第12話 騎士ルーク

 ヴァーゲンザイル伯爵家はフェリックスの実家だから、家の子郎党とはフェリックスは顔見知りであり、伯爵家の家臣たちからすれば、フェリックスは「フェリックス坊ちゃん」である。

 ヴァーゲンザイル三兄弟のうち、アンドレイはいかにも伯爵家の総帥らしく若年ながら威厳があるし、コンラートは剣の腕では大抵の者たちよりは抜きんでている。性格も気さくな体育会系だ。

 フェリックスは文系であるし、文系を評価するほど、ヴァーゲンザイル伯爵家は文化満つる場所ではない。

 フェリックスは上の二人と比較すれば「一段劣る」と見られれていたし、ただ、別に性格に難があるわけではないので、「おかわいそうな坊ちゃん」として生暖かく接されていたのであった。

 もちろん、ヴァーゲンザイル伯爵家にも存在する文官のラインから見れば、「おかわいそう」どころではなく、伯爵と同じく、「何やら得体のしれない文明的な意味での劇薬」と認識されつつあったのだが、伯爵家の軍政面を司る騎士団にとっては、フェリックスはあいかわらず、ちょっと抜けている保護対象でしかなかった。


 アンドレイにとっては、護衛騎士の件でフェリックスが自分を頼ってきたことは満更でもない。半ば他家であるヴァーゲンザイル勲功騎士爵家に騎士を貸し与えるほど、アンドレイもヴァーゲンザイル伯爵として鷹揚ではないが、ギュラー伯爵家を頼らなかったという点だけでも、今回はフェリックスに飴を与えるべきであった。


「マルイモの件ではおまえにも世話になっているからな、いいだろう好きな者を二三人連れていけ」


 実際には世話になっているどころではない。安価な食料の大量供給は、相当な利益をヴァーゲンザイル伯爵家にもたらしている。さっそくギュラー家をはじめとして他家もフェリックスに接触を計っているが、供給能力の限界から、フェリックスは他家にマルイモを卸すのを現時点では断っている。実際、現時点では供給に限界があるのは事実で、その中でヴァーゲンザイル伯爵家にだけは卸しているという事実は、勲功騎士爵家が伯爵家の保護下にあることを示している。

 両家が同じヴァーゲンザイルであるのは事実であるし、勲功騎士爵家がヴァーゲンザイル伯爵家を「選ぶ」のに義理人情から言っても妥当性があるのは明らかであるので、他家も強くは出れない。

 フェリックスとしては苦情はヴァーゲンザイル伯爵家の方へどうぞ、で済ませることが出来るのだ。そしてこの地域の雄であるヴァーゲンザイル伯爵家と公然と敵対できる家はそうは無い。

 ただ、いつかは食いちぎらなければならない鎖である。

 そのことはフェリックスもアンドレイも理解していた。

 しかし今のところは、フェリックスも表面上は従順であり、アンドレイもそれでよしとすべきであった。


「いえ、多数は必要ありません。ルークをお借りしたいと思います」


 しょせんは勲功騎士爵であり、大所帯で大名行列をすれば要らぬ嫉妬を買うだけだ。そもそも大人数になれば経費が余計に掛かる。ヴァーゲンザイル勲功騎士爵家はすでに実際には大規模な准男爵家に匹敵する身代であるが、手元の資金は将来の資本である。非常に富裕であったアイリス・ギュラーに養育されたこともあって、勲功騎士爵としてはフェリックスの暮らしは贅沢ではあったが、贅沢すぎるというほどでもない。

 貴族の贅沢さは顕示的みせものな贅沢であり、大抵は見せるための贅沢であり、贅沢のための贅沢である。自分たちがカネを使わなければ領内にカネが回らない程度のことは大抵の貴族は理解していて、そのためある程度は義務として贅沢をしている。

 貴族だからと言って三食が毎度毎度ごちそうばかりでは、拷問に等しい。だが義務であるので、女中や召使に下げ渡すのを前提として涙を呑んで贅沢をしているのだ。

 フェリックスの場合は肩書は勲功騎士爵に過ぎないし、ダグウッド村しか領地はないので顕示的な贅沢をする必要はない。すべて自分たちの欲求を満たすための贅沢であって、生活の満足度は高いのだけれども無駄使いというわけではない。

 必要もないのに大名行列をする気は、フェリックスにはさらさらない。

 そもそも純粋に護衛の意味であれば、フェリックスを襲って生き延びられる者はほとんどいないはずだ。ただ、魔法のことは出来るだけ伏しておきたいのも事実であるし、誰の目から見ても護衛ですよという備えがいてくれれば、事前にわずらわしいことは避けられるのも確かだ。

 護衛騎士はいわば飾りでありつつ、最小限度の必要を満たせばいいのであって、一人で十分だった。


「あれ~、フェリックス坊ちゃん、めずらしい。ここには滅多に来られないのに」


 アンドレイの執務室に呼ばれた騎士はルーク、二十八歳である。十二年前からヴァーゲンザイル伯爵家に仕え、フェリックスとも旧知の仲だった。

 仕え始めた頃からまったく性格が変わらず、軽く、明るく、付き合う者にまったく負担感を抱かせない。騎士としてはそこそこ有能であり、そこそこ有能にとどまるレベルだが、組織の潤滑油としては使い勝手のいい男だった。


「ルーク、嫁はみつかったか?」

「ぐふぅ。それは言わない約束ですぜ、フェリックス坊ちゃん」

「そんな約束をした覚えはないけどね…いや、冗談抜きで、おまえももう二十八歳だろう。そろそろ身を固めるべきなんじゃないか」

「フェリックスの言うとおりだ。私もつねづね言っているのだが。宿屋のだれそれとか、八百屋の看板娘とか、気ばかり多くて、一向に話がまとまらん。おまえももう中堅どころ、おまえが結婚しないと下の者たちが遠慮して結婚できん。冗談抜きでそろそろ身を固めないなら強制的にこちらで相手を見つくろうが」

「伯爵さま~俺が結婚したら泣く女が両手では足りませんぜ。俺はみんなのルークなんですからあ」

「いいように使われてもてていると勘違いするなんて、バカだなあ、ルーク」

「フェリックス坊ちゃん…俺は実際、もててるんですよ?」

「と、言いながら、振られたと言ってべそをかいていたのは誰だっけなあ?」


 フェリックスは誰にでもこういう風に絡むわけではない。中の人は累計すれば還暦過ぎの爺さんだし、幼児の頃から考え事に忙しかったので、基本、「俺にむやみに近づくな」オーラを出していたはずなのだが、人間とは不思議なもので、中にはその鉄壁の武装地帯を乗り越えてくる者もいる。

 アビーもそうだし、このルークもそうだった。いつの間にか、構い構われの関係になっていた。

 ただ、アビーは明らかに深い好意はフェリックスにしか示していないのに対し、ルークは誰にでも同じ態度、親切で陽気でほがらかである。

 伯爵家騎士団の騎士と言えば平民では憧れの職業であって、平民としては高給取りの方である。腐っても(腐ってはいないが)騎士なので、体格もいいし鍛えてもいる。ルークは黙ってさえいればさわやか系のイケメンに見えないこともない面がまえで、まあ、中の上か上の下というところだろう。

 条件から言ってももてないはずがないし、普通なら十代のうちに、「高望みはしないけど、そうね、結婚相手の年収は一千万円くらい? は欲しいわよね」系のお姉さま方にツバをつけられて、普通ならとっくに処理済み物件になっているはずなのだ。

 ルークは誰に対しても同じ態度なので、さすがにどのお姉さま方も「私は特別」とは思えなかったのだ。みんなのルークは、誰か一人のルークにはなれないのだ。

 それがルークは結局は、振られ続けている理由である。

 別に周囲に被害はなく、当人も苦にしているようでもないので、それならばそれでいいとも言えるのだが、フェリックスは少しひっかかりを感じる。

 ネガティヴな感情を持たない、持っているのかも知れないけれど、それをまったく表に出さないというのは、なんだか、余りにも非人間的すぎる。


「と、いうわけで、ルークを護衛にお借りします」

「フェリックスがそれでいいなら、別にルークでもいいが。ただ、おまえは見た目はまだ少年なのだから、もう少し貫禄がある騎士の方がよくはないか?」

「え? フェリックス坊ちゃん、伯爵様、どういうお話なんでしょーか?」


 ルークを選んだのは、人間関係上、フェリックスが負担を一番感じない相手がルークだからだ。好きか嫌いかで言えば、大抵の人と同じく、フェリックスはルークが好きである。

 でもだからこそ、そこにひっかかりを感じる。フェリックスは、「人間は案外、動物だ」と思っている。たいていの人間は好き嫌いだけで、本能だけで動いているし、言葉は本能を飾り立てるためにしか使われていない。

 だからこそフェリックスはうかつに「好き」「嫌い」とは思わないようにしていて、ましてそうした感情を口に出すことはない。感情を意識してそれを口に出してしまうことが、更に自分の感情を誘導してしまうからだ。その程度のことが分かる程度には、フェリックスは「年を取っていた」し、前世では様々な経験もしていた。

 その自分に、こうも警戒心を抱かせないというルークという男は、ある意味、異常である。

 旅の間に、長年のこの引っ掛かりの手がかりも得られるかもしれない。

 フェリックスがルークを選んだのは、その予感があったからかも知れなかった。

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