけでも十分な収入を演者たちは手に入れることになった。

 これで全国から芸人がダグウッドに集まるようになる。

 また、十の楽団、十三の劇団と専属契約を結び、常にすべての劇場でなにかしらが上演されているようにした。

 ここまででも十分に合格点なのだが、雑談の中でフェリックスから聞いたミュージカルのアイデアを消化して、キシリアはミュージカル公演を実現させたのであった。ミュージカルとなれば、歌が生まれる。歌は劇場を離れて、町から町へと伝わっていくのである。

 キシリアはダグウッドを舞台にしたミュージカルを幾つも書かせて、さりげなく、ダグウッド家やギュラー家の宣伝を行わせた。

 特に「ダグウッドの朝陽」という悲恋物のミュージカルは大盛況で、「もみの木の下で」という歌は、大ヒットとなった。ボーデンブルク全土を、ダグウッドから旅に出た吟遊詩人たちによって、駆け巡ったのである。

 その「もみの木」とは、パンタナール神社の前にある何の変哲もない老木なのだが、一躍、人気観光スポットになった。


「ほお、これがかの由緒あるもみの木ですか」


 と訪れた人は嘆息し、周囲の土産物屋で売っている「もみの木まんじゅう」を嬉々として買っていくのである。


 考えてみればそもそも観光名所の多くは、ただの坂であったり、ただの橋であったり、ただの木であったりする。そこに特別な意味を与えるのが物語である。

 キシリアはそのことをよく理解していた。

 物語は、ダグウッドを観光都市化するための最大の武器であり、ヴァーゲンザイル=ギュラー=ダグウッド一族にとって、自分たちしか所有していないプロパガンダの道具であった。

 最高峰の音楽コンクール、演劇コンクールを、ダグウッド家の支出でギュラーで行うことで、ギュラー伯爵夫人は十分に自分の利益も確保したのである。


 ギュラー家とダグウッド家は親戚ではあるが、ヴァーゲンザイル家とダグウッド家に比べて、つながりは弱い。

 ダグウッド家はやはり、ヴァーゲンザイル家の分家なのである。誰よりもフェリックスがそれを意識している。可能な限り、常にアンドレイをたてようとしているし、たいていのことはヴァーゲンザイル家も利益にかませるようにしている。

 ギュラー家に対してはそこまでの気遣いはない。親戚として当たり前の礼儀は示しているが、何かそうするべき理由がある時にだけフェリックスはギュラー家に利益配分をするのであり、ヴァーゲンザイル家に対してはほぼ無意識に、自動的にそうしているのとはやはり扱いに差がある。

 何と言っても、見ようによってはヴァーゲンザイル家は前伯爵夫人をダグウッド家に差し出しているのであり、マダム・ローレイが、フェリックス同様忙しい嫁に代わって、ロンド夫人とともに奥向きを仕切っている。ロンド夫人は、極めて優秀なハウスワイフではあるが、貴族ではないので、貴族の知識についてはマダム・ローレイに頼らざるを得ない。

 母の機嫌を取るためだけのためにも、フェリックスはヴァーゲンザイル家に利益を配分する理由があり、そうしなければならない以上、ヴァーゲンザイル家はダグウッド家にとって不可欠な存在であった。

 ギュラー家は不可欠とまでは言えない。王都工作については、ギュラー家を頼ったフェリックスだったが、ヴァーゲンザイル家はなにしろ古い伯爵家であり、ボーデンブルク全土に及ぶその人脈は、ダグウッド家が事業を展開してゆくうえで非常に大きな支えになっていた。

 ダグウッド家の外務尚書はマーカンドルフであったが、実際には彼は宰相であり、外交のみに従事できる立場ではない。実務はアビーがほとんどを行っているが、彼女はアンドレイと度々会って、相談しながら何事も進めている。ヴァーゲンザイル伯爵はフェリックスたちの外交顧問であり、フェリックスの意に沿ったうえで、ダグウッドの外交を実質的に取り仕切っている。

 ダグウッド家が明確に独立し、どのような形であれヴァーゲンザイル家に取り込まれる恐れがなくなってからかえって、フェリックスは安心してヴァーゲンザイル家に接近している。なにしろ、ダグウッド家事業本丸のダグウッド銀行の株式の三割をヴァーゲンザイル伯爵家に譲渡しているのである。

 ギュラー伯爵夫人として、そこに食い込むためには、力など惜しんではいられないことを、キシリアはよく自覚していた。

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