第23話 ルークの半生

 ルークが斧を使うのは、ルークの父が木こりだったからで、必然的にルークもある年齢までは木こりだったからである。魔族と木こりというのはどうも結び付きにくいが、考えれば魔族がいたとして、それらがことごとく、かのワラキアの串刺公のような王族・貴族だ、というはずもないのだ。

 ルークの父は「取り残された魔族」だったから、自分自身のことでありながら魔族のことはよく知らなかった。魔族普遍に可能であるのか、彼のみの特殊能力であるのかは分からないが、彼は「次第に老いてゆく」という芸当ができた。そして老いきったところで、もし魔族としての余命がまだ残っているのであれば、青年の姿に再び若返るのである。

 木こりというのは、基本的に、特定の山地に定住し、その森林の分布を知り尽くしていなければならないわけだから、十数年で移動するということは出来ないのである。

 半魔であるためか、父の能力を引き継がなかったルーク、それでいながら普通の人間のように普通に老いることは出来なかったルークが、長じて木こりという職業を選べなかった理由である。

 山地には魔域ほどではないが、魔物が出没する。それらを倒せないまでも追い払う戦闘力がなければ木こりは務まらないわけで、木こりの場合は得物は、当然ながら手にしている斧、ということになりやすい。

 ルーク、と言うよりサンダルフォンが二十歳の時に、父親は老衰で死んだのだが、息子に看取られて死んだのは、そして逆縁にならずに済んだのは、彼としては望外の幸福であっただろう。

 550歳であった。父の享年についてはルークはフェリックスには報告してある。魔族に関する貴重な情報だからだ。ただし、父親がルークに自己申告で伝えた数字である。魔族と言っても、別に教育がある人ではなかったから、どれだけ正確に数えられていたかは怪しい。それに、身体的に過酷な、木こりをなりわいにしていたのだから、他の魔族よりは早死にであるのかも知れない。

 もし半魔の寿命が、魔族の半分であるならば、すでに200年を生きているルークは、「今度の人生を最後の、そして本当の人生として生きることが出来るのではないか」と期待している。だが、まだ老いて行く兆しはない。

 木こりは滅多に他人に会わないのだが、少数の人とは長年に及んで付き合うことになる。ルークの父はあらかじめ「弟子」をとった、と言っておいて、適当な時期にその「弟子」になることで引継ぎを可能にしていたのだが、老いることの出来ないルークは山から出ていかなければならなかった。

 人の目を逃れるために、人の少ない山地から、町に移動するのはおかしな話に聞こえるかも知れないが、木の葉は木の葉の中に隠せ、である。逃亡者だって、田舎ではなく都市に潜伏するものである。

 そこから先は血まみれの半生である。

 生きていくために、話すことさえままならなかった僻地の青年は、人生の影など微塵も負っていないかのような明るく社交的なペルソナを身に着けた。斧で戦えば無双であったが、いたずらに他人の好奇心を刺激しないために、剣で戦うすべも身に着けた。

 何人殺したのか分からない。たまたま戦乱の時代が続いたこともあり、木を切るしか能がない男には、人を殺めることで生きるしかすべはなかった。名は変わっても、切り刻まれた魂からしたたりおちる血のような、幼子にまで刃を向ける武装のような、その明るく朗らかなペルソナは、やってきたことを自らに直視させないための、文字通りの仮面であるのかも知れない。

 父が最晩年に自らに許したように、我が子をもうけ、親から子へというかたちで命をつないでゆく。ルークはすでにその資格をうしなっていることを自覚していた。

 憂うものなど何一つなかったあの山奥から、余りにも遠い場所にまでルークは来てしまったのだから。


 領主館の要員も増員されて、執事兼庭師であるマーカンドルフの下に、女中5人、下男1人、馬丁1人がいる。彼らは広さだけはある領主館の使用人棟に居住している。女中のうち、ひとりは経験豊富な未亡人で、ロンド夫人と呼ばれる彼女が女中頭である。最古参の女中は結婚退職したので、たまたま彼女を抜擢できたのである。ロンド夫人は女中と言うよりは、ハウスワイフという扱いになる。

 家政の領分をめぐって、さっそくマーカンドルフの職務を浸食しつつある彼女であるのだが、今は何一つ渡してなるものかと踏ん張っているマーカンドルフも、そう遠からず領分を明け渡すことになるだろう。本当なら、マーカンドルフがまだ執事であり続けていることの方がおかしいのだ。彼は今やダグウッド=ヴァーゲンザイル勲功騎士爵家株式会社の副社長なのだから。

 雇用人としては他にこちらはアビーが管轄しているのだが、秘書、の見習いの青年と、司書、の見習いの青年がいるのだが、彼らは通いである。事務仕事はアビーが一手に引き受けてきたのだが、それも限界が出てきて、秘書を作ったのだが、本来はフェリックスの下につけるべきなのだろうが、フェリックスは日常業務にはさほど関与していないので、つけるとすればアビーかマーカンドルフかのどちらかである。最終的には秘書はそれぞれに必要だとしても、今雇われているリュッケという青年は将来の秘書室長含みで雇用されているわけだから、まずはこれを鍛えてからでないと増員は出来ない。

 今は共通の秘書と言う形になっているが、仕事を総覧するうえでは結果的には都合のいい立ち位置である。彼もまた「高等学校」の在籍者である。

 司書についてはその仕事はまだ「準備中」である。アイリスのおかげで蔵書だけは床が抜けかねないほどあるので、準備が整い次第、図書館を正式開設したいとのフェリックスの計画だった。

 勉強は別に学校で教えられるものだけではなく、自分が興味があるものを自分で学びだしてからが本番だとのフェリックスの考えだった。図書館はそのための必要不可欠なインフラである。

 収入がもっと乏しい時期から、フェリックスは書籍の買い増しは続けていた。

 後は整理し、記録し、修繕し、の仕組みを作るだけである。

 「だけである」と言うが、その作業自体は膨大であった。本当はフェリックスは自分でやりたいところなのだが、さすがにそこまでは手が回らない。

 学校の生徒のうち選抜した者たちについては、自分たちで管理させて貸し出し自由にさせているのだが、そのうち、もっとも頻繁に借りていたのがゼーヴェルトであった。驚くべき速読で、一度、本当に読んでいるのかなと疑ってフェリックスが内容をそらんじらせたところ、細かいところまで覚えていたのだった。

 本読みには、娯楽として読む者もいれば、知識収集がとにかく好きな者もいれば、思考の補助線として読む者もいるのだが、本を読むこと自体が好きだという者もいる。ゼーヴェルトはそういうタイプであった。とにかく、なんでも、分け隔てなく読むのである。


「ああ、ここは本当に宝の山ですよ。本の値段が高いからじゃなくて ― 何と言ったらいいんでしょう」

「分かるよ、君の言いたいことは」


 ゼーヴェルトの思いは、完全完璧にフェリックスの想いと一致していた。


「とにかく私は、こここそが世界で一番美しいところだと思います。おかしなことを言っていると思われるかも知れませんが」


 ゼーヴェルトを司書として雇用したのは、本と言う物に関して、フェリックスの思想と寸分たがわずに一致していたからだ。大勢の人々にこれを開放することがどれだけの変革をもたらすのか。多くの人々が本を読むことが当たり前になれば、世界がどれほど輝かしいものになるのか。

 そのためなら、ゼーヴェルトはいかなる努力も苦とは思わないだろうし、毎日創意工夫を考え続けるはずだ。

 つまり書籍の普及と言うことに関して、フェリックスはもう一人の自分を手に入れたわけである。

 ただ、今はまだ整理と分類に忙しく、本格運用には至っていない。


 後は家臣や雇用人としては、ガマがいるのだが、ガマは離れの一つに居住していたのだが、店舗を拡充し、自身の商会の雇用人も増やしている。そのための居住棟も建設させていたのだが、領主館の敷地内にいるのは変わらない。


 さて、ルークを新たに住まわせるとなると、領主館に一室を与えてもいいのだが、護衛に関してはマーカンドルフもいれば、フェリックスとアビーもいざとなれば自分の身くらいは守れるので、常駐しなければならないというわけでもない。

 二匹の子猫ホテルの運用として、レジデンスとして利用する人のテストケースとして、ルークにはホテル住まいをしてもらうことになった。

 いずれ領軍の宿舎が建てば、そちらに移ってもらうことになるだろう。


「公館と私邸の分離を考えないといけないでしょうね」

 と、ルークは言った。


 業務の拡大や、人の流入に伴って、なんでもかんでもとりあえず領主館で、というやり方が遠からず通用しなくなるのは目に見えている。そう言い出したのはルークであった。

 各地を見た経験があり、この地では「これまでの流れ」にとらわれない異郷人だからこその発想である。ダグウッドに赴任して翌日には、ルークは、フェリックスにそう提言した。

 今の領主館には、フェリックスたちの私邸としての機能の他、役場としての機能、学校としての機能、図書館としての機能、ダグウッド=ヴァーゲンザイル勲功騎士爵家株式会社の本社機能、迎賓館としての機能、祝祭場としての機能、ありとあらゆる機能が詰め込まれ過ぎている。ついでに言えばガマの商会機能も厳密には分離していない。

 今後事務員の増員なども早急になされなけれなならない以上、建物のキャパシティの限界が来るのはそう遠くない。


 更に言えば、ルークが指摘したのは安全保障上の懸念である。一ヶ所に中枢機能が集中していれば、そこがダメになればすべてがダメになってしまう。ヴァーゲンザイル城にも、けっこういろいろな機能が集中しているのだが、何といってもあちらは城である。城の内部でも居住棟や事務棟はくっきりと区分されている。

 歓迎の宴会の翌日、まずはルークは馬に乗って、村内を見回ったのだが、あそこの敷地を確保してこれを作ればいい、あちらの敷地にはあれがあれば便利だ、というようなことを早速まとめてきたのだった。

 ちなみにルークが騎乗した馬は、ヴァーゲンザイル伯爵家から下賜された軍馬で、退職金は貰えなかったが、馬はせしめたルークであった。


「なるほどなあ」

「ホテルの運用は今のままでもなんとかなりますよ。別に最初から理想のホテルでなければならないというわけでもないのですし、ダグウッドを訪れる旅人は、こんな僻地に理想のホテルなんて最初から期待していません。期待値が低いんですから、別に不満もないでしょう。数日内の本格運用をおすすめします。そうすれば技術者や人足を受け入れてもなんとかなりますよね?」


 ある程度の完成形を示して、旅人を唸らせたいというのは領主としてのフェリックスの我欲であった。今、直近の優先順位はそれじゃないでしょう、ということをルークは示したのである。


「…こんな僻地、か」


 フェリックスはふまんげに口を尖らせた。


「こんな僻地ですよ。僻地も僻地、ド僻地です。だから手の加えようがあって面白いんじゃないですか。招請する技術者や人足の一部も家臣団に取り込んだ方がいいでしょうね。民間の建築部門と言っても大工数人じゃ、どうにもなりません。いずれは民間を育てるとしても、当面は公が主体で工事に当たらなければ必要な速度がまかなえません。公の建築部門はいずれ工兵に転用してもいいのですしね。ですからこれは私の管轄でもあるんですよ。ま、マーカンドルフにも話は通しておきましょう。彼もいつまでも弱小勲功騎士爵家の冢宰のつもりでいてもらっても困りますしね。予算の手配もしてもらわないと。

 せっかくそんなに寝ないで済むらしいですから、庭いじりなんてさせませんよ」

「ま、まあ、その辺はお手柔らかに、ね?」

「時はカネなりですよ。ダグウッド家の名声は高まるばかりです。いつまでもこのままでいられるとは思わない方がいいですね。春になれば ― ま、とにかく今は走らなければならない時ですよ。物資の手配で、ガマの尻も叩かないといけないですね」


 ルークが来てから、明らかに開発速度のギアが上がったのであった。

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