第9話 教育改革
能力主義と言うのは聞こえはいいけれど、内紛状態をもたらしやすい。完全に公平な評価基準はあり得ないし、仮にポストがひとつだとして、能力がある者が一人だけということもないからだ。
年功序列というものはどこでもある程度はあるわけで、具体的に言えば、マーカンドルフを最側近に迎え入れた以上、マーカンドルフの指示に従えない者は、フェリックス・ヴァーゲンザイル勲功騎士爵家には要らない。
これと同じことが今後迎え入れてゆく人材についても生じるはずだ。
つまり、よちよち歩きを始めたばかりのヴァーゲンザイル勲功騎士爵家にとって、ここ一年以内に雇用される人間は将来の幹部になる、少なくともその可能性が非常に高いということだ。
後から来た者を先にいる者よりも抜擢すれば、全体の士気に関わる。ヴァーゲンザイル勲功騎士爵家は何といってもただの組織ではなく、封建領主なのだ。利益をだせばそれでいいというわけにはいかない。
今、幹部級と言えばフェリックス自身とアビー以外には、マーカンドルフ、ガマのみであって、マーカンドルフとガマは、それぞれ能力が傑出しているから、そのまま上に据えておいても支障はない。だが、今後、そこそこの能力の者を迎え入れて、ただ単に古参だからとの理由で、地位を保全すれば組織が硬直化する。と言って年功序列をあからさまに軽んずれば、人心が乱れる。
能力主義と聞けば、人はつい、自分が出来る方の立場で考えがちだ。
出来ない方の立場から考えてみるべきなのだ。正確に言えば出来ないとされる側からの。
おまえは出来ないのだから抜擢しないと言われて、はい、そうですかと納得できるのかということだ。人はだれしも、自分は出来る、と思っているものだ。
フェリックスには前世で会社勤めの経験があり、くすぶっていた時期もあったからこの辺の心理は自分自身のこととして理解できている。前世では最終的に、別の上司の下で成果を上げてそこそこの地位についたのだから、「会社は俺を正確に評価していない!」と憤っていた時のフェリックスの前世の人の思いは後から見れば間違ってはいなかったとも言える。
だが一方で別の物差しではいろいろ足りないところがあったのも事実で、あれを評価しないというのも十分にあり得ることだなと、今のフェリックスならば理解できる。前世とは言えしょせんは他人事だからだ。
能力主義で落とされるというのは、門閥や年齢などで落とされるのよりもなおいっそうこたえるものなのだ。門閥や年齢は自分ではどうにもならないから、ある意味、天気と同じだ。雨が降るのも晴れるのも自分のせいではない。
しかし能力主義で落とされるというのは、人間の根本のプライドを打ち砕く。
だからフェリックスは人事評価の根幹は、能力主義を加味しながらも基本は年功序列で行くつもりだった。
そうなると、ここしばらく入れていかなければならない人材は、将来の幹部候補になるだろう。マーカンドルフ級の人材が得られればいいのだが、なかなかそうはいかないだろう。
本当は、ダグウッド村の福祉向上のためにも、忠誠心という観点からも、初期配置はダグウッド村の村人で固めるのが一番いい。だが読み書きもままならない彼らでは、今現在のフェリックスの要求水準には達していない。
フェリックスが求める最低水準は、
.読み書き
.丁寧な受け答えの話し方
.足し算引き算、可能であれば九九の暗記
である。
これはこの世界では貴族の子弟か、大商人の下で十年以上下働きをした者くらいにしか要求できない高度な水準だ。だが、前世の日本の基準で言えば小学二年生のレベルだ。
教えれば、すぐに、とは言わないまでも数年で身につけられるはずだ。
フェリックスは決めた。
まずは学校教育から。
人材が育たなければ事業も拡げられないが、そこまで急ぐ話でもない。フェリックス自身はまだ少年に過ぎないのだし、アンドレイの話などから言っても、これ以上急激に身代を拡大すれば中央政府から目を付けられる可能性もある。
学校教育のことは前から考えてはいたのだが、何といっても生徒が代替の利かない労働者であって、校舎をどうするか、教師をどうするかという以前に生徒の時間を拘束することがままならなかった。
だがアンドレイの干渉によって労働者が入ってくる。
下働きを彼らに振れば、ダグウッド村の従前からの村人には空き時間ができるはずだ。
これはある意味、村人を階級化させる試みでもある。
旧住民と新住民の処遇を違えるということだからだ。
小麦を作らせるにしても、マルイモを大量生産させるにしても、ダグウッド織を作らせるにしても、旧住民を雇用主にして、新住民を小作化させる。
それは、わざわざ身分制度を採り入れるという意味では、非道と言えば非道かもしれない。だがそれによって、当面のフリーハンドを旧住民に与えることができる。
走り続ける限り、新住民はさらに新しい住民に対しては旧住民になり、そのくびきを食いちぎることができるだろう。
そうやって非合理を乗り越えていくしかない。
そしてフェリックスはいかに歩みが遅くても、走るのをやめるつもりはなかった。
「というわけで、午前と午後の二部制にして、学校を開くことにする。場所は当面はここ、領主館、ガマに頼んで大工と人足の手配をして秋口からは学校建設を始めるよ。教師は僕、マーカンドルフ、アビーが交代でおこなう。
子供だけじゃなくて旧住民全員が対象だ。これは義務にするよ。週三回はかならず学校に通うこと。
教師も雇用しないとね。ただ ― 」
「誰でもいいというわけじゃないわよね」
アビーの言葉にフェリックスはうなづいた。
教師は、下級貴族の端くれの子女が、貴族相手になることが多い。領民相手に特権意識を持っている教師なんてのはこの仕事には不向きだ。
能力がある者はそこそこいるだろう。だが、この世界の常識を乗り越えて行ける者はそうはいない。
「アンドレイ兄様やキシリア姉様にお願いしても、私たちが求めるような人は手に入れられないと思うわ」
「アビー様のおっしゃる通りですね。当面は私たちが務めるとしても、いつまでもというわけにはいかないでしょう。さてどこをどうあたればいいのか」
マーカンドルフにも妙案はない。
フェリックスがやろうとしていることは単純だが、それだけこの世界では常識外れ過ぎるのだ。書き取りに使う石板ですら、買えばかなり高価なものだ。
フェリックスは儲けのかなりを吐き出して、ガマに大量購入させている。思い切って、貸与、ではなく、生徒全員に与えるつもりだった。
そんなことをする領主は、この世界には他のどこにもいない。
新しいことをするには抵抗が生まれるものだ。
何よりもまず、大人の生徒たちが「勉強」なんてものをすることを嫌がった。フェリックスが領主としてこれまで絶大な実績をあげていて、ほとんど生き神様のように崇められていなければ、生徒たちを学校につれてくることさえままならなかっただろう。
それでも、生徒たちを全員学校に来させるようになるまでで、半年かかったのだった。
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レビューを書いてくださった方、ありがとうございました。
昨年末以来、忙しさにかまけて書いていたのも忘れていた作品ですが、レビューがついて以来、アクセスが増えていまして、一か月半ぶりの更新をしました。
今後は地道に更新していきますのでよろしくお願いします。
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