第31話 ダグウッド城
ダグウッドのそれからの発展について事細かに書けば、一年半という期限のことであっても、それ自体がユリシーズやオデュッセイアほどの長さにもなりそうである。それぞれの人々に、それぞれのドラマ、英雄譚があったが、それらすべてを描いてゆくのはかえって現実的ではない。
モンテネグロ人たちは予定通りに受け入れられ、予測された通りにその措置は貴族たちに衝撃を与え、目論見通りに東岸開拓の原動力となり、ダグウッド家は絶対忠誠の郎党を手に入れることになった。
すべてのモンテネグロ人が集結したわけではないが、移住してきた者だけでも七万人、老人や子供も含まれているとは言え、その老人や子供でさえ武器を持たせて、ダグウッド家のために戦って死ね、と命じられれば喜んでそれに応じるであろう。
このことは、ダグウッド家が一躍、軍事大国となったことを意味していた。
モンテネグロ人以外の移住者が七万人、従来の住民と合わせて、ダグウッドは二十万の都市になっていた。辺境ではもちろん最大の、国内全体でも王都に継ぐ規模である。
インフラの整備からしてとても追いつく成長速度ではないが、やらないといけないという認識と、やるための資力はあるのだから、おいおいであってもインフラは整備されてゆく。移住者も到着した瞬間にお客様ではなく、ダグウッドを支える同胞として扱われた。
家がないので、当面テント暮らしだが、アドヴァイザーをつけるから自分で家を建ててくれ、資材は提供しますという感じであったから、家も自分で建てれば愛着がわくし、見ず知らずの「ご近所さん」であっても、家を建てる時から互いに協力し合えば、兄弟同然にもなろうというものである。
整地や、家の建造、農地の共同開発にはモンテネグロ人たちも積極的に協力したから、最初は警戒の目で見ていた人たちも「案外いい人たち、自分たちと同じじゃないか」ということになって、和合が進んだ。
ダグウッド家がしたのはすべてを整えて提供したのではなく、すべてを整える手段を提供したのであって、実行はあくまで移住者当人であり、カオスの中から秩序がやがて立ち現れると、ダグウッドへの移住者たちは結果的にほぼ全員が建築と開拓のスキルを備えた技術者になっていた。
それがまた新たなる受け入れを可能にしたのである。
ダグウッドのこの急激な変化に従来の住民たちは不満を示したかと言えばそうでもなかった。彼らの大部分は、社会階層の移動を実現していて、老人が趣味的にやっているのを除けば、すでに農業から撤収した者たちがほとんどであった。
彼らの土地は、すさまじい値上がりをしていたし、売ればそれなりに富裕になり、教育の行き届いた彼らは、ダグウッド家の官僚を形成していた。
ダグウッド織も今は端切れを漁るのではなく、最初から布からデザインする産業に移行していて、刺繍や染付も行われるなど、産業として高度化を遂げていた。ダグウッドの女たちはこれに従事するだけでも、旧住民の女性のほとんどを収納することになり、しかも彼女たちはその中で指導的な立場にたつことになった。
フェリックスは旧住民と最初期の移住者たちに、従士という身分を与え、準貴族的な扱いをし、中間管理職として重宝して使用することにした。
組織の効率的な運用のためには不可欠な措置でもあったし、旧住民の満足も得られる策であった。
ダグウッド城は、広大な盆地への入り口部にある小さな平野部に作られた。その平野部は、マクシミリアン街区と呼ばれ、ダグウッドの中心地区になる予定である。
ダグウッド城は外壁の石塀も含めて、三十五次に及ぶ拡張計画を経て随時拡大されていったのだが、その最初期から一通りの領主館機能を備えていた。
設計は、建築尚書補佐の任にあったゼルヒという建築家があたったのだが、拡張自由性を担保するために、スクエアと呼ばれる正六面体をユニットとしてつなげる、外壁部に補強構造を組み込むことで上下にも積み上げられるようにしたのである。もちろん、基礎工事は必要だから、どこにでも置くというわけにはいかなかったが、ある用途に作った部屋を別の目的に転用させる、もしくは移動させるということが容易になった。
このためダグウッド城は必要に応じて、見るたびに拡張と変貌を繰り返し、専従の案内人を頼らなければフェリックスも城の中で迷うということが頻発した。混乱の草創期を象徴する話である。
あくまで結果論であるが、その外形は、ドイツ・ワイマール共和国期のバウハウス建築を思わせ、非常にモダンな印象があってフェリックスは大満足していたのだが、その素っ気ないシンプルさを愛でるほど、こちらの世界の建築美意識はまだ向上していなかった。
あんまりシンプル過ぎて棺桶みたいだとの不満の声が相次ぎ、そのため城の象徴として急遽、青の塔、赤の塔、黒の塔、白の塔の四つの塔が建築されたのだが、これは実務上も軍事上も何の意味もないまったくの飾りであったのだが、領民たちは大いに満足した。
自分たちの故郷のお城なのだから、彼らの基準で自慢できる美観を持っていて欲しかったからだ。
塔には常にダグウッド旗がたなびくことになった。
准男爵家になってから、ダグウッド家の紋章と旗からは、ヴァーゲンザイル家を示すユニコーンが外され、ハナミズキだけがあしらわれるようになったが、フェリックスはアンドレイの顔をたてるためにユニコーンは残しておきたかったのである。
だが、旧住民や神祇官たちから、
「それではダグウッドがヴァーゲンザイルの下っ端のように見える」
と強いクレームがあり、フェリックスとしては実際、分家なんだし、それでもいいじゃん、と思ったのだが、住民感情に押し切られ、ユニコーンは外されることになった。
アンドレイはこれについては案の定、へそを曲げたのだが、鉄道馬車の路線をダグウッドから延伸する際に、ヴァーゲンザイルに初めて駅を作ったり、等々の便宜を図ったことからやがて機嫌を直してくれた。
そのダグウッド旗であるが、城にフェリックスがいる時は赤の塔にたなびき、いない時は青の塔にたなびく。准男爵夫人であるアビーが城にいるときには白の塔にダグウッド旗が掲げられ、いない時には黒の塔に掲げられる。
そんなプライヴァシーをあけすけにするようなやり方は嫌だ、とフェリックスは言ったのだが、フェリックスもアビーも大変多忙ながら、下の者たちは指示を仰がねばならないことも多く、彼らも忙しいのに無駄足は踏みたくない、彼らに一目瞭然で示すべき、と家政長官兼儀典長の任に据えられたロンド夫人の、
「これはどうあっても呑んで貰わないと」
という迫力に押されて、フェリックスは泣く泣く承認したのだった。
そもそもダグウッド城を建設する目的は、中心部を東岸に移動させる、ということである。開発地に距離的に近くなることで、指示も出しやすいからである。湿地の向こう側に中心機能を移動させれば、軍事的にも防衛戦をやりやすい。
また、諸機能を分散させるという目的もあった。
旧領主館については、市役所とし、市政全般については従士たちから互選で選ばれた市長が複数の助役を得て取り仕切ることになった。
初代市長には年の功で、次席神祇官を務めていたキリが選出されたのだが、正直実務能力についてはフェリックスは不安があった。高齢者だからおさまりがいいわけだが、高齢者は長年に及んで貧農であった者で、教育も追いつかなかったからである。
助役についてはフェリックスが任命し、若い有能な者たちを選んでおいたので、実質的には彼らが市政を運営するはずである。
ここに、ある程度は「国政」と「市政」の分離がなされた。ダグウッドは一領地に過ぎないが、税を収奪する以外には中央政府の権能がほとんど及んでいないボーデンブルク王国においては、ダグウッドは事実上の都市国家でもある。
フェリックスはその国家運営に集中し、戸籍の管理とか、道路の修繕とか、そういう日常業務については「市役所」に委ねたわけである。
どこからが国の裁量でどこまでが市の裁量なのか、はっきりとは分けられてはいなかったが、最終的には、ダグウッドはダグウッド家の私領である、ということでフェリックスに介入権限はあるわけだから、フェリックスが統治している限りは問題は生じないだろう。
遠い未来には、市長が護民官化して、領主権力に対抗することもあり得ないとは言い切れなかったが、それはもうそうなればそうなったで、歴史の趨勢というべきものである。フェリックスは自身の子孫の権力が未来永劫保証されることなど無理だと思っていたし、望んでもいなかった。
それよりも自分たちのことは自分たちでやる、自分たちの町は自分たちで守る、そういう自治意識を市民に持ってもらうことの方が大事だった。フェリックスはありとあらゆることに口を出して処理するわけにはいかないのだから。
領主が夫婦喧嘩の仲裁さえやっていた、ダグウッド村の頃にはもう戻れないのだ。それは寂しいことかも知れない。しかしそこに留まっていれば、貧農あふれるダグウッドを豊かな都市に引き上げることはとうてい無理だったのも確かなのである。
懐かしい領主館からダグウッド城に移ったことは、フェリックス個人にとっては祖母との記憶との別れでもあった。少年期の終わりでもあり、ダグウッドにとっては寒村から大都市への変貌の象徴ともなった。
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