第167話

 穏やかな観光の時間は、突如終わりを迎える。


「妙ですね……」 


 最初に異変に気付いたのはアデルだった。

 

「……どうしたの?」


 突然立ち止まったアデルに、リーゼロッテが問いかける。

 アデルは問いに答えず、リーゼロッテをかばうようにして、周囲を見渡す。


 異変を察知したのはアデルだけではない。

 わずかに遅れて、シャルロッテが、彼女に続いてヴァイスとリーラも鋭い光を瞳に宿し、警戒心を露わに左右を見回した。


 川道は、つい先ほどまで途切れることなく馬車や人が行き交っていた。

 それが今は彼らを除いて誰一人いなくなっている。

 

「ふむ、これは――"異能"ですね」


 アデルの呟きに、リーゼロッテは目を大きく見開いた。


「なんですって!? 間違いないの?」


 リーゼロッテが鋭く問い返しながら、周囲の気配を窺う。

 ガウェインとリビエラもヴァイスたちの隣でそれに倣った。

 遠くから聞こえていた喧騒も、今は全く聞こえてこない。

 何らかの異能が発現されたと考えるべきだ。


「ええ――オフィーリアさん」


 アデルの言葉に、オフィーリアは首を振る。

 人混みに紛れて、アデルたちを守っていたはずのオフィーリアの部下たちの姿もなかった。


「申し訳ございません」

「いえ、仕方がありません。こちらも気づくのが遅れてしまいましたから」


 アデルは頭を下げるオフィーリアにそう告げると、セレナたちに視線を移す。

 彼女たちの表情に、驚きや困惑といった色は感じられない。


「うん? どうしたのじゃ?」

「いえ、あまり驚かれていないようですので、不思議に思いまして」

「いやいや、これでも驚いておるよ」

「わー、びっくりー☆」

「ルナちゃん、こわーい」

「そのようには見えませんが……」


 アデルは小さく息を吐き、もう一度セレナたちを見てから周囲を見渡す。

 少なくとも彼女たちが異能を発現した魔力の痕跡はない。


 もし、仮に近くで発現したのであればアデルだけでなく、シャルロッテやヴァイスたちまで気づかないというのはありえない。


「……まあ、いいでしょう。三人ともガウェインくんの傍から離れないようにしていただけますか。ガウェインくん、頼みましたよ」

「お任せくださいっ!」


 ガウェインが大きく頷く。

 リアクションが大きいのは、アデルに頼りにされていることへの嬉しさもあるが、疑っていることを女性たちに悟られまいとするためでもあった。


 セレナたちがガウェインの傍に行ったのを確認したアデルは、シャルロッテに向き直る。


「シャル様、リーゼロッテをお願いします」

「うむ、任せておけ」

「そんな、私も戦うわっ!」


 自分も戦う、というリーゼロッテの提案に、アデルは首を横に振った。


「相手が何人いて、どんな攻撃を仕掛けてくるか分かりません。もちろん、正面からやり合えばリーゼロッテが遅れを取るとは思いませんが」

「だったら――」

「愛する女性の前で格好つけたい、ちっぽけな男の意地をくみ取ってはいただけませんか?」


 リーゼロッテの頭に、アデルの手が伸びた。

 アデルは困ったような笑みを向けながら、彼女の髪をそっと撫でる。

 その優しい感触と眼差しに、リーゼロッテは耐えきれず目を逸らした。


「……ずるいわ。そんな風に言われたら引き下がるしかないじゃない」

「申し訳ございません」


 アデルは謝罪の言葉を口にする。


「……いいわ。でも、約束して! 絶対に傷を負わないって。異能を使えば傷は治るって頭では分かっているけれど、アデルが怪我をしたら私がどんな気持ちになるか……少しでいいから考えてよねっ。分かった?」


 アデルの身体を心配するリーゼロッテに対し、


「かしこまりました。貴女の笑顔を守るためにも、傷一つ負わないとお約束いたします」


 アデルは右手を胸に手を当てて、優雅に一礼した。

 頭を上げて振り返ると、誰もいないはずの露店に目を向ける。

 直後、露店の陰で気配がザワリと揺れた。


「まずは、私たちの会話が終わるまで待っていてくださったことに感謝申し上げます。ですが、今になっても姿を現してくださらないというのは、正直残念でなりません。ああ、まさかとは思いますが、どこに隠れているか気づいていないと思っていらっしゃる? だとしたら、大変失礼いたしました」


 アデルの口調は恭しいが、やや挑発めいたものだった。

 アデルたちを包囲する形で、それまで隠蔽していた敵意が露わになっている。


「キミたち程度じゃ、ボクたちの相手にならないんだからさ~。隠れてないでさっさと出てきたら?」


 追い打ちをかけるように、ヴァイスが包囲している敵に対して挑発を仕掛ける。

 相手がヴァイスの挑発に乗ったのか、それともこれ以上隠れていても無駄だと悟ったのかは分からない。


「ガウェインくん!」

「はいっ! 『――――守護女神の盾アエギス!』」


 アデルの声に応じたガウェインが円環の形をした光の盾を創り出すのと同時。

 その表面に銀光がはじけた。

 "守護女神の盾"に跳ね返った銀光の正体は、長さ五センチほどの太い針だった。

 敵が"異能"で射出したものだろう。

 僅かに魔力が込められている。


 ガウェインが"守護女神の盾"を維持しつつ、二射目を警戒する。

 だが、二射目がくることはなかった。

 射手の位置を特定したアデルが、敵の背後へ回り込んでいたからだ。

 

「バ、バカなっ!?」


 咄嗟に振り返った男とアデルの目が合った。

 その男の手には異能で創り出した小型のボウガンが握られ、目は驚愕に見開かれている。

 攻撃が防がれただけでなく、瞬時に間合いを詰められたことが信じられないようだ。


 しかし、この程度の想定外で動揺するなど未熟も良いところである。

 どうぞ狙ってくださいと言っているようなものだ。

 それを見逃すアデルではない。

 

 身体を一気に捻り、右足をしならせて回し蹴りを放つ。

 その一瞬、時間は止まったかのように感じられた。

 アデルの足が敵の顔面に接触し、衝撃が響き渡る。


 男は悲鳴を上げ、その勢いで後方の露店にぶつかって寄りかかる格好でうずくまった。

 当たり所が悪かったのか、立ち上がったり身動きする様子もない。

 アデルは戦闘不能となった男を一瞥すると、次の標的を定めて疾走する。

 先ほど交わした、愛する女性との約束を守るために。


 ヴァイスが感嘆の声を漏らす。


「やるね〜。ボクもアデルくんに負けてられないぞっと。リーラ、そっちはよろしくね」

「ああ――ヴァイス、やりすぎるなよ」

「分かってるって~」


 ヴァイスは軽く右手を上げて応えると、リーラの側から離れて、アデルのいる方向とは反対側を歩き始めた。

 その姿は、まるで散歩でもしているかのようにゆっくりとしたものだった。

 

 敵もヴァイスの意図が分からず戸惑っている様子だった。

 だが、すぐに激しい攻撃がヴァイスに集中した。

 "守護女神の盾"で守られているガウェインたちと違い、無防備なヴァイスはただの的にしか見えなかったからだ。


 しかし、その全ての攻撃が当たらない。

 ヴァイスを標的とした異能は、ことごとく対象であるヴァイスに触れる事なく霧散している。


「ん~、五人ってところか」


 ヴァイスは攻撃から瞬時に場所と人数を特定した。

 獲物オモチャを前にして獰猛な笑みを浮かべる。

 ヴァイスは右手を前に出す。

 五本の指先はそれぞれ違う方向を指していた。


「『――――雷鳴の轟きヴォルスンガ・ブリッツ!』」

 

 眩い光とともに、ヴァイスの指差した先で電流が流れた。

 立て続けに声にならない悲鳴が上がる。

 ヴァイスの"雷鳴の嘆き"で身体に電撃を流されたことによる、苦痛の叫びだ。

 バタバタと人間が倒れる音がヴァイスの耳に届く。

 敵から攻撃が来ることは二度となかった。

 

「あ~あ、もう終わっちゃった」


 動かなくなった獲物になど興味はない。

 ヴァイスは大きな溜息を吐くと、後ろを振り返る。

 ヴァイスの目は、ガウェインの側にいるセレナたちに向けられていた。

 本命メインディッシュの彼女たちが動く様子はない。


(今回は様子見ってことかな? な〜んだ、つまんないの)


 ヴァイスが物騒なことを考えている間に、アデルが残った敵を全て無力化していた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る