第169話

 アデルたちはオフィーリアの部下が用意した黒塗りの車に乗り込み、教皇庁へ向かっていた。

 時間にすれば三十分もかからぬ距離だ。

 だが、アデルには時間以上に長く感じられた。


(――おかしいですね)


 車窓から街を眺めていると、アデルはある違和感を覚えた。

 国の中枢である教皇庁が襲撃を受けているのに、街の様子に変化がないのだ。


 アデルたちが観光を楽しんでいたときと全く変わらず、行き交う人々は建国祭の準備に勤しんでおり、軒を連ねる店や川沿いの露店は賑わいを見せている。

 

 何故これほどまでに普段と変わらぬ生活を送っていられるのか、とアデルは疑問に感じながら、車は街を通り抜けて教皇庁へ。

 その疑問は直ぐに解消されることになる。


 教皇庁に到着したアデルたちが最初に感じたのは、本当に襲撃があったのか、だった。

 アデルたちがそう錯覚してしまうほど、教皇庁の外観に変化は無く、平穏な空気を醸し出していたのだ。


 外壁や建物などにも、襲撃の痕はいっさい見られなかった。

 違う点があるといえば、至る所に特務部隊の制服を着た人々が動き回っていることくらいだ。


 車から降りたアデルたちは、オフィーリアを先頭にして教皇庁の内部に入る。


「侵入者を確保!」

「まだいるはずだっ」

「残りはどこに行った!?」

「くそっ、どうやって厳重な守りを突破したんだ……!?」


 中では多くの人々が慌ただしく走り回っていた。

 空気がピリピリしているのが一目で分かる。

 アデルは被害状況を確かめようと左右を見渡す。

 内部も襲撃の痕はなく、一見すると綺麗なままだった。

 ただし、


(――これは、血の臭い?)


 アデルは内部に漂う濃密な鉄の香りに、僅かに眉をひそめる。


「うっ……」


 臭いに耐えきれず、ガウェインは鼻と口を包み込むように手で覆う。

 彼の隣に立つリビエラは視線こそ固定しているものの、表情は青ざめていた。


 アデルはチラリとリーゼロッテへ視線を向ける。

 彼女の顔色もまた、リビエラと同じく青ざめていた。

 アデルはリーゼロッテの手を取り、柔らかな声色で話しかける。


「大丈夫ですか? 無理はなさらず、外で待っていてもよろしいのですよ?」

「ありがとう。でも、大丈夫だから」


 彼女は弱々しく微笑んだが、強がっているのは誰が見ても明らかだった。


「……分かりました。ですが、無理だと思ったらいつでも仰ってくださいね?」

「ええ」


 このまま一緒に行ってもいいものか、逡巡しゅんじゅんを見せたアデルだが、結局リーゼロッテの言う通りにした。

 これは、傍にいたほうがもしもの時に守りやすいという考えもあったからだ。


 広間の中央まで行くと、オフィーリアに気づいた特務部隊の隊員が駆け寄ってきた。


「オフィーリア隊長!」

「ご苦労。状況はどうなっている?」

「はっ! 襲撃者は十名。うち九名は身柄を確保しました。残りの一名は現場から逃走しましたが、現在追跡中です。また、聖下の異能のおかげで、襲撃による建物外部および内部の損傷はありません!」

「そうか」


(アイリス様の異能?)


 壁や柱を凝視すると、透明な薄い保護膜で覆われていた。

 アイリス教皇の異能によるものなのだろう。


「ただ……」

「どうした? 言ってみなさい」


 言いよどむ部下に対して、オフィーリアは続きを促す。


「祈りを捧げておられたウィリアム・グレゴリー枢機卿ならびにルイス・プレヴォスト枢機卿が背後から襲撃を受け、お亡くなりに……」

「何だと!?」

「また、同じ場所で祈りを捧げていた司教も襲われました。幸い命に別状はありませんが、別室で治療を受けている者が三十名以上おります」

「くっ!」


 オフィーリアは苦虫を嚙み潰したような表情を浮かべる。


「あの……アイリス教皇はご無事ですか?」


 彼の報告は、アイリスの安否について触れられていない。

 自分の妹と大して変わらぬ年齢のアイリスを心配して、リーゼロッテが質問する。

 だが答えたのは隊員ではなく、オフィーリアだった。


「聖下はご無事ですよ」

「どうして分かるんですか?」

「聖下は教皇庁にいる限り、どのような攻撃を受けようともその身が傷つくことはありません。それが、例え一撃で人を死に至らしめるようなものであってもです」


 リーゼロッテが軽く、驚きを示す。


「あり得るのですか!?」

「聖下の異能の根源に関わることですので、詳しいことは我々も分かりません。ですが、聖下の御業を直接見たことのある立場から言わせていただきます。間違いなく真実であると」


 そう言い切るオフィーリアに、その場にいた者はみな驚愕した。


 ――そのようなことが本当に可能なのか。

 確かに防御に特化した"異能"はいくつも存在する。

 ガウェインの"守護女神の盾アエギス"や、クラウディオの"母なる聖域ザンクトゥアーリウム"がそうだ。


 しかし、どんな攻撃であっても防ぐことができるかと問われると疑問が残る。

 疑問は残るが、"異能"はその人の根幹に関わることであり、安易に踏み込むことはできない。

 

 何より優先するべきことがアデルにはあった。


「オフィーリアさん、治療を受けているという方々の部屋へ案内していただけませんか? 私であればきっとお力になれます」

「アデルさま……よろしいのですか?」

「怪我で苦しんでいる人がいて、その苦しみから救う力が私にはあります。ならば、手を差し伸べないという選択はありません。ただそれだけのことです」


 正確には借り物の力ではあるのだが、それについては敢えて触れない。

 重要なのは、アデルが怪我を癒す力を持っているという一点なのだ。


 何度か考える素振りを見せていたオフィーリアだったが、負傷者をどうにかしたいという気持ちが勝ったのだろう。

 アデルの前で深々と頭を下げた。

 

「ありがとうございます。――アデルさまを部屋へご案内しろ」

「はっ! こちらです」


 部屋に案内されたアデルは、近くで治療を受けていた司教の身体に触れ、"女神の癒し手パナケア"をかける。

 傷口が瞬く間に塞がり、荒かった呼吸も落ち着き、青ざめていた顔に赤みがさす。


 一部始終を見ていたのは、司教の治療にあたっていた者だ。

 信じられないものを見たと言わんばかりに、彼の目は大きく見開かれていた。


「おお……なんとっ!」


 一人終わっては次へ、また一人終わっては次へ、といった具合に"女神の癒し手"をかけ続けることおよそ十分。

 アデルが部屋にいた全ての負傷者の治療を終えて立ち上がる。


「ありがとうございます!」

「さすが英雄と呼ばれる御方だ……!」

「ああ! 感謝します!」


 完治した司教が、代わる代わる感謝の言葉をアデルに述べる。

 アデルはにこりと微笑む。


「当たり前のことをしたまでですから」

「おお、なんと慈悲深い言葉だっ!」

「その通り!」


 本当のことを言っただけなのだが、余計に彼らを興奮させてしまったようだ。

 これは当分逃れられそうにないな、と思ったそのときだった。


 慌ただしく部屋に入ってきた特務部隊の隊員が、オフィーリアに何やら耳打ちしている様子が目に入る。

 耳打ちをされたオフィーリアは表情を取り繕ったまま、アデルに近づく。


「話の途中に申し訳ございません。アデルさま、謁見の間までご同行願います」

「分かりました。皆さま、申し訳ございませんがこれで失礼します。治ったばかりですのでくれぐれもご自愛ください」


 アデルは恭しく頭を下げると、オフィーリアとともに部屋を後にした。


「謁見の間というと、相手は聖下ですか?」

「もちろん聖下もいらっしゃいます。ですが、招集をかけられたのは聖下ではございません」

「聖下ではない? では、いったいどなたが?」


 てっきり今回の襲撃事件について話し合うのだとばかり思っていたアデルは、首を傾げる。

 アイリスではないのであれば、誰が謁見の間に呼び出すというのか。


 だが、オフィーリアの口から出た人物の名は思いもよらぬものだった。


「――ルドルフ・ピエール主席枢機卿です」

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