第22話 ツバキの花、咲く頃

 この世界で使用されている暦がどうであれ、フェリックスの体感からすれば十二月が一番寒く、一月からぬるんでくるように思われる。この世界では一月二月三月が春なのだから、だいたい、グレゴリウス暦よりも二ケ月前倒しになっていると考えれば、実感に沿う。

 一月から十一月まではすべて三十日で、十二月だけは年によって三十五日であったり、三十六日であったりする。「にしむくさむらい」、大の月、小の月で恣意的な並びになっていないだけ、分かりやすいと言えば分かりやすい。

 暦を支配するというのは中央政府の重要な権能のひとつで、星室庁という機関が暦を作成し、配布している。早ければ夏の終わりには翌年の暦が配布されるのだが、ダグウッドのような辺境では、届くのは冬の半ばになることが多い。

 暦の配達をするのは星室庁の役人で、全土を網羅して派遣されることから、事実上、星室庁は諜報機関の任も帯びている。

 領主館のはなれのゲストルームに、例年なら来ればほとんどその足で去ってゆく星室庁の配達人が、今年はねんごろに五日も滞在したのは、つまりは、まあ、そういうことである。

 ダグウッドに秘密があるといえばあるのだが、別に不正をしているわけでもないので、調べられれば彼らが驚くだけのことであって、ダグウッドには痛くもかゆくもない。生産性を上げて、付加価値のある作物や商品を作り、領地を豊かにしてゆく。当たり前のことを当たり前にやっているだけのことだ。

 本来は辺境伯爵の規模を持つのに、合法的脱税をするために伯爵位にとどまり続けるという、ヴァーゲンザイル伯爵家のような無茶な真似をやっているわけでもない。

 とは言え、配達人がようやく腰を上げて来た道を戻っていった時、家政を預かる執事のマーカンドルフは、安堵の吐息を漏らさずにはいられなかった。

 

 アイリスは樹花が好きだったが、自分で計画してどうこうしよう、まして手ずから面倒を見ようという気はさらさらなかったので、領主館が季節の樹花で覆われているのはひとえにマーカンドルフの趣味である。

 マーカンドルフは属性の影響なのか、睡眠時間が極端に短いので、なるべく音をたてないようにしながらも、月明かりの夜、星明りの夜には、不寝番も兼ねて庭いじりにせいをだしていることが多い。園芸家にとって猫は、不倶戴天の敵であることが多いのだが、領主館の猫たちは躾けられていて、粗相をすることも「ほとんど」ない。

 厳冬へと近づくこの時期には、積もった雪の中に真っ赤なツバキが花咲く時期であり、領主館の居間の窓から、親しくその部屋に通された客人たちは色彩のコントラストを楽しめるようになっている。

 もっとも、その心遣いに気づけるかどうかは、客人の程度次第でもあるのだが。


「いやー、ガマ、あんたこっちに来てたんだねー。ギュラーじゃ、女の子受けする小物とか、あんた目利きだったからさ、いなくなって困ってたんだよ。それでモテなくなった、なんてこたあないけどね! あはは」


 マーカンドルフはをじと目で見ている。いや、今日、この時から客人ではない。ダグウッドの最高幹部会、と言ってもこれまでは当主夫妻であるフェリックスとアビー以外には、マーカンドルフとガマがいるだけだったが、新たにルークが加わった。


「いやあ、ほんまに、人生先のことは分かりまへんね。ルークの旦那と一緒に働くことになるとは、思いもせんかったわ。まあ、愉快なお人やから、何の心配もしていまへんで。仲良くやっていきまひょ。これからもよろしゅうな」

「これからは同僚だからさー、旦那扱いはナシナシ。一緒にフェリックス坊ちゃんのためにがんばりまショウ、ショウタイム! てね。あはは」

「ルーク、結構、素は真面目な性格だったじゃん。また、ルーク仕様に戻したの? 僕のことも殿、って呼んでたよね?」

「坊ちゃん、ほら、ルークですから。ルークとして移籍したんですから、ルークじゃないとおかしいでしょ?」

「そうよね、ルークはルークらしいのが一番よ」


 と言って、アビーは笑った。

 さっそく馴染んでいる。マーカンドルフよりもよほど馴染んでいるかも知れない。


「あー、ルーク殿」

「ほいな、マーカンドルフ

「ほいな? むぅ。確認しておくが、私が家中の第一人者なので、私の指示命令には従ってほしい」

「がってんですよ、先輩は立てないとね」

「いや、先輩とか後輩とかそういう話じゃなくて指揮系統の話 ― まあ、いい。フェリックス様ももはや子供ではなく、一領の領主でいらっしゃる。さすがに坊ちゃん扱いはまずかろう」

「あー、そうですかね? 坊ちゃん、気にします?」

「いいや、全然」

「フェリックス様はご寛大なのでそうおっしゃるが、下の者が甘えることは慎むように」


 うーん、とフェリックスは腕を組んだ。先日は村内の街道沿いに、ダグウッド(ハナミズキ)村なんだからと力説して、ハナミズキを植える予算を無理矢理ぶんどったのはマーカンドルフではなかったか? あれは甘えているのとは違うのだろうか。どう考えてもマーカンドルフの趣味目的のような気もしたが。


「うーん、じゃあ、フェリックス様! これならいいでしょう、ね?」

「まあ、それなら。ところで卿の見解を伺っておこうか。こたび、卿を迎え入れるためにヴァーゲンザイル勲功騎士爵家は、マルイモのヴァーゲンザイル伯爵家への供給量を従来の2.5倍に拡充させるという多大な負担を負うことになった。卿はこのことについて、どうお考えか?」

「うーん。マダム・ローレイが言い出されたことですよね。あのお人はお子さんたちのことをよく見ていらっしゃいますよ。あの方がフェリックス様ならこなせる、と思われたならこなせるんでしょう。なにしろフェリックス様ですから。それに別に無料で差し出せというわけでもないでしょう。安価ではあるんでしょうが、十分に利益が出る価格設定になっているはずですよ。市場が拡大したと思えば、当家にとっても大きな利がある話ではないでしょうかね」

「はあ? フェリックス様にご負担をおかけした卿がそれを言うのか?」

「うーん、マーカンドルフ殿はフェリックス様には出来ないとでもおっしゃりたいんでしょうかね? マーカンドルフ殿が補佐していながら?」

「できる! できるとも! そういう話じゃない! ここまで異例の手段でお世話になったんだ、忠誠でもって報いてしかるべきだろうって言っているんだ!」

「そもそも忠誠を誓えないのであれば、この地方の雄、ヴァーゲンザイル伯爵の不興をかうおそれを犯してまで、こちらには来ませんよ。腐っても騎士です。騎士の忠誠は、同僚の歓心をかうために軽々しく示すようなものではありませんよ。まあ、騎士ではないマーカンドルフ殿はご存じないかも知れませんがね。私の忠誠はフェリックス様さえご存じならそれでいいのですよ」

「…ほう、なかなか弁も立つではないか。…。ああ、今思い出した。なにゆえ懸念がぬぐいえないのか。遠い昔、ボーデンブルクの大乱のおりに、味方を裏切り、大損害を与えたがいたな。確か両斧りょうじんのトレヴァースと言ったか。そういえば卿は斧を得物にしているそうではないか」

「…私が経験した戦場では、間諜として潜り込んでいた敵陣を混乱させたはよかったのですが、たった一人の天雷を操る魔法使いのせいで食い止められて、あやうく仕留められそうになったことがありましたね」

「狙って仕留められなかった敵はあの両斧だけだったな。あの時のツケを払ってもいいのだがな」

「私を追い込んだのはあの天雷の小僧だけでしたね。私もいつか借りは返したいと思っていたんですよね」

「おいおい」


 思わぬ展開になって、フェリックスがおもわず両手で両者を制した。


「奥方はん、ボーデンブルクの大乱って百何十年も前のことでっしゃろ? おふたりは何を言うてはるんやろ?」

「たぶん、後で説明してくれると思うよー。フェリックスって変わった人ばかり集めてくるよねー」


 ふうっ、っとマーカンドルフは息を吐いた。


「よからぬ真似をしようものなら、その天雷の小僧が地の果てまで追い詰めることだけを分かってもらえたなら、それでいい」

「そういうことにはならないことは約束しましょう。我らは今は同じ主に仕える身。この主の掛け替えのなさはあなたなれば知っているはずですよ。我が剣は、いや我が斧は、ことごとくフェリックス様のためのみに振るわれること、誓いましょう」

「…当面の任は両斧に任せるにはバカバカしいほど軽量なものばかりだ。まずは治安組織を編成し、領軍の礎を作ってもらう。領軍と言っても、この身代だ。さほど華々しいものにはなり得ない。地べたを這いずり回るような任だ。卿に忍べるかな?」

「どの任にも軽いも重いもありませんよ。それに身代が小さくても戦いようはあります。まして、この地は、兵にとっては守るべき故郷。どの貴族が束になって襲ってきても守り切るだけの領軍を作って見せましょう。

 さ、硬い話はこんなもんでいいでしょう。顔見世だけじゃないでしょ? 当然、宴会の準備はしてますよねー? そうでしょうそうでしょう、さすがフェリックス様、わかってるぅー! 宴会ですよ宴会! あ、ガマ殿とアビー様には後で私の素性のことはお教えしますからね。びっくりしますよ、もう、えへへ。はいはい、執事さん、宴会ですよー、働いてー」

「ルークゥー、調子になるなよお~」

「あ、天雷くんもそういう表情かおをするんすね。あはは、これはいいや」


 その時、扉が開いて、領主館の猫たちがそぞろ入って来た。ドアノブは押し下げるタイプなので、この家の猫たちは、扉を自分たちで開けられるのだ。決して閉めはしないのだが。

 猫たちがみな、マーカンドルフを素通りして、ルークのところに行き、挨拶をしたり媚を売っているのを見て、マーカンドルフはがっくりとした。


「はいはい、働きますよ。いいんですよ、私はあくまで執事ですからね」


 ビールが大量消費されて、「今月の家計がっ!」とマーカンドルフが怒り狂うことになるのだが、それはまだ先の話だった。

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