第26話 黒サラマンデルの六月

 黒サラマンデルと言えば、ギュラー家の紋章であるのだが、これは還暦の中の一年でもある。

 この世界の還暦では、まず十二年ごとに、青、赤、黄、緑、白、黒の六つに分ける。今は黒の時代である。その十二年の中を、順序で示せば、スライム、タウルス、ティーゲル、アルミラージ、ドラゴン、サラマンデル、ユニコーン、アリエス、ヌエ、フェニックス、フェンリル、オークの十二種の魔物で分ける。

 六掛ける十二で、七十二年の周期が出来るわけだ。これは一個の人間の体感的な暦としては便利で、今年は黒サラマンデルの年だから、「前の白ドラゴンの年に」と言えば十一年前の話だな、と直感的に分かるわけである。

 この、七十二年ぶりに巡って来た黒サラマンデルの六月、ダグウッドでは領主夫妻になる初子、嫡男となる男子が生まれた。父親によってマックス ― マクシミリアンという名を与えられたその子は、父親が予想した通り、魔法使いであった。両親ともに魔法使いから生まれた特に強力な魔法使いである。

 幸いなのは、赤子が無意識に魔法を発動しないよう、発動システムを抑える魔道具をマーカンドルフがあらかじめ準備していたことであり、琥珀に似せられたその腕輪は、世界が平和であればおそらくその子の腕から生涯外されることはないだろう。事情を知る者たちは、そうであって欲しいと誰もが思うのだった。


 この半年、フェリックス自身はアビーの側で慌てふためくだけの半年であったのだが、おかしな話かも知れないが、変化が自動化されつつあった。

 政治のマーカンドルフ、軍事のルーク、商業のガマ、家政のロンド夫人と職分が明確化され、なおかつ学校を通して自動的に官僚が供給されるシステムが起動に乗った結果、フェリックスが細かいことに関わらずとも、回ってゆく、中の官僚たちが自分たちで次の一手を整えて行くということが常態化したのである。

 フェリックスに加えてアビーも一時的に業務を離脱したことも大きかった。自分たちがやるしかないと下の者たちは奮起し、そしてもろもろを成し遂げ、経験を急速に蓄積していったからだ。

 フェリックスが思い描いてたことは恐ろしい速度で実現しつつあった。

 膨大な数の労働者と技術者が流入し、新しい建物が次々とたてられてゆく。旧住民は官僚や事務労働者に横滑りし、農業は小作たちがローンを組んで土地を買い上げる、あるいは、西岸の切り開かれていなかった山野を新たに農地として開拓するということが行われるようになっていた。

 学校も、学校の中から教師を輩出するようになり、これまで対象ではなかった新住民も、ダグウッドの正規の住民として学校に通うようになりつつある。


 蒸留酒の大量生産には、ガマが抜擢した番頭見習いのデュエルが取り組むことになった。デュエルは、あのノエルの弟である。そんな年少では他のところではそんな大きな仕事に噛ませてもらうことさえあり得ないのだが、ダグウッドではなにしろやる気があるならやらせてみろという気風である。人材が足りていないのだから若い者たちは人材になりさえできれば大きなチャンスを掴めると必死である。

 ガマはもうほとんど自分が店に立つこともなければ仕入れに移動することもない。番頭たちに指示をすれば回ってゆく、そういう体制を作り上げていた。

 蒸留酒を大量生産するにあたって、大麦、ビールの確保は容易であったが、大量に燃料を使う。だがこれもまた、またしても湿地の恵みでなんとかなりそうだった。大量の泥炭がとれるからだ。泥炭はまた蒸留酒に香しい風味もつける。

 ガマが予想した通り、蒸留酒が爆発的な人気を得るまで、三か月もかからなかった。ルークの率いる領軍が、ダグウッドへと続く道を複々線化するために工事中であり、各地から商人たちがダグウッドに殺到していた。


 もうここまで来れば隠れているわけにもいかず、王家も気づくわけである。

 五月には勅使が来訪し、王命により勅許で以て、フェリックス・ヴァーゲンザイルを准男爵に叙し、姓をダグウッドと改めることとの命が下った。マーカンドルフが調べて言うにはこの勅使派遣にはギュラー家の働きかけがあったようで、フェリックスをヴァーゲンザイル一族から切り離すことが目的とのことだった。

 准男爵の割高な税を支払っても、フェリックスにとってもうまみのある話である。ヴァーゲンザイル伯爵家になんら遠慮することなく、各地、各貴族と直接取引ができるようになるのだから。

 こうしてここにダグウッド准男爵家が正式に成立し、マックスはダグウッド准男爵家の嫡男として生を受けたわけである。

 アンドレイの面目もたてるために、その要請に従って、貴族としてはダグウッド准男爵家になったが、姓はヴァーゲンザイル・ダグウッドの二重姓とし、ヴァーゲンザイルの名を残すことになった。

 むろんそれはただの気遣いであって、ダグウッド家がダグウッド家として正式に独立した事実は変わらない。


 五月の初め頃、フェリックスは急遽、建設計画に割り込み、湿地のほとりの丘を確保して、その地にパンタナール神社を建立するよう命じた。神事に携わる老人たちを集めて言うには、この神社こそ、ダグウッドの人々の心のよりどころにしたいのだと言うことであった。もちろん最初は簡素な建物からだが、いずれは壮麗な神社になるだろう。

 母なる湿地の権化として、パンタナール神というものをフェリックスは編み出し、人々がこころから湿地に感謝してくれることを願った。

 ダグウッドの繁栄は最初の一歩から今の今まで、湿地なくしてはなしえないのだから。

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