第18話 猫は恐ろしい

 猫は恐ろしい。鼠も恐ろしいが、猫も十分に恐ろしい。

 何が恐ろしいかと言えば、、ことだ。


「元いたところに捨ててきなさい!」

「いやいや、それはおかしいだろ。猫じゃないんだから」


 ご機嫌斜めなのはマーカンドルフだ。十年前、まだ幼かったフェリックスとアビーが二匹の子猫を拾ってきたとき、アイリスおばあさんは、


「世話をするのはマーカンドルフなんだから、マーカンドルフに飼ってもいいかきいてごらん。ダメだって言われたら諦めるんだね」


 とマーカンドルフに丸投げした。

 マーカンドルフも、うっかり「いいですよ」と言ってはいけないと思うくらいには猫を恐れていた。猫は増えるからだ。こういうのを情に流されずに毅然と断るのは保護者の仕事でしょうがっ! とアイリスを恨みつつも、子供二人の全身全霊を込めた「ね、いいでしょ?」攻撃を粉砕できるほど、マーカンドルフも悟れてはいなかった。


「くっ、ころ ― いや違いました、くっ、しょうがないでしょう」

「ハイ言った! マーカンドルフ、言った! そんじゃ、猫の世話はあんたの仕事だからね」


 まんまとアイリスに踊らされた十年前のマーカンドルフだった。

 そして懸念した通り、猫の避妊・去勢手術などないこの世界である、ダグウッドの領主館はすっかり猫屋敷である。マーカンドルフがダグウッドを離れていた時には、特になついていた猫、3匹を引き取っていたのだが、今は再び合流し、11匹の猫、である。

 ただ、マーカンドルフが一匹一匹に、「正直これ以上増えられたら本当に困るのだよ、君たちそこのところどう考えてるの?」と言ってからは、増えていない。猫も案外空気を読むのかも知れない。


 だから十年前と同じ過ちを繰り返すわけにはいかないとマーカンドルフは決意を固めている。


「ダメです! 拾ってきた場所にお戻しなさい!」

「いやいや、アグネスたちは人間だから!」


 マーカンドルフはプロの執事である。執事であると同時に、魔法使いであり、ダグウッド=ヴァーゲンザイル勲功騎士爵家の戦略兵器であり、同家の冢宰ちょうさいなのだが、とにかくは当人の意識で最優先しているのは執事である。

 だから客人を迎え入れるにあたってはいささかの遺漏もなかった。相手がモンテネグロ人であろうとも客人は客人である。領主館に部屋を用意し、いきなり増えた人数分の食事も用意し、アグネスたちからも「なんだかお姫様扱いされているみたいで気恥ずかしいよ」との賛辞も貰い、自分で自分を褒めてあげたいマーカンドルフである。というか、もう自分で自分を褒めることはやった。

 だが、ツラだけは可愛いものの、時々本気で「バカなの? 本当に本気でバカなの?」と揺さぶりたくなる若い当主が、

「ま、十中八九、承諾してくれると思うけどねー。アイリスたち、うちで家臣として雇用することになるから」

 言った日には、沈着冷静の仮面をかなぐり捨てて、二歳児のように金切り声を上げたくなるマーカンドルフであった。


「何考えてるんですか、フェリックス様。モンテネグロ人ですよ? 冗談は顔だけに ― いや、顔だけはかわいらしいから始末に負えない ― 冗談はその絞った雑巾のようにねじくれた性格だけにしてください」

師匠せんせい。何気にひどいことを言われているような気もするけど、あれ? マーカンドルフってモンテネグロ人だからどうだとか、そういうの気にする人だったけ?」

「モンテネグロ人どころか兵器扱いされてきた人間ですよ、私は。私個人はたかが肌の色が黒いことなどどうでもいいです。勲功騎士爵家の名誉の話をしているんです。分かっているはずですよ。モンテネグロ人を家臣団に組み込めば、当家は貴族社会の鼻つまみ者になりかねません。この北東辺境では特に、そうです」

「うちを鼻つまみ者に出来る家なんてないよ」

「それは ― うぬぼれが過ぎるのでは?」

「そうかな? ヴァーゲンザイル伯爵家だって、今は恩に着せて、マルイモを代価として泳がせてやっているくらいに思っているだろうけど、もううちのマルイモなしでは立ち行かないよ、あの家は。首根っこを押さえているのは、うちの方だよ。

 ギュラーだって、ベイベル辺境伯だって、ヴァーゲンザイル伯爵家を羨んでいる。マルイモを供給してやればすぐに飛びつくさ。そして、一度、味わったら、二度と止めることはできない。麻薬と同じだよ、あれは。経済的な意味で、あれは麻薬だ。そしてその麻薬は ― ダグウッドでしか栽培できない」


 無論、マーカンドルフはそれに気づいている。だが ― 。


「彼らがその事実に気づくのは遅ければ遅いほどいいでしょう」

「ま、それはそうだな」

「モンテネグロ人を家臣団に組み込めばどうなるとお思いでしょうか。彼らは不愉快に思うでしょう。不愉快に思いつつそれを伝えれば、ダグウッド家ごとき、身をひるがえしてひれ伏して当然だと思うでしょう。しかしそうはなりません。そこでモンテネグロ人たちを追い出すくらいなら、フェリックス様は最初から引き入れはしないですからね。その時初めて彼らは気づくんです。ダグウッド家を屈服させる手立てがないことを。

 モンテネグロ人は異質すぎます。だから、日常の連続性を途切れさせてしまうんです。前はこうだった、だから次もこうなるだろうと彼らが当たり前のように惰性で考えているところに、立ち止まらせて考えさせてしまうんです。

 危険ですよ。モンテネグロ人を家臣団に組み入れるのは今はまだ危険です」

「ふむ ― 」


 フェリックスは考えた。マーカンドルフの言うことは筋が通っている。

 押し通しても何とかなる。だが、あと数年、余裕があればそれに越したことはないのは確かだ。

 最悪、理由をつけられて、ダグウッドを軍事占領されることもないとは言い切れない。すでに数度は中央政府への徴税に応じているから、王威が及ぶ地に対して滅多なことはされにくいとは言え、絶対にされないとも限らない。ダグウッドとという土地の秘密はそれだけの無茶をする価値があるものだから。

 特にヴァーゲンザイル家、ギュラー家、アインドルフ家は、とっくにかたのついた相続に難癖をつけてこないとも限らない。

 王家がふたつに分かれて両統時代が続く中、中央政府の力は決して強くはない。地方地方では、武力にものを言わせての実力解決も横行し、権威を守るため、王家は後追いで追認することが多い。

 だからこそ、防衛力を強化したいのだが。


「分かった。当面は、冒険者としての契約を続けよう。実態はほぼほぼ同じことだけどね」


 家臣と違う点は、満期が過ぎれば都度都度、冒険者ギルドを介して指名依頼をしなければならない点だ。そのたびにベイベルに赴く必要がある。

 探索がうまくいけば、いずれここにも冒険者ギルドを勧誘することが出来るかも知れないのだが。


「魔法のことですが、いざとなれば私が戦陣に立つつもりです。その時には使いつぶすおつもりで命令なさってください。それと ― 折を見て、フェリックス様とアビー様の魔法も点検しておくべきでしょうね」

「どのみちここでは出来ないからなあ。それも込みでの探索さ。だから、アグネスたちの任務は、本当に重要なんだよ」

「あの者たちにその任が務まるでしょうか?」

「務まる ― と僕は思う。腕もたつのも確かだけど、アグネスは頭も切れるからね」

「その信頼に値するかどうかは、まずは彼女たち自身に証明してもらいましょう。探索の任務も務まらないようなら、モンテネグロ人という負荷の要素を抱えてまで家臣にする価値はありませんから」


 と言うような裏のやり取りがありつつも、表面上はアグネスらに対しても極めて慇懃なマーカンドルフだった。


 翌日からは、本館の建造を終えたホテルに、アグネスたちは移ることになった。

 人材の育成が順調で、考えてみれば別に微積を教えるわけでもなければ、理科、歴史もばっさり切り捨てて、読み書きソロバン、ソロバンはこの世界には無いのだけど、まあ四則計算くらい出来れば十分なので、「卒業」へ至る日数も短い。

 もちろん幾人かは選抜してより高等な内容を教えている。

 様子を見て、生徒の水準が十分に達したならば異世界知識をある程度伝授してもいいと考えているフェリックスだった。もしそうなれば、科学教育においてはダグウッド村は世界最先進になるだろう。

 今のところはフェリックスの必要を賄う人材が供給されれば十分であって、当面、ホテルにはすべて成人であるが男女それぞれ4人ずつを雇用した。いずれも、「厄介」であった者たちだ。給与を得られれば彼らも自立して結婚して家庭を築けるだろう。

 雇用するにあたっては、能力ももちろん大事なのだが、性格を重視した。人の嫌がることは絶対にしない者たちだ。

 ダグウッド村は「いい意味で」引っ込んでいて、道もヴァーゲンザイルとギュラーにしか通じていない行き止まりに位置していたから、村人は本当にすれていないし、他の地域に疎い。

 モンテネグロ人に対する偏見も相対的には小さいが、他所から来た者や、いったん外に出て戻ってきた者もいるので、偏見が全くないわけではない。

 もちろん、「ホテル」の従業員たちには、お客さまはお客さま、カネの前には人類みな平等、というフェリックスの思想を叩き込んであるから、粗相はないはずだし、もしあれば、フェリックスは入れ替えていくつもりである。

 ベイベルへの旅で、文明のホテル、ホテルのチェーン化というアイデアが生まれたのだが、ダグウッド村の宿は最初からただの宿にするつもりはなかった。

 このホテルは将来のチェーン化の雛型であり、経済とはなんたるかを知らしめる闘技場でもある。

 経世済民、その思想をダグウッド村内部だけではなく、他所から来た人たちにも体感してもらい、外へと広げて行く第一歩の試みだった。

 内装もまだ不十分で、実際の開業にはまだしばらく時間がかかるのだが、「身内」でもあるアグネスたちを試験官にして、オンジョブトレーニングをするにはうってつけの機会でもあった。

 従業員たちの中にわずかにあるかも知れない「黒い人たち」への違和感を乗り越える訓練でもある。モンテネグロ人を平常心で扱えるなら、他の大抵の客にも通用するはずだから。


 このホテルの試運転をもってして、フェリックスは、いよいよ自分のなす革命が動き出したという実感と自負心を抱いていた。


 このホテルの名を何とするか、アビーと顔を突き合わせてああでもないこうでもないと言い合ったのだが、ふたりがたどり着いた名前は ― 。


 二匹の子猫ホテル、だった。

 ゴロは悪いが、所在無げにさまよっていたあの子猫たちのように、居場所を求める人々にそれを提供しようという意気込みが込められている。

 それに、猫の屋号をつけ、看板にも猫をあしらえば、ホテルに猫がいたとしてもおかしくはないかも知れない。

 領主館の猫たちが今後増えたとしても、彼らにとっても居場所になるかも知れないホテルだった。

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