第164話

 いきなり現れたアデルの姿をじろりと眺めた男たちが一歩後ずさったのは、アデルの醸し出す雰囲気に飲まれてのことだろう。

 手を振り上げたままの男に対して、アデルはニコリと笑みを浮かべると、胸に手を当てて一礼する。


「驚かせてしまい申し訳ございません。あなた方が男性としてあるまじき行為を取っていらっしゃったものですから」

「俺らは声をかけてただけだ。なあ?」

「ああ、ちょっと遊ぼうよってな」

「別に無理やりってわけじゃないんだぜ」

「おや、そうだったのですか?」


 アデルは振り返り、手前の女性に声をかける。


「私の勘違いであれば謝罪いたします。余計なお節介だったでしょうか?」


 アデルには女性たちが嫌がっているように見えたが、彼らの主張が真実で、実は女性たちも嫌がっていなかったという可能性もゼロではない。


「いや、勘違いでもお節介でもないわ。わらわたちも迷惑しておったのじゃ」

「そうそう、僕たちが何度も断っているのにしつこくてサ☆」

「ルナちゃんも困ってたところなのー」


 女性たちが口々に不満を漏らす。

 

「――ということだそうですが、何か言いたい事はございますか?」


 微笑みを湛えたアデルに、男たちの顔が思わず引きつった。

 アデルの瞳の奥は全く笑っていなかったからだ。


「べ、別にあんたにゃ関係ねえだろ。それともあんたの知り合いなのか?」

「いえ、彼女たちとはまったくの初対面ですが?」

「じゃあ、なんで……?」

「なんで? ふふ、おかしなことを質問なさいますね」


 アデルはゆるり、と首を傾けてみせる。


「最初にお伝えしたではありませんか。あなた方が男性としてあるまじき行為を取っていらっしゃったと。私は同じ男性として見過ごすことができなかった。ただ、それだけのことです」


 男性が女性に手をあげる。

 アデルが考える男性――紳士としての在り方から大きくかけ離れた行為である。

 それを目の当たりにしておきながら、見てみぬ振りなどできはしない。


「大人しく引いてくださるのであれば、事を大きくするつもりはございません。ああ、彼女たちが納得されるのであれば、という前提ですが」


 アデルがチラリと女性の方を見ると、三人は各々頷いた。


「妾は構わん。妾たちの視界から消えてくれればそれで満足じゃ」

「僕もいいヨ☆」

「ルナちゃんもオッケー」


 さっさとあっちに行けと言わんばかりに、シッシッと手をふる女性たち。

 男性たちの瞳に憤りが滲む。

 アデルを目の前にして萎縮してしまったのは確かだが、よくよく考えると相手はたった一人で、しかも自分たちよりも若い。


 そうだ、ナンパしようと声をかけただけなのに、横からとやかく言われる筋合いはない!

 女性たちも女性たちだ。

 自分たちがこんなに声をかけているんだから、少しくらい付き合ってくれてもいいだろう。

 ゴミでも見るような目を向けてきやがって。


 ふつふつと怒りと不快感がこみ上げてくる。

 男性たちはアデルに向かっていこうとしたが――。


「――動くな」


 静かに、しかしどこか抗いたいものを含んで響いた声はアデルのものではなかった。

 男たちがゆっくりと振り返る。

 いつの間に現れたか、明るい紫のウェーブがかった髪の女が硬い表情で男性たちをジッと見据えている。


「別に動いてもいいよ~。その代わり――覚悟だけはしておいてね」


 ほっそりとした長身の女性――リーラ・ヴィッテンブルグの隣で告げたのは、肩まで伸ばした白髪の中性的な外見をし男性——ヴァイス・フェンリスヴォルフだった。


 二人は異能を発現していない。

 にもかかわらず、周囲の空気がピリピリと震えている。

 二人の視線を受けている男たちの呼吸は荒くなり、膝がガクガクと震えていた。

 

「お二人とも、それくらいでおやめください。彼らは"普通"の方ですから」


 アデルのいう"普通"とは、異能を持っていないことを指す。

 

「分かっている」

「ボクらはアデルくんを守ろうとしただけなんだけどな~」


 重かった空気が、まるで何事もなかったかのように弛緩する。

 同時に、男たちは一斉に膝から崩れ落ちた。


「お二人のお気遣い、心から感謝申し上げます」

「任務だからな」

「そうそう、だから気にしないでよ。勝手に動かれるのは困るけどね~」

「うっ……以後、気をつけます」

「あはは、期待しないでおくよ~」


 同じような場面に出くわしたら、きっとアデルは先に動いてしまうだろう。

 ヴァイスの「期待しないでおく」というのは、アデルの本質を分かっているからこその言葉だった。


 さて、問題はまだ残っている。

 男たちの扱いだ。


「彼らは私にお任せください」


 アデルの元へやってきたオフィーリアが告げる。

 男たちの傍に歩み寄ったオフィーリアは、懐から何かを取り出して見せると、男たちの顔が真っ青になった。

 

「もうすぐ建国祭だというのはご存じですね? 他国から多くの人が集まっているというのに問題が発生すれば、些末なことでもクリフォト教国にとって恥辱となります。あなたたち、そんなことも分からないのですか?」

「し、失礼しました……」


 オフィーリアの口調は乱暴でもなければ、荒っぽくもない。

 終始、落ち着いたものであったが、男たちは竦んでしまっている。


「本当に申し訳ございませんでした!! どうかお許しを……」

「「お、お願いしますっ!」」

「分かってくだされば結構です。今後、絶対にしないと誓っていただけるのなら、今回に限っては何も見なかったことにいたしましょう」

「ほ、本当ですかっ」


 オフィーリアは頷いた。


「ただし、見逃すのは今回限りです。もし、今後、同じ場面を発見するようなことがあれば――分かっていますね?」

「「「は、はいっ!!」」」


 低いが厳しい口調で告げられ、男性たちは電流でも流されたかのような顔になった。


「よろしい。では、行きなさい」


 男たちは人形のようなぎこちなさで一礼すると、そのままそそくさと逃げ出す。

 後ろも振り返らずにどんどんと遠ざかってゆく男たち。

 振り返ったオフィーリアに、アデルは一礼する。


「お手を煩わせてしまい、申し訳ございません」

「いえ、これも職務ですから。ただ、お二方が仰っていたように急に動かれると対応が遅れてしまう可能性がありますので、今後はご注意ください」


 オフィーリアはハスキーボイスで返す。

 アデルはもう一度頭をかがめた。


「まことに申し訳ございません……」

「アデルのことだから、きっとまたすると思いますよ」


 傍らまでやってきたリーゼロッテが、苦笑交じりに告げる。


「……リーゼロッテ」

「私は褒めているのよ?」


 リーゼロッテの言葉は本当である。

 困っている人を見過ごせないのはアデルの美点だ。

 時と場合によっては欠点となりうることもあるかもしれなが、手を差し伸べないアデルの姿など、リーゼロッテには想像もつかない。


 何か釈然としないものを感じつつ、アデルは女性たちの方へ向き直った。

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