第163話
クリフォトの街は活気に溢れていた。
街を東西に横切る川面を照らす陽射しは、冬の名残を残しており、まだ頼りなくもあったが、頬をすり抜ける風は爽やかで初春を感じさせるものだった。
両岸には色とりどりの屋台や露店が立ち並び、珍しい食べ物や香辛料、装飾品が並べられている。
装飾品は赤い月を象ったものが多い。
橋梁上を往き来する人も多く、盛んに叫び交わされる声が活気に拍車をかけていた。
「美しい街ですね……それに、皆さん表情が生き生きとしています」
キラキラと陽光を反射している川面を見下ろし、アデルは呟いた。
視線を街中に向けると、子どもたちが楽しそうに駆けまわり、屋台の売り子と客のどちらの表情も明るい。
ただ、よく見ると建物や屋台の至るところに赤い月が描かれた旗が飾られていた。
「建国祭が近いのですよ」
「建国祭……ですか?」
「ええ。国民全員で建国を祝い、赤い月――クリフォト様に感謝を捧げる日でもあります。皆、その準備をしているというわけです」
「なるほど、ちょうど良い時期に私たちは訪れたというわけですね」
アデルは一つ頷くと、露店を広げる者たちや、装飾品を嬉々として眺める少女たちを横目に通りを進んだ。
街の中心地に足を踏み入れると、音楽の響きや笑い声がアデルたちを迎えた。
「おっ! 美味そうではないか! 店主よ、一つくれ」
朝食からまだそれほど時間が経っていないというのに、シャルロッテは屋台の肉串を指さした。
香辛料がふんだんに使われており、食欲をそそる香りが鼻腔をくすぐる。
待ちきれなくなったシャルロッテは、店主に支払いを済ませて肉串を受け取ると、そのまま齧り付いた。
「うむ――美味であるっ!」
目を輝かせながら頬に手を当てるシャルロッテは何とも幸せそうだ。
そのまま二口、三口と食べ進めていく姿は、まさに観光を十二分に楽しんでいるといえる。
だが、その隣で何とも言えない表情をする者がいた。
リーゼロッテである。
リーゼロッテは、シャルロッテほど観光を楽しむ余裕を持ち合わせていなかった。
おしのびの王女二人に侯爵家嫡男――これで何か起きようものなら、それこそ国家間の問題になりかねない事態だ。
護衛四名もいるのだし、アデルの異能のことも考えれば滅多なことは起きないということは理解している。
それでも、万が一、ということは常に考えておかねばならない。
リーゼロッテは、幼い頃からそういった教育を受けて育った。
観光自体はアデルたちが希望したことなのだから、仮に何か起こったとしてもアデルたちは事を荒立てるつもりは当然ない。
しかし、リーゼロッテやシャルロッテの親たち――つまり、レーベンハイト公王やオルブライト国王はそうもいかない。
何かしら抗議をすることは十分考えられる。
「まったく、のんきなんだから……うう、胃が痛い」
「大丈夫ですか、リーゼロッテ?」
腹をさすっているリーゼロッテを、アデルが心配げに覗きこんだ。
「体調が悪いのでしたら、どこかで休みましょうか?」
「いや、そういうわけじゃないから、大丈夫よ。ただ、シャルを見ていたら神経が……ねえ、アデルは何ともないの?」
新しい獲物を発見したのか、別の屋台の店主に話しかけているシャルロッテを横目に、リーゼロッテは自身の婚約者に問いただした。
「私たち、全員が服装こそ目立たない格好をしているけれど、顔までは変えられないのよ」
「ふふ、そんなことができたらびっくりしてしまいますよ」
「いや、笑っている場合じゃなくて……」
縋るようなリーゼロッテの視線に対し、アデルは目を細め、口元を綻ばせて小さく笑った。
表情一つとっても様になっている。
(あーもう、カッコいいんだからっ)
優しく微笑まれてリーゼロッテの肩の力が抜ける。
次の瞬間、体が変な風に熱くなる。
どくん、どくんと心臓が大きく跳ね回っているのが分かる。
何度も見ているはずなのにこればっかりは慣れない、慣れてくれない。
元々、品よく整った顔立ちにほのかな笑みが乗った途端、周囲の目を釘付けにしてしまうという事実に、当の本人は気付いていないらしい。
「大丈夫、リーゼロッテが心配しているようなことは起きませんよ、少なくともオフィーリアさんが案内してくださっている間は。ね、オフィーリアさん?」
そう言って、アデルはオフィーリアへ顔を向ける。
「さすがアデルさま。気づいていらっしゃいましたか」
「気づくなというのが無理というものですよ」
「これはこれは、失礼いたしました」
オフィーリアはアデルに敬意を払うように、胸に手を当てて優雅に一礼する。
いったい二人は何のことを言っているのか。
二人の会話の内容について理解できていないリーゼロッテは、アデルとオフィーリアの顔を交互に見比べていた。
「……どういうこと?」
「それはですね、私たちのためにオフィーリアさんが最初から手を打ってくださっていたということですよ」
オフィーリアは同意の意味を込めて頷く。
「聖名とはいえ、多くの国民が行き交う街中を案内するのですよ。そんな場所に、貴賓である皆さまをまったくのおしのびで連れて歩くほど、我々は考え無しではありません」
オフィーリアは懐からマホガニー色のシガーケースを取り出すと、中から取り出した葉巻で周囲を指し示す。
「実は、我々の周辺には、変装した私の部下たちを配置しております。そうですね――ざっと五十人ほどでしょうか。特務部隊の中でも選りすぐりの猛者を揃えています」
「……えっ?」
オフィーリアの言葉にリーゼロッテは目を瞬いた。
「い、いつの間にっ!?」
「アデルさまが仰っていたように"最初"からですよ」
そう言って、オフィーリアはリーゼロッテにウィンクした。
「き、気づかなかった……」
「仕方ありませんよ」
項垂れるリーゼロッテの頭をアデルはよしよし、と優しく撫でる。
リーゼロッテは唇を尖らせながら、上目遣いでアデルを見た。
「でも、アデルは気付いていたんでしょ? どうして分かったの?」
周囲を見渡しても、それらしき人物は見当たらない。
リーゼロッテには誰がオフィーリアの部下なのか見当もつかなかった。
「簡単なことですよ。私たちが街を歩き始めてからそれなりに時間が経ちましたよね」
そんなリーゼロッテに、アデルは優しく諭すようなトーンで話す。
「ええ」
「その間、誰か近づいてきたり、話しかけてきたりしましたか?」
「そういえば……一度もなかったわね」
アデルの容姿は目立つ。
歩けば女性からの視線を浴びるし、話しかけられることも少なくない。
それはアデルだけではない。
リーゼロッテやシャルロッテにも言えることだった。
行き交う街の住人と違和感ない服装に着替えようとも、溢れ出る魅力を隠すことなどできはしない。
護衛の四人だって、みな整った顔立ちをしている。
つまり、ただ歩いているだけで視線を集めてしまう集団だということだ。
見られているという視線は感じていた。
にもかかわらず、アデルの言うように誰も近づいても来なければ、話しかけてくる者もいなかった。
「実は、話しかけようとされた方は何人もいたんですよ。ですが、こちらに近づくことは一度もありませんでした。これはどうしたことかと周囲に気を配ってみたら、いつもと異なる視線や気配を感じましてね。それでピンときたというわけです」
「いやいやいや、それで気づくアデルが凄すぎるでしょ……」
「そうでしょうか?」
アデルはこてりと首を傾げる。
「そうなの!」
自分なら絶対に気づかないだろうという自信がある。
「でも、そういうことなら安心ね」
リーゼロッテは、ほっと表情を緩めてオフィーリアの方に向き直ると、ふわりと笑みを浮かべた。
「ありがとうございます」
「職務を果たしているだけですから、お気になさらないでください」
オフィーリアは几帳面な口調で返す。
守られているのだと分かった途端、足取りが軽くなったような気がする。
シャルロッテは、更に別の屋台の店主に話しかけていた。
「シャル、貴女どれだけ食べれば気が済むのよ……あれ?」
リーゼロッテは思わず歩みを止めた。
アデルが立ち止まり、一点をジッと見つめていたからだ。
「どうしたの、アデル?」
アデルは脇道の奥の人影を見つめていた。
それは、男女の六人連れだった。
男性三人に女性が三人。
街中であればよく目にする光景だが、遠くからでも明らかに絡まれているのだと分かる。
女性は三人とも迷惑そうな顔を隠していなかった。
(……顔を見れば迷惑がっていることぐらい分かりそうなものだけど)
リーゼロッテはそっとため息をつく。
脈がないのは明らかなのに、それに気づけないというのは、見ていて痛々しいものがある。
「あっ!」
リーゼロッテは思わず声を上げた。
男性の一人が女性の肩を掴もうとしたのだ。
だが、その手を女性が振り払う。
すると、男性の表情が一変する。
「——てめぇ、調子に乗ってんじゃねえぞ!」
手を振り払われた男性が、声を荒げて拳を振り上げる。
(止めないと!)
間に合わないと分かりながらも、リーゼロッテが走りだそうとした次の瞬間――。
「おやめなさい」
警告と同時に、女性たちを守るようにして男の前に現れたのは、ついさっきまでリーゼロッテの隣にいたはずのアデルだった。
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