第32話 鉄道馬車

 鉄路を敷いて、その上に馬車を走らせれば。摩擦が少ない分、速度は上り、輸送量は増大する。ここまではこれまでにも考えついた人はいた。ただ、それを実施するだけの権力が無かった。

 ヴァンダービルの考えは、更にその先を行っていた。鉄路を全高架にすることで、専用道路化でき、勾配を平準化できる。駅ごとに交代用の馬を置けば、途切れることなく馬車を走らせることが出来る。専用通路なので、夜間も使用できる。つまり、通常であればどう走らせても一日十時間しか進めない馬車を二十四時間走らせることが出来る。

 このアイデアを聞いた時、フェリックスは、この事業はおそらく銀行業と並んでダグウッド家の基幹事業になるだろうと思った。


「株式の過半数は私が持つ。これは譲れません」


 資本も実現手段もないのに、ヴァンダービルは高飛車だった。資本も実現手段も持っているフェリックスが、アイデアを先に実現化させれば、手も足もでないのに、である。


「卿はずいぶん私を信用してくれているみたいだな。卿ごとき、やろうと思えば叩き潰すこともできるのだが」


 フェリックスは脅しをかけてみた。この男がどれほどの胆力なのか、見極めるためである。


「閣下はそんなことをなさいませんよ」

「ほお。その根拠を聞かせてもらおうか」

「閣下とてもお体は二つはないからです。この事業の重要性、発展性は、これはいちいち言わなくてもいいでしょう。私たちには分かっているからです。しかしあなたはこの事業に専従することは叶いません。あなたは准男爵でありますます発展してゆくダグウッドの領主であり、すでに多くの事業を総覧するお立場です。これだけに関わっているわけにはいかない。

 では、誰か部下に任せようにも、誰がいったいつとまりますか? 見たこともなければ聞いたこともない事業です。高架ひとつ通すのでも、領主との交渉が滞れば、ならばそこまで拘らずともと高架を諦めてしまうでしょう。高架にすることがどれだけ重大なのか、想像すらせずに。

 強い意志と先見の明と情熱が必要です。あなたにはあります。それは分かっています。しかし煩雑な交渉にあたらなければならないこの事業にあなたが専従するのは不可能です。そしてあなたの代わりには誰もなれない。

 私だけですよ。あなたが持っているカードは」

「なかなか言うではないか」


 フェリックスは童顔で気さくな青年ではあるけれども、必要ならば貴族らしい尊大な話し方もできる。この時に限らず、ヴァンダービルと話す時はどうしてもそういう口調になってしまうのだった。それだけ「大きく見せなければ」というプレッシャーをヴァンダービルから受けているのかも知れない。

 容易く手綱は握れない男である。


「これは一平民が所有するには巨大な事業だぞ。きっと大貴族から介入される」

「だからこそ株式の49%まではダグウッド家にお渡しするんじゃないですか。ダグウッド家を敵に回せる貴族なんていなくなりますよ。私とあなたが結託すればなおのことね。いいではありませんか、あなたは遊んでいるだけで巨万の富を上積みできるわけです。独楽鼠のようにシャカリキに働くのは私に任せてください」

「…遊んでいるわけじゃないぞ?」

「…分かっていますよ。言葉の綾というものです。あれもダグウッド、これもダグウッド、鉄道事業までダグウッドならさすがに強欲に過ぎるというものです。鉄道はヴァンダービル、ただし株式の49%はダグウッド、それでいいじゃありませんか」


 以上のようなやり取りで、ヴァンダービル鉄道会社は設立され、同会社はダグウッド家の強い影響を受けながらその傘下ではない唯一の企業となった。

 ヴァンダービルが敷設した最初の路線は、ダグウッドの西岸と東岸を結ぶ、ダグウッド中央線である。まずはダグウッド市内に路線を広げてノウハウを蓄積した後、ヴァーゲンザイル、ギュラーを皮切りに、ブランデンブルクやベイベルなどの北東部諸侯の領地に路線を広げていった。そこから更に路線を全土へ伸ばそうとしている。

 王都への延伸はまだ未定だが、すでにダグウッドから王都へかかる日数は二ヶ月だったのが、一ヶ月に短縮されている。ダグウッド領主権限で昼夜を強行する「特急」を走らせれば更に半減できるだろう。

 アビーが王都を訪問することになったのは、この時間短縮が大きいのだが、それはまた別の話である。


 最初はフェリックスの顔色を伺っていやいや鉄道を受け入れていた各領主たちだが、何しろ物産が劇的に安くなり、土地の名産なども流通にのるようになれば、鉄道が通ると通らないとでは、収入が段違いだということにすぐに気づいた。

 こうなればヴァンダービルの事業もやりやすい。

 お願いして鉄道を伸ばしていたのを、勧誘されて延ばすようになる。

 特に駅の設置については、駅付近の土地の割譲をヴァンダービルは要求するようになった。そのうちの幾らかは、フェリックスのものになるのである。


 大きな駅には、二匹の子猫ホテルが必ず置かれるようになった。二匹の子猫ホテルはすでにチェーン化されていて、ダグウッド市内には三館あるのだが、そのノウハウでもって全国展開するようになった。

 ホテル事業はむろん赤字では困るが、フェリックスとしては別にここで大きく儲けなくてもいい事業である。損益区分ぎりぎりまで利益は客に還元する、ということをしたので、値段の割には心づくしのサービスを受けられるということで、大評判になった。

 我慢ならないのは客を奪われた従来型の宿屋で、鉄道の敷設にともない人の流れも変わってさびれてしまった街道もでてきたから、彼らがダグウッド家を憎悪すること甚だしかった。

 おそらくそういうことになるだろう、というのを見越して、鉄道の敷設は基本、既成の街道沿いに敷かれたから、領主は街道がさびれても、増収であったので、ダグウッド家さまさまの姿勢を崩すことはなかった。

 他の事業では、競争に敗れて仕事をたたんだ者を、事業に招き入れるということをフェリックスはしていたが、ホテル業に関しては叩き潰した競争相手には一切の救いの手を差し伸べなかった。

 モンテネグロ人たちを差別して当然というような宿泊業の矜持のかけらもない者たちを招き入れて、思想的にダグウッド家のホテル事業が汚染されるのを嫌ったからである。

 役に立つ立たないという以前に組織にあって害悪にしかならないという者はいる。妬む、嫉む、恨む、怒鳴る、陰口をたたく、噂話に興じる、皮肉る、からかう、いじめる、おもねる。

 フェリックスは平均的な人では思いもしないような大きな世直しをしようとしているのだが、だからと言って自分が神様だと思ったことはない。

 もうすでに凝り固まってしまった人格を変えられると思うほど、フェリックスは理想主義者ではなかったし、そのための努力をするほど人道主義者でもなかった。

 フェリックスにできるのは、相容れぬ者たちを避けて通ることだけだった。

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