第27話 約束の地

 パンタナール大橋は、名前こそ立派だが、杭に板を渡しただけの板橋で、それでも馬車道と歩道を分けて幅広に作ったのは、これがダグウッド西岸と東岸を結ぶ橋だからである。

 既成事実を作るために、三世帯だけをまず東岸沿岸に入植させ、ダグウッド准男爵家は、湿地東岸の領有宣言を行った。もともとボーデンブルク王国の領有地でもなかったので、王家への認可要請は速やかに承認されるだろう。これについては、王都貴族との関係が代々あるギュラー家に仲介を依頼している。もちろん、無料ではないが、

「ダグウッド家、ヴァーゲンザイル家、ギュラー家、みんなで一緒に富み栄えましょう」

 とフェリックスは書簡を送り、実際そのつもりである。ダグウッドの急速な発展に伴い、それに隣接するヴァーゲンザイルもギュラーも十分に余慶をこうむっている。


 アグネスたちは契約が切れ次第すぐに、当人たちの同意を経て、家臣団に編入された。最高幹部ではないが、ロンド夫人や司書ゼーヴェルトらと同じく次官級の扱いである。

 マーカンドルフは当初の予定にこだわったが、蒸留酒の成功とテンサイの栽培の実現化という二要素によってダグウッド家が思いのほか強化されたこと、テンサイ栽培についてはアグネスたちが直接の功労者であること、どうせ家臣化するのであれば、早い方がいい、その方が使い倒せるし、遅くしたからと言ってモンテネグロ人への偏見が軽減できるわけじゃないというルークの進言もあり、フェリックスは任用に踏み切った。

 家臣化後は当初は治安組織を委ねる予定だったが、そちらはルークが組織した領軍でなんとかなりそうだったし、彼女たちでなければやれないことも思いついたので、当面はフェリックス直属の遊軍扱いとなる。


 アビーとマックスは、しばらくギュラー城に引き取られることになった。非常に難産だったと聞いて、喧噪著しいダグウッドではおちおち休息もできないのではないかとキシリアが心配したからだ。

 体力が落ちて気弱になっていたのか、アビーもキシリアに会いたいと言ったので、伯爵ながら直々に迎えに来たコンラートにすがるように頼んで、フェリックスはアビーとマックスを委ねた。


「心配するな。俺もちゃんと面倒を見るから。こういう時はな、やはり女は実家の身内に会いたいものらしい。キシリアの時もな、おまえがなかなかアビーを連れてこないものだから、恨まれていたじゃないか。俺はな、別にヴァーゲンザイル城に戻っても心休まることはないが、女はまた話は別だからな。ギュラー城はアビーには郷里だし、たまにはこういうことがあってもいいだろう。ギュラー家とダグウッド家のよしみのためにもな。

 ところでマルイモだが」

「マルイモは販売を自由化しますから好きなだけ買っていってください」

「ヴァーゲンザイルにはあいかわらず割安で割り当てるんだろう?」

「ええ。でもそのうちに栽培法を伝授しますから」

「そう聞いている。当然うちにも派遣してくれるんだろうな」

「はい。北東辺境には依頼があれば派遣します。テンサイを間に組み込む方法なんですが、砂糖は取れますが、マルイモ自体の生産量は落ちます。でももともと生産性が高い食物ですから」

「砂糖が取れるのはいいな。直に庶民平民でも砂糖菓子を食べられるようになるかもな。なあ、フェリックス」

「はい」

「おまえ、よくやったな」

「…コンラート兄さん」

「おまえと張り合うのはやめたよ。いくら兄貴でも出来ないことは出来ないしな。ただ、兄貴にしかできないこともあるさ。俺はおまえのためにそれをやる」

「…兄さん、ありがとうございます」

「うむ、まあ、おまえももう親父だからな、そう簡単に男が泣くもんじゃないぞ?」

「うぐっ、泣いてなんか、ないですよ」


 一か月後、マックスの披露目の儀までは、アビーとマックスはギュラー城に預けられることになった。本当ならば、キシリアは出産時もアビーを預かりたかったのだが、それではフェリックスや、ダグウッドの医療水準を信用していないということになってしまう。実際信用していないキシリアだが、はっきりそう言うわけにもいかない。それにダグウッドの嫡男はダグウッドで生まれるべきだろうという考えもあって、出産時は、経験豊富な産婆を派遣するにとどめていた。

 初子の養育については、母系があれこれ世話を焼く慣習があり、生まれてしまえば、ギュラー伯爵家もある程度はマックスの養育について干渉する権利を持っている。


 准男爵家の組織については、忙中に閑なしの日々ではあるが、組織も日々拡大してゆく中で手を付けなければ齟齬そごが拡大してゆくばかりなので、推挙を受けた新人の抜擢も行いつつ、大再編を行った。

 准男爵家になればある程度、大袈裟な職名を設置してもおかしくなくなったという事情もある。

 マーカンドルフを第一階位とし、宰相に任じた。フェリックス当人と同様に、すべてのことに介入・命令権限を持つ。総務尚書、外務尚書、宮内尚書も兼務する。准男爵の権限によって名誉騎士爵を叙爵。また、それに伴い、ゴールドシュタインの姓を与えられる。

 ガマは准男爵領の公的な収支を預かる財務総監に任じられた。位階は第二階位で、商務尚書を兼務。准男爵の権限によって名誉騎士爵を叙爵。また、それに伴い、シルヴァーシュタインの姓を与えられる。

 ルークは軍務総監、警務総監にあてられた。位階は第二階位。准男爵の権限によって名誉騎士爵を叙爵。また、それに伴い、ベルンシュタインの姓を与えられる。


 これら三名は引き続き最高幹部を務める。准男爵は権限として、三名の枠まで名誉騎士爵を叙任することが出来るが、フェリックスは早速、この三名のためにその枠を使った。論功行賞という意味もあるし、今後彼らは対外的に貴族と接することが多くなるだろうから、それなりの身分が必要になるからである。


 第三階位は主に尚書職になる。

 官房秘書長官にリュッケ、教育尚書兼学芸尚書にゼーヴェルト、家政長官にロンド夫人が配され、建設尚書、技術尚書、産業尚書、司法尚書にそれぞれ新人が抜擢された。いずれも他領から移住してきた者たちである。スカウトもして、貴族との軋轢もあったが、マーカンドルフが交渉を行って移籍金を支払って手を打った。

 神事に関わる者たちを正式に神官とし、うち、指導力のあるキリという老人をダグウッド領の次席神祇官に任じた。最高神祇官はフェリックス当人である。これもまた第三階位に相当する。


 アグネスたちもまた、位階としては第三階位に置かれたが、正式の職務はフェリックス直属の親衛隊であり、遊軍扱いされる。東岸のこともある程度は把握されたので、リューネとマルテイが探索を継続し、アグネスは親衛隊長としてフェリックスの側に置かれ、オルディナとフレイアは当面、重要な別件に従事することになる。


「一か月後のマクシミリアンの披露目の席、みんな準備に忙しいと思うけど、そこでね、アグネスたちを連れまわす。当然、なんだあのモンテネグロ人たちはみたいな視線を受けると思うけど、ちょうどいい機会だから、うちがモンテネグロ人を受け入れるということを形で示す」


 次席神祇官のキリだけが欠席した第三階位以上の初めての全体会議で、フェリックスはそう告げたのだが、表向きは波風なく受け入れられた。既定方針であったからだが、不満を持つ者もいなくはないだろう。


「その席で、ダグウッド准男爵家は、モンテネグロ人を差別なく受け入れ、領地への移住を歓迎することを布告する。これは同時に全ギルドを介して、全国に布告され、モンテネグロ人たちの移動が開始されるだろう。受け入れ準備を早急に進めてほしい。また、遠隔地のモンテネグロ人たちについては、准男爵家が護衛を派遣する。宿泊地の手配など、外交交渉を進めてほしい」


 ここにいる者たちは「指導者」であったので、奇声を発して驚愕するということはしなかったが、明らかに寝耳に水、の者たちもいる。その者たちが意を決して、それはどうか、と言おうとするのを、フェリックスは手をかざして制して、言葉を続けた。


「言うまでもないことだが、これは准男爵家にとっても大きな利があることであり、だからこそこの決定を下した。

 この席にはモンテネグロ人もいるが、彼らもいまは当家の家臣だ。言葉は飾らずに言わせてもらおう。

 当家の規模とこの地の産業は急速に大きくなりつつあり、労働者の不足が目に見えて発生している。モンテネグロ人たちの移住は当然、この問題を緩和することになる。

 東岸については調査を進めているが、未だ不明なことも多い。そういう中で入植に二の足を踏むものも多いだろう。その点、モンテネグロ人たちならば、多少の不都合はあっても、少なくとも彼らが今いる場所よりはましである可能性が高い。東岸入植の露払いにはもってこいだ。

 また、ダグウッド准男爵家が、入植者を招いているというのはいい宣伝になる。いいかな? 食料は売るほどにある。どれだけ人が増えてもマルイモが下支えできる。必要なのは人だ。ダグウッドの人口はすぐに十万、二十万になる。

 辺境北東部どころか、ボーデンブルク最大の雄になることも夢じゃない。

 他領が、そして王家が妨害工作をしてくる前に人を確保する。これはスピード勝負だよ?

 そしてモンテネグロ人たちを確保すれば。

 身もふたもない言い方をするよ。僕は彼らにとっては大恩人になる。彼らはここを出たらまともには扱われない。ダグウッドを死守するしかない。わかるかな? 僕と彼らは運命共同体になるわけさ。

 どこぞの王家が気変わりをして大軍勢で攻めてきても、彼らは最後の一兵になるまで僕を守って戦うだろう。そうだよね? アグネス」

「私たちと同じく、モンテネグロ人たちは一人残らず、旦那のために命を賭けるだろうさ」

「そういうこと。忠誠心溢れる大兵力が確保できるわけさ。

 ああ、誤解のないように言っておくよ。別に僕は王位を簒奪しようとか、独立しようとか思っているわけじゃない。もう一度確認しておくよ。うちの最高規範は商売でみんなで豊かになろう、だ。

 戦争になったら商売どころじゃなくなってしまうからね。

 でもね、戦争ってのは仕掛けなくても仕掛けられたら戦争になってしまうんだよ。仕掛けられないためにはどうしたらいい? おいそれと手出しできないくらいに強くなればいいのさ。

 ただね、最悪、橋を落とせば、東岸は確保して防衛できる。誰から支援を受けたわけでもないよ。僕たちが自分で見つけて自分で開発する土地だ。そうならないよう、みんなの努力を期待するけど、最後の最後はボーデンブルクからの独立という選択肢もないわけじゃない。

 これが当面のうちの大方針だ。

 さあ、忙しいね、みんな。やることが山ほどあるね。徹夜続きだね。頑張ってね。君たちの主は、優しいけど甘くはないよ。

 それと、おいおい領主館や主要設備も東岸に新築する。東岸をダグウッドの中心にするんだ。その方が安全だしね。

 ああ、まだ着工は云々しなくていいよ、建設尚書。ただ、土地の確保と整備はしておくようにね」


 会議が終了して、じゃあねーとフェリックスが席を立ち、それに続いてロンド夫人も退出して、後に残された者たちは余りの指示に呆然としてしばらく動けなかった。何という大変な任務が彼らの背に負わされたことか、その大変さを思いつつも、実際やり切るまでは、その大変さのかけらも理解していなかったことを彼らは後に思い知ることになる。

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