第166話
夕暮れの静かな時刻、空気は涼しいというより肌寒くなり始めている。
川ではカヌーが水面を揺らしながらゆっくりと進んでいる。
遠くには教皇庁の教会がそびえ立ち、夕日に照らされて金色に輝いていた。
今アデルたちがいる場所は、メイン通りからはやや離れた広い川道だ。
メイン通りに比べると人通りは少ないが、建国祭の影響なのだろう、行き交う馬車や徒歩が途切れることはない。
道端に軒を拡げ始めている屋台もちらほら出てきている。
セレナたちと歩くことになったアデルだが、その並び自体は変わっていない。
先頭を歩くアデルたちの後ろをシャルロッテが歩いており、一歩下がってオフィーリアが、そこから更に三〜四歩ほど離れて護衛のガウェインたちが横並びという順番で歩いていた。
「ヴァイス先輩、質問してもよろしいでしょうか?」
川風に目を細めながら、ガウェインがヴァイスに声をかけた。
「んー、構わないよ。まあ、だいたい察しはつくけどね。言ってごらんよ」
「どうして彼女たちの提案に賛成したのですか?」
先頭を歩くアデルとリーゼロッテの隣で談笑するセレナたちを眺めながら、ガウェインは小声で疑問を呈した。
なんでヴァイスやリーラが賛成したのか、彼には理解できなかった。
「そうだなー、ガウェインくんはさ、彼女たちを見てどう思った?」
「えっ! そうですね……綺麗な人たちだな、とは思いましたけど……」
「プッ、アハハ! そう言う意味で聞いたわけじゃないよ」
「す、すみません!」
よほど面白かったのか、ヴァイスは十秒以上、笑いの発作から逃れることができなかった。
「はぁ~、面白かった。ガウェインくん、いいね! キミ、実にいいよ」
「きょ、恐縮です」
「でもさ、思ってても口にしない方がいいことってあると思うんだよね。特に今とかさ」
「えっと、それはどういうことでしょうか?」
「あっれ~。本気で言ってるの? ほら、見てごらんよ」
ヴァイスがちょいちょいとガウェインの右側を指さす。
ガウェインはヴァイスが指差す方へ顔を向ける。
彼の目に映るのは、唇をきつく閉ざし、頬をぷくっと膨らませたリビエラのむすっとした表情だった。
「えっと……リビエラさ、ん?」
「……」
リビエラは返事をすることもなく、むすっとしたままだ。
ガウェインは戸惑いながらも、リビエラの瞳を見つめた。
明らかに不機嫌なリビエラの表情の裏にある何かを読み解こうとするが、彼女の心の奥深くには彼にとって未知の領域が広がっていた。
リビエラのむすっとした表情の背後には、彼女の内面の複雑な感情が渦巻いていたのだ。
(俺のせい、なのか……? でも、何に対して? さっき俺が言ったことといえば――あ!)
ガウェインは、その時になってようやくヴァイスの言葉の意味を理解した。
一方で、リビエラも己の心の内で渦巻く感情をうまく処理できないでいた。
リーゼロッテやシャルロッテほどではないにしても、リビエラが「美少女」のカテゴリーに入らないと主張する少年は少数派に違いない。
そのリビエラから見ても、セレナたちは超のつく美女、美少女だった。
ガウェインが彼女たちを綺麗だと言ったことも頭では理解できる。
できるのだが、いざガウェインの口から自分以外の女性に対して「綺麗」という言葉を聞いた瞬間、何とも言えない気持ちがこみ上げてきたのだ。
確かなことはただ一つ。
他の女性を褒めないでほしいと思っている自分がいること。
どうしてかは分からない。
ただ、嫌だな――そう思ってしまったのだ。
「すみません」
ガウェインが深々と頭を下げる。
「……どうして謝るのですか? あなたは本当のことを言っただけじゃありませんか」
不機嫌な声で、リビエラが拗ねる。
「自分に置き換えて考えてみたんです」
「……え?」
「もしも、リビエラさんが自分ではなく、他の男のことをカッコいいと言っていたとしたら、どういう気持ちになるだろうって考えてみました」
「……どんな気持ちになったんですか?」
「すごく、嫌な気分でした――だから、リビエラさんも同じ気持ちになったのだとしたら謝らないとって思ったんです。あ! あくまで俺がそう思っただけなので、勘違いだったらすみません」
ガウェインはそう言って再び頭を下げた。
別の、自分とは全く関係ない理由である可能性もあるのだ。
だとしたら、自意識過剰の勘違い男でしかない。
ガウェインは、どんどん恥ずかしさが込み上げてきた。
「……勘違いじゃないですよ」
「……え?」
ガウェインがバッと顔を上げると、先ほどまでの不機嫌な表情から一転して、可愛らしい笑みを浮かべた少女に変わっていた。
「私の方こそ、すみませんでした」
リビエラはガウェインへ向かって頭を下げた。
「な、なんでリビエラさんが謝るんですか!?」
「いえ、私と同じ気持ちにさせてしまいましたから」
リビエラに見つめられたガウェインは、照れくさげに笑いながら口を開く。
「……じゃあ、これでお互いさま、ですね」
「ふふ、そうですね」
互いに微笑みあい、少年と少女は川に目をやった。
川面は次第に傾き始めた陽の光を受けて、相変わらず眩く輝いている。
まるで二人を祝福しているようだった。
((もう付き合っちゃえよ))
二人の隣を歩くヴァイスとリーラは同じことを考えていた。
これでまだ付き合っていないというのだから、訳が分からない。
「……思い出した!」
突然、ガウェインがややうわずった声を上げた。
ヴァイスの答えを聞くことができていないままではないか。
「ヴァイス先輩、教えてください」
「別に思い出さなくてよかったのに……仕方ないなあ」
ヴァイスはやれやれ、と頭を振る。
「彼女たちはボクらと同じ――"異能"持ちだよ」
「えっ!?」
「し~、静かに。気づいているのはボクとリーラ、シャルロッテ王女、それにアデルくんだけど――っと、キョロキョロしちゃダメだよ。彼女たちに怪しまれちゃうからね」
ヴァイスは人差し指を唇に当て、ウィンクする。
その仕草は何とも愛らしいものだったが、内容は物騒極まりないものだった。
(気づかなかった……でも……)
「間違いないんですか?」
「断言してもいいよ。ねぇ?」
「ああ」
リーラが頷く。
二人は確信しているようだ。
「じゃあ、どうして――」
「得体のしれない相手と一緒に歩くのかって? キミは可笑しなことを聞くね。ボクたちの目的を忘れたのかい? 何のために教国にやってきたのか思い出してみなよ」
「そ、それは……」
"クリファ"とそれを崇める反教皇派。
それこそがアデルたちが教国にやってきた目的だ。
「街中で"異能"持ちと出会う確率ってさ、とっても低いんだよ。そもそも絶対数が少ないからね」
この世界の大半の人間は"異能"を発現することができない。
ごく限られた者だけが扱える力――それが"異能"である。
「異国の地で、偶然通りがかった道で、偶然トラブルに巻き込まれている女性に遭遇して、しかも助けた女性が実は全員"異能"持ちでしたなんて、いくら何でもありえないでしょ?」
「……つまり、仕組まれたものだと仰りたいんですか?」
恐る恐る訊ねるガウェインに、ヴァイスは軽く両手を上げる。
「どうかな。でも、何かあると思ったからアデルくんもシャルロッテ王女も彼女たちと歩こうと思ったんじゃないかな? まぁ、ボクの考えは違うけど」
「え? それはどういう――」
ガウェインは言いかけて固まってしまう。
直ぐ隣で強烈なプレッシャーを感じたからだ。
「わざわざ餌をぶら下げてくれたんだ。食いつかないのは相手に失礼だよね」
ヴァイスは底冷えのする笑みを浮かべた。
「どっちが狩られる側なのか、教えてあげなくちゃ」
ヴァイスは、まるで獲物を狙う猟犬のような眼差しをセレナたちに向けていた。
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