第24話 不動なる者たち、帰還

 アグネス、リューネ、マルテイ、オルディナ、フレイア、全員が同じ集落の出身だが、地理的な意味で、その集落が故郷と言うわけではない。

 モンテネグロ人たちには土地の所有が認められていないことが多い。小作で働こうにも、モンテネグロ人たちと一緒に働くことは自分たちの身分を貶めることなので、他の小作たちが嫌がり、小作としても働けない。

 いきおい、屠殺業やその他の拾い仕事で生業をたてることが多くなり、住む処にしても準公地を不法占拠して住みつく、ということになりやすい。つまり、モンテネグロ人たちは、安定的に定まった場所に居住することが困難で、数年で集落を転々とさせることが多い。

 移動すればしたで、モンテネグロ人は差別に直面し宿泊もままならないので、各地に点在する「集落」をつなぐ音信のやり取りの担い手はモンテネグロ人自身では務まらない。

 通常のボーデンブルク人の流れ商人がその任を果たすことが多いのだが、彼らは別に親切心でそうしているのではなく、モンテネグロ人たちに寄生し、搾取する存在でもある。

 アグネスたちはフェリックスの依頼で得た高額な報酬の半金を、1/10だけ手元に残して、残りを流れ商人に託して出身の集落に送金したのだが、そのうちの半額を流れ商人は手数料として着服するのである。あこぎなことこのうえないが、モンテネグロ人には彼らを利用するしか他に手段がない。


 第一回の探索を終えて、二匹の子猫ホテルに戻ってくれば、何の嫌がらせを受けることもなく、すぐさま暖かな食事が供されて、湯あみの用意がされる。リューネあたりが、ここは極楽だね、と言えば、他の面々も心から頷かざるを得ない。

 できればこの仕事をうまくこなして、フェリックスとのつながりを維持したいものだとアグネスたちは考えている。単に快適な扱いを受け、割のいい仕事だというだけではなく、探索の仕事に内容から、まったくの新天地をフェリックスが開拓するつもりなのは分かっている。

 それほど大きな土地でなくてもいい。魔物と接する危険な土地、その最前線でもいい。わずかな土地でも貰えれば、モンテネグロ人たちの安住の地を築くことが出来るのではないか。

 そう考えずにはいられないのだ。


「ねえ、アグネス。旦那はいい人よね。ひょっとして、ひょっとしたら、モンテネグロ人を受け入れてくれるかも知れない」

「バカを言うんじゃないよ、フレイア。旦那はいい人だ。だから頼り過ぎちゃいけないんだよ。分かるだろう? ボーデンブルク人たちにもいい人はいる。モンテネグロ人たちを助けてくれた人たちもいた。でも頼りすぎて、迷惑をかけて、負担をかけてどれだけ共倒れになってきたか。旦那はいい人だから潰しちゃいけないんだよ」


 アグネスの言葉を受けて、オルディナもうなづく。


「どれだけ期待しても、を継続雇用してくれるかどうかまで、よね。それ以上のことはあの坊ちゃんに迷惑になる。覚えてるでしょう? 宿屋で私たちのために無理を通してくれたのは。それにあの人は、盗賊に襲われた時、運動神経なしなしなのに、私たちを庇おうとして前に出て護衛しにくいったらなかったわ。ね、分かるでしょう? 私たちモンテネグロ人たちは人間扱いされない。でも恩義を忘れたら自分たち自身で人間であることを放棄してしまうのよ。私たちモンテネグロ人は恨みは忘れても恩義は絶対に忘れない。

 仕事のことはきちんとこなして当たり前。でも、それ以上に、私たちにはあの子を守る義務があるのよ。自分たちの利益のことなんて、考えてはいけないわ」


 オルディナの言葉に頷きつつも、普段は寡黙なマルテイが口を開いた。


「オルディナの言うとおりだが ― でもこれはチャンスかも知れない。そう思わずにはいられない気持ちもある。道理の分かった領主がいて、世の趨勢が及びにくい辺境に、まったくの新天地を開拓しようとしている。奇跡みたいな巡りあわせじゃないか。私たちがここにいるのは神の恵みかも知れない。これは ― 私たちにしか出来ないことではないのか?」


 はいはーい、と手を上げて、リューネが発言を求める。


「あたしもそう思うー。でもねでもね、あたしたちパーティーを受け入れるのと、モンテネグロ人の集落を受け入れるのでは全然違う話だよ? あたしはさー、継続雇用くらいはお願いしてもいいんじゃないかなって思う。ううん、冒険者やめて家臣にさせてくださいってお願いしたら、受け入れてくれるんじゃないかなって思う。旦那はともかくよー、あのマーカンドルフって人やルークは、損だって思ったら断ると思うよ。だったらお願いしてみるのもあり、なんじゃない?

 でもモンテネグロ人の集団移住の件は、どう考えたってこの家には不利な話よねー。他に移住希望者のあてがないわけじゃないんだから。もし、家臣にしてくれるなら、あたしはモンテネグロ人の集団移住にはまっさきに反対するよ」


 何らかの形でフェリックスとの関係を強めていきたい、とはみんな思っている。でも、自分たちのフェリックスへの忠誠と、モンテネグロ人としての利害が相反しかねない可能性をリューネが指摘したことによって、年少のフレイアあたりは泣きそうな顔になった。


「ま、とにかく、今は依頼をきちんとこなすだけだ。それに集中しよう。私はこれから領主館に報告に行く。あんたたちは第二回探索の準備にとりかかってくれ。マルテイ、あんたは悪いけど荷物持ちでついてきてくれ」


 領主館でアグネスの応対をしたのは、フェリックスとルークである。


「ああ、ルーク、あんた来てたんだね」

「おまえたちが探索に行っている間にな。正式に家臣に加えていただいた。探索のことは領軍の管轄になったから、これからは私がおまえたちに応対することになる」

「僕もいるから心配しないで。僕が不在の時は、ルークに任せることになるけど」


 ルークは気のいい男だが、任務の時は謹厳な態度になり厳しめな表情になる。ルーク自身はモンテネグロ人に対してはニュートラルだが、逆に言えば任務であればきつく当たることもできる。ルークがアグネスたちに偏見のない態度で接しているのは、フェリックスがそうであることを望んでいるからであり、アグネスは当然そのことに気づいていた。

 アグネスは地図を提出した。


「まあ、きっちり正確なものではないかも知れないけどね。地図書きはリューネが得意でね。赤線の範囲が今回、探索した範囲内だ。とりたてて脅威のある魔物は見つからなかったが、何しろウサギが多くてね。肉は現地調達でいけるだろう」

「ウサギが? 多いってどれくらい?」

 とフェリックスが尋ねる。


「もう手あたり次第と言う感じさ。捕食者が少ないのかも知れない」


 捕食者のことにまで連想が及ぶことにフェリックスは感心した。まさしくフェリックスが聞きたかった点である。つまり、人間にとっても脅威となる魔物は少ないのかもしれない。


「ただ、生息は沿岸部に集中しているように見えた。これはあれかな、湿地が関係している可能性があるね」

「東岸も湿地の沿岸部は富栄養の土壌だろうからね。大量のウサギを養うだけの植物があるってことだね。この三角で囲っている場所は? これは、文字?」

「ああすまないね、それはモンテネグロ文字だ」

「なにっ? モンテネグロ人には独自の文字があるのか? ぜひ教えてくれ!」

「たいして難しい文字じゃないよ。まあ教えるのはやぶさかじゃないが、今かい?」

「あ、ああ、また今度にしようか。二回目の探索から帰って来た時に時間を作ってくれ。司書のゼーヴェルトにも同席させよう。で、この文字が意味するところは?」

「オルディナが書いたんだけど、次からはボーデンブルク文字で書くように言っておこう。ボーデンブルク文字の読み書きができるのはオルディナだけなんだよ。オルディナが言うには、重要な機密だから、旦那の指示があるまではモンテネグロ文字で書くって言ってたんだけど」

「そんなに重要な内容なのか?」

「私はそうも思わなかったんだけど。マルテイ、中身を出して見せて差し上げな」


 マルテイが取り出したのはいくつかの植物の束だった。


「これは…テンサイ?」

「そう言うのかい? オルディナが言うには、湿地の西と東じゃどうも植生が違うらしくて、変わった植物が多いんだと。オルディナは、なんというか、ガクシャなんだよ。モンテネグロ人でガクシャっていうのはおかしいと思われるかも知れないけどね」

「そんなことないよっ! これは、これは、大発見だよっ! 見てくれ、ルーク! ほら、テンサイだよ!」

「よく分からんですね。その貧弱なカブみたいなのが、そんなにすごい発見なんですか?」

「マルイモひとつでのし上がった領地に属する卿がそんなことを言うのかい?」


 フェリックスからそう言われて、ルークも事の重大さに気づいて、ほーお、と感嘆の声を上げた。


「アグネス。すぐにオルディナをここに連れてきてくれ。すぐにだ!」


 その後、オルディナとフェリックスは日が暮れるまで話に興じ、オルディナが提示した仮説は実に興味深いものだった。

 モンテネグロ人は各地に分散し、しかも転々とする。野営を強いられることも多く、雑草を食べなければならないこと多い。自然と、植物学の知見が深まる立場にあり、その知識は老人から子へと口伝で伝えられる。

 子供と言っても、将来を見越して戦いの訓練をしなければならないモンテネグロ人はすべての子に伝えられるわけではない。見込みのある、それも子に接することの多い女子に選んで口伝は伝えられる。

 そうした知識を学ばねばならなかったので、オルディナはアグネスたちに比較すれば武器の扱いには習熟していないのだが、その知識でこれまで何度もパーティの危機を救ってきた。

 フェリックスはゼーヴェルトも呼んで同席させ、三人は自然科学の話で興じて、この世界でたった三人だけの同志として、互いの価値を認めるにいたったのであった。

 オルディナが言うには、ダグウッド村は生物分布のちょうど境界上にある珍しい土地なのだという。大湿地を越えることは案外容易ではなく、動物はぬかるみに足を取られて進めず、植物の種は洪水のたびに押し流され、境界を越えられないのではないかと言う。

 前世知識で、高尾山にちょうど植物分布の境界があるのを知っているフェリックスは、津軽海峡にあるブラキストン線のことも思い出し、それに類した境界がここにある、ということを確信した。

 それはつまり、植物上のお宝が向こう岸にはわんさかと眠っている可能性があるということだ。


「このカブは、根菜だから冷害に強いようね。食べてみたが特に問題はないみたいよ。ああ、大丈夫、モンテネグロ人はこういう野生の植物を食べなれているから、多少のことじゃ耐性があるから。まず私たちが食べてみて、毒見をするのがいいでしょうね」

「これはたぶんテンサイだよ。煮詰めれば砂糖が取れるかも知れない」

「じゃあ、植生地をいくつか探して、もう少しサンプルをとってくるわ。植生地を探して、種を入手するのが最優先だと思うけど。旦那はそれでいい?」


 フェリックスはぶんぶんと頷いた。

 アグネスたちの探索の任務に、植物採取が加わったのであった。

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