第29話 披露目の儀

 あれもマーカンドルフ、これもマーカンドルフになってしまうのは、貴族の宮廷で長く生きていて、ダグウッド家では諸儀に通じているのが彼しかいなかったのだから、やむを得ないところである。

 儀式に通じるよう、若いアシスタントたちを仕込むのもマーカンドルフの仕事であり、彼自身は超人的な短眠で、ありとあらゆることをこなしていたが、マーカンドルフの補佐につけられた者たちは、誇張ではなく、死ぬ思いだった。

 借りがどうした、貸しがどうしたと言っていられる状況ではなく、マックスの披露目の儀をつつがなく終えるために、マーカンドルフは、他家の貴族や、商業ギルド、冒険者ギルド、すべての伝手を総動員した。


 身内を抜きにしても、二組の公爵夫妻、一人の侯爵、二組の辺境伯夫妻、一人の辺境伯、五組の伯爵夫妻、一人の子爵、五組の准男爵夫妻、貴族だけでもこれだけの人々が集まったのだ。それ以外に懇意にしている裕福な商人らも顔を出している。

 マックスの面倒は乳母に任せ、フレイアがマックスの護衛の任にあたり、フェリックス、アビー、アンドレイ、コンラート、キシリア、ザラフィア、そしてマダム・ローレイが総出で、客人らと歓談した。

 和やかではあるが、大して楽しいわけではなく、ここにいる者たちすべては楽しむためにここにいるわけではない。だが、貴婦人らにとっては見逃せないものがひとつあった。

 アビーの全身を装飾する、アクアジェルである。

 アビーは水属性の魔法使いであり、魔力はおそらく、水族性としてはボーデンブルク史上最強である。魔法を秘していることもあって、魔法を使う機会はほとんどないのだが、アクアジェルは水属性の魔法を応用した魔道具であった。

 純水をジェル化させて、結合を強め、ダイアモンド並みの硬度を与えるのである。その結合物は、多面的に光り輝いてまばゆいほどであった。彼女はこれを装身具に応用して、披露したのである。


「まあこれは、お美しいペンダントね。どうやってお作りになったのかしら」

「申し訳ません、これこそダグウッド家の秘中の秘ですのよ。ただ、近日中に販売店を開く予定ですの。ご興味がおありでしたら、当家の使用人にご予約を申し付けくださいませ」


 これこそが、アビーが社交界に投入した最終兵器であった。なにしろ、彼女以外には作れない代物である。ペンダントは1000万デュカートと大きく出た。加工賃を入れても原価はせいぜい1万デュカートいかないのに、である。

 しかし考えてみれば、アビーのような傑出した魔法使いが作る一点ものの魔道具であるのだから、それくらいの値段がしてもおかしくはないのかも知れない。美しいだけで役には立たないのと、魔道具という認識が誰にもないだけである。

 指輪、ティアラ、ペンダント、イアリング、ブローチ、アビーはたちまち貴婦人たちに囲まれて、山のような予約票がアビーの補佐役の事務員たちに押し付けられていった。

 アクアジェルは利益率がべらぼうだというだけではなく、圧倒的な需要がありつつ、供給を完全にコントロールできる商品であった。水を色付けするなどして工夫をすれば、変種のラインも提供しやすく、虚栄心をそそのかすために一点ものを作ることもたやすい。

 キシリアたちもアクアジェルのことは聞かされていなかったのか、アビーに、どういうことなの? と詰め寄っていたが、姉二人と姑には、全身装飾用のアクアジェルを土産として用意してあると聞いて、キシリアは素できゃっきゃと喜んでいた。

 ヴァーゲンザイル伯爵家、ギュラー伯爵家に借りた「貸し」は、水細工少々で返しきった形になる。

 アビー・ヴァーゲンザイル・ダグウッド、ダグウッド准男爵家の女主人であった。息子の披露目の儀であっても、好機を無駄にはしない女である。


 それとは別の意味で注目の的になったのは、アグネスとフレイアである。

 なんでモンテネグロ人がこんな場所に、という視線が注がれ、それぞれフェリックスとマックスの護衛だと知れると、どうしてまたフェリックス卿はモンテネグロ人を護衛に採用したのかとまゆを顰める人々もいた。

 ごく短い間、裏方への指示のためにフェリックスがひっこんで、再び登場した時、人々は思わず、ほお、と感嘆した。

 アグネスが肌を見せた衣装に着替え、その黒い肌の全身をアクアジェルで飾られていたからである。光の背景には闇を置くように、その黒い肌は、アクアジェルの輝きをいっそう強調していた。


「なかなか、度肝を抜かれる披露目の儀ですな。失礼、招待状もないのに押しかけました。プファルツェンベルヒ侯爵です」


 そう言いつつ若い紳士がフェリックスに寄ってきた。握手を交わしつつ、遠路ようこそいらっしゃいました、と言葉を交わす。


 プファルツェンベルヒ侯爵は宮中貴族であり、副王太子ケイド親王の側近として知られている。ゾディアック王家の閥の人だ。北東諸侯は伝統的にアヴェラード王家に近いので、この人はここではうっすらと警戒されていた。


「ダグウッド家の興隆のことは王都でも話題ですよ。ケイド親王は是非、フェリックス卿におあいしたいと仰せでしてね。いかがでしょうか、更なる陞爵のことなど、私どもでお手伝いできることもあると思うのですが」

「過分なお言葉、いたみいります。なにしろ私は三男でして、つい先日までは勲功騎士爵に過ぎなかったものですから、王都にも出たことが無いのですよ。とんだ田舎者が粗相をしては、お招きいただく方々の名折れにもなりましょうから、王都のことは兄、ヴァーゲンザイル卿、ギュラー卿に任せているのです。准男爵への陞爵の礼がありますからここ数年のうちには一度は王都に上がらねばならないでしょうが、手を引かれる赤子のようなものでして、とても副王太子殿下にお目をかけていただけるような者ではないのですよ」

「噂通りなかなか賢明な御仁でいらっしゃる。そう警戒なさらずともよろしいのですよ。遠くから見るに、卿は果断なる改革の実践者でられるようだ。ケイド親王も革新の志をお持ちなのですよ。会ったからと言ってすぐにどうこうなることもありますまい。王都は主要な市場であれば、ご視察の際にでもお立ち寄りになられればよろしいのですよ」


 まあまあ、とにこやかに笑いながら、なんとか離れれば、宴も終わりの頃である。


「お耳汚しですが一曲。拙作ですが、我らが祖国、ボーデンブルクを想って作りました」


 楽団の居並ぶ演壇に立ち、キュールと呼ばれるヴァイオリンに似た擦弦楽器を借りて、フェリックスは日本の唱歌「故郷」を弾いた。

 楽曲の出来が良いのは別にフェリックスの手柄ではないのだが、要は、自分は文化的なことでもこれだけ造詣が深いんだぞと一発かましたわけである。

 演奏を終えてわれんばかりの拍手が鳴りやまぬ中、フェリックスは言葉を続けた。


「みなさまにお知らせしたいことがあります。

 当ダグウッド家では、他の移住者と同じく、等しき領民としてモンテネグロ人を受け入れます。このことはただちに、各ギルドを通して全国に布告されるでしょう。

 こちらにお集まりいただいた皆様方は、すでにダグウッド家の友でありますが、モンテネグロ人の移動に際しては便宜をお働きいただければ絆はなおいっそう強固なものとなりましょう。

 私も、そしてここにおります、我が息子マクシミリアンも、ダグウッド家が続く限り友情には友情でもって報いることをお約束いたします」


 ええっ、という隠しきれない驚きが広がる中、楽団の演奏が「蛍の光」的な、お別れの曲に切り替わった。

 さあ、用は済みました、さっさと帰ってください、という合図である。


 ここからがまた、新章の始まりだな、とほっとしたところ、そういえばマーカンドルフが見当たらないことにフェリックスは気づいた。


 リュッケが近寄って耳打ちする。


「東岸奥で超級モンスターが出現しました。ドラゴンと思われます。ルーク卿が領軍でもって足止めしています。マーカンドルフ卿は援軍に向かわれました」


 思わぬことで、フェリックスは呆然とした。それに気づいたアビーが、こっそりと近づいてくる。


「どうしたの? フェリックス」

「ルーク卿からは、ここで食い止めねばどのみち避難は間に合いそうにないとの伝令が届いています」

「どうしたの? 何があったの? フェリックス」

 

 フェリックスが考えたのは、自分は援軍に行くとして、アビーを連れていくかどうかである。アビーも無視しがたい戦力なのだから。

 だが ― 。


「アグネス、馬には乗れるな?」

「旦那抱えて走らせるくらいのことはできるよ」


 よし。


「アビー。魔物が東岸に出た。これが知られれば、うちが東岸を開拓したからだと非難されるだろう。今はそれだけは避けないといけない。

 僕は援軍に行く。君は、かけらもこの異変を客たちに悟らせるな。そして万が一 ― 分かるね? マックスだけは、頼む」


 アビーはくどくどは聞かなかった。


「分かった。急いで。アグネス、フェリックスのことを頼むわね」

「任せな、奥様」


 フェリックスを乗せた馬は、パンタナール大橋を全速力で走ったのであった。

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