第20話 マダム襲来

 家臣と言うのは辞める/辞めさせられるというのを本来想定されていない。家臣の地位や立場は世襲されることが多いし、当人によほど問題があっても、代々の家臣の末裔ならば、なんとか押し込める先はないか、領主は苦労と工夫をするものなのだ。

 と言って、別に奴隷ではないので考えてみれば、当人が辞めようと思えば辞められるはずなのだが、領主家の内情に深く食い込んだ家臣が「あ、今月で僕、辞めます。有休消化よろしくね」と言い出したとして、はいそうですかと頷ける領主が果たしてどれだけいるだろうか。

 ルークはだいたい15年周期、長くても20年周期で職場を転々としているわけである。どこで雇われても、代々の家臣というわけではないから、あっさり辞められるかと言えばそうでもなく、向こうはルークの人生まるごと面倒を見るつもりで雇用しているわけだから(家臣を雇用するとはそういうことである)、え? なに? おまえなに裏切っちゃってんの? という反応になりやすい。と言うか大抵はそうなる。

 そこのところ、今までどうしていたわけ? とフェリックスが尋ねると、ルークが答えて言うには、要は力業で出奔するわけである。そして50年以上はその地方には近寄らない。半世紀も過ぎれば知人の大半は死んでいるわけで、先日、ばったり再会してしまったベイベル辺境伯は例外なのだ。出会ったとしても50年が過ぎれば、若い風貌のルークが、50年前の「ルーク」と同一人物とはまずつながらない。

 ところが今回は、ヴァーゲンザイルの町にほど近いダグウッド村に移籍するわけだから、いきなり出奔と言う手は使えない。

 ルークは辞める時のことを見越して、どうしても惜しい、手放せないと雇用主に思ってもらっては困るので、技量を抑えている。一方で雇ってもらう時には、「まあ合格点だな」くらいには思ってもらわなければならないので、そこそこの技量は見せなければならない。

 ヴァーゲンザイル伯爵家での騎士としてのルークの評価は、可もなく不可もなく、まあ中庸、という評価コントロール大成功状態にあるから、ヴァーゲンザイル伯爵がなにがなんでもルークは手放さない、とごねるとは思いにくい。

 しかし弟の、それもはるかに格下の勲功騎士爵家に引き抜かれるとなれば話は別だ。貴族の面子にかけて、妨害にかかるかも知れない。

 どう円満移籍にもっていくか。それがフェリックスに課せられたミッションである。

 伯爵家と要らぬもめ事を引き起こす、しかも半魔というわけのわからない存在のそんな男を引き抜くことに、マーカンドルフは強硬に反対したが、「もう、騎士の忠誠を受けちゃったし。今更白紙には戻せませーん」と言うフェリックスの態度に、またしても競り負けしてしまうマーカンドルフであった。

 それに経験豊富な騎士がいてくれれば、今後のダグウッド家にとってどれだけ有難いか、それは本当のことなのだ。なにしろルークは御年200歳、経験だけは安売りセールをしてもいいくらいに豊富である。


「文のマーカンドルフ、武のルーク、おじいちゃんたちが支えてくれたらうちも安泰だと思うんだよねー」

? 私は武でもそんな騎士くずれごときよりも上ですよ? 私がひとたび雷撃を放てば ― 」

「いやいや、あ、うん、そう、そうなんだけどね、言葉の綾ってもんじゃないか。ルークには冢宰はさせられないし、マーカンドルフだって体がふたつあるわけじゃないよね。そういう意味で武をルークに任せれば、うまい具合に家政が回るって話だよ」

「…私の立場や指揮権、命令権がその者よりも上ならば、フェリックス様がどうしてもと仰せならば、気乗りはしませんが受け入れてやってもいいですが」

「もちろんマーカンドルフが一番だよ。どんな時だってマーカンドルフが一番だよ」

「ま、それならば…いいんですけど」


 ヴァーゲンザイル伯爵アンドレイの説得については、今回は下手下手に出るしかないというのがマーカンドルフの見解だった。

 とにかくもアンドレイが好意でルークをフェリックスの護衛につけてくれたのは事実であるし、その好意を踏みにじって、ルークを引き抜くことになるのも事実である。

 交換材料として更なる利益を伯爵家に与えるか、脅迫材料として今与えている利益を反故にするか、硬軟両面の対応策が考えられるのだが、今回は筋から言っても「うちが悪い」のは事実なので、下手に出るべきだというのがマーカンドルフの考えだった。

 湿地開拓のペースを上げれば、マルイモ増産の見通しも立っている。現状の1.5倍の供給を最大値としたうえで、出来るだけ抑えた数字でなだめるのが望ましい。


「ふざけるなよ、フェリックス。家臣を引き抜かれて黙っている領主がどこにいる?」


 ところが、アンドレイの怒りは思いのほか激しかった。

 ルークの話なので居合わせたルークをも激しく叱責し、義弟を迎えようとたまたま同席していたザラフィアがなだめようとすれば、ザラフィアにも怒りを向ける始末だった。


「あ、えーと、アンドレイ兄さん、マルイモの供給を増やしてもいいんだけど」

「おまえな、これは貴族の誇りの問題だ。いいか、貴族というのは誇りだけで生きているんだ。誇りをないがしろにされて黙っていたら、貴族と平民、どこに違いがある? 最後の最後は損得勘定では動かない。これを守ってきたからヴァーゲンザイル伯爵家は続いてきたんだ。おまえも仮にも一領の領主なら、そしてヴァーゲンザイルの姓を名乗るなら、この程度のことはわきまえておけ!」


 うわー、これは厄介なことになったな、とフェリックスは頭を抱えた。基本的には普通はここまでは怒らないアンドレイである。虎の尾を踏んでしまったようだとフェリックスは気づいた。

 そして悲しいかな三男坊、長男にここまで叱責されれば、あれこれ口車に乗せる余裕はなかった。


「頼むよ、兄さん、頼むよ、アンドレイ兄さん。僕は未熟で、どうしてもルークに来てほしいんだ。助けてください、兄さん。どうか僕を助けてください」


 フェリックスは思わず土下座をした。

 すかさずルークも同じく土下座をする。

 この世界には土下座の風習はない。思わず前世のしぐさが出てしまった結果だ。だが、平身低頭、極限の誠意として、伝わるものはあったようだ。


 アンドレイは変わらず厳しい表情だったが、少しだけゆるんでいる。


「ねえ、兄が弟を助けてあげるのは貴族の誇りに叶うことだと思うわよ。そして、私はフェリックスとアビーを助けてあげたい。掛け替えのない弟妹だもの。アンドレイ、あなただってそうでしょう?

 確かにフェリックスは賢い分だけこそこそ策を弄するところがあるのかも知れないけど、心根は優しい子よ。あなたも分かっているわよね?

 ね、フェリックス。今度のことはあなたがいけなかったわね。ルークと話をつける前に、先にアンドレイに誠心誠意、話しておくべきだったわ。でも分かったわよね? あなたのお兄さんは、小手先の策でどうこう出来るような人じゃないわよ?」

「はい。ごめんなさい、ザラフィア姉さん。僕が悪かったんです」

「ザラフィア。まったく君は甘いな ― 。ギュラーの三姉妹の中で一番お人よしなんじゃないか」


「だからあなたに寄り添うことができるんじゃないの。アンドレイ、ザラフィアがいればこそよ。ザラフィア以上にあなたのことを思いやってくれる人は他にはいないのよ。そのことは分かってあげて」


 そう言いながら、勝手知ったる我が城とばかりに入室してきたのは、マダム・ローレイ、ヴァーゲンザイル三兄弟の母である。


「母上…」

「まったく帰って来たばかりのところに出くわすのが兄弟喧嘩だなんて、あなたたちは、母親をなんだと思っているのかしら。ほら、フェリックス、立ちなさい。母親に無様なところを見せないで。ルーク、あなたもよ」


「母上、お帰りならば使いを下されば出迎えの者を向かわせましたのに」

「大仰な出迎えはたくさんよ、アンドレイ。もう私は伯爵夫人は引退したんだから。せいせいするわ。

 兄さんのところは女の子ばかりでよかったわね。キシリアたちは仲が良くてなによりだわ。男の子なんてほんと、育て甲斐が無いんだから。あーあ、私も娘を産めばよかった! この年になって兄弟喧嘩なんて、みっともない」

「お言葉ですが母上、これは貴族としての誇りの問題でして」

「アンドレイ。私はあなたもフェリックスも貴族として産んだわけではないわよ。我が子として産んだのよ。フェリックス、あなたがどう思っているか知らないけど、母親は母親ですからね。アンドレイを立てているのはそうした方が兄弟仲良くまとまるからよ。あなたも私の大事な子、でもお兄さんに敬意は忘れないようにしなさい」

「はい…母上」


「ルーク」

「はっ」

「…そうね、何を抱えているか知らないけど、フェリックスにはのよね?」

「はい。我が心からの忠誠を捧げました。伯爵様には申し訳ないことですが」

「まあ、これはめぐりあわせでしょう。ルークはフェリックス向きだと思っていたわ。落ち着くところに落ち着いたということでいいでしょう? アンドレイ」

「母上、いくら母上でもそんな勝手に」

「勝手にするわよ? いったい誰のお腹の中から産まれてきたと思ってるの? 一人で大きくなったような顔をするのはよしなさい。はーい、ここであなたたちのお父さん、先代伯爵の遺命を発表しまーす。ルークはフェリックスに仕えさせよ。以上でーす」

「絶対嘘でしょう、母上」

「あら、当代のヴァーゲンザイル伯爵は先代の遺命を無視するのかしら。もしそうならはなはだ遺憾だけど、先代の夫人として一族会議を招集して訴えるしかないわね」

「あーーーーーーーーー、分かりましたよっ! ルーク、おまえは馘首だっ! 退職金は出さないからなっ」

「兄さん、本当にすいませんでした。母上、姉さん、ありがとうございました」

「あらー、お礼ならマルイモで頂戴ね」

「え? マルイモ?」

「フェリックスのところで交渉材料に使えるのはマルイモくらいでしょう? 正直におっしゃい。今の何倍までは供給できるの?」

「…」

「嘘をついてもわかるわよ? 母親なんだから」

「…マーカンドルフは1.5倍以内で手打ちにしろと」

「じゃあ、2.5倍ね」

「そんな! 供給がまにあいませんよ!」

「間に合うわよねえ? フェリックスならなんとかなるわよねえ。なんとかならないなら、ダグウッド村の分までこっちに回しなさい」

「そんな無茶な!」

「ルークはそんなに安くはないはずよ。あなたたちのお父さんに、ルークを絶対に雇用すべきだと進言したのは私なんだから。自分で言うのも何だけど、私は人を見る目だけはあるのよ。ルークはそんなに安くない。フェリックス、あなたは知っているはずよね?」

「で、でも…」

「いい? フェリックス。アンドレイは敢えて弟のために口惜しさを呑み込んでくれたのよ。あなたが血の汗を流すのは当然じゃないかしら?」

「ひ、贔屓ですよ、やっぱり、母上」


 そう言うフェリックスにマダム・ローレイは近寄って、抱きしめた。


「そんなことはないわよ、フェリックス。あなたのこともちゃんと愛しているわよ。ただ、忘れないでね」


 ローレイはにこりと笑った。


「私がヴァーゲンザイル伯爵夫人だったということを。あなたの家が、ヴァーゲンザイル伯爵家を蔑ろにしないことを祈っているわ」


 フェリックスはがくり、と肩を落とした。

 

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