第162話

 晩餐会の後、アデルたちは教皇庁の敷地内に建てられた客館で一夜を過ごした。


 朝日が優しく窓から差し込む中、起床したアデルたちは客館付女官に広間へ案内される。

 広間には大きな長テーブルが置かれ、その上には朝食が並んでいた。

 テーブルにつくと、新鮮なフルーツが盛られた皿の隣は、キンキンに冷えたオレンジジュース。

 香ばしい焼きたてのパンの側には、カリカリに炒めたベーコンと半熟の目玉焼きが添えられている。

 健康的な十代の男女ならば、食欲を刺激されずにはおかないはずのものであった。


「お食事はお気に召していただけましたか?」

「ええ、とても美味しかったです」


 尋ねてきた客館付女官に、アデルは笑みを返した。

 残っていたオレンジジュースを一口啜る。

 アデルの言葉は嘘ではない。

 実際、リーゼロッテやシャルロッテのほか、一緒に食事を摂っている護衛四人の皿の上には何も残っていなかった。


「お口にあったようで何よりですわ。食後のお飲みものをご用意いたしましょうか? コーヒーと紅茶、ミルクティーからお選びいただけます」

「そうですね……では、紅茶でお願いします。皆さんはどうされますか?」

「じゃあ、私も同じものを」

「余はミルクティーを頼もう」


 アデルが問うと、各々が希望する飲み物をあげる。

 護衛四人のうち、リビエラとガウェインはミルクティーを、ヴァイスとリーラはコーヒーを希望した。


 直にテーブルの上にはそれぞれが希望した飲み物が置かれていく。

 アデルはゆっくりとティーカップを手に取り、その香りを深く吸い込んだ。

 紅茶の芳醇な香りが鼻腔を満たし、心を穏やかな気持ちに誘った。

 アデルは一口、口に含んで熱い紅茶をゆっくりと味わう。

 ほのかな苦味と甘みが舌を刺激し、心をリラックスさせた。


「さて、今日はどうしましょうか?」


 アデルは、食後のティータイムを楽しむ皆の顔を見ながら問いかける。


「そうね……」


 リーゼロッテは考え込む。

 自分たちの目的は"クリファ"だ。

 だが、実際のところ何から手をつければよいか分からない。

 なんせ手掛かりなど無いに等しいのだから。

 唯一の手掛かりと言えば"クリファ"を信仰するという反教皇派だが、闇雲に探し回ったところで見つかるとは思えない。


「何も深く考える必要などないであろう」


 思案するリーゼロッテの隣から軽い口調で告げたのは、シャルロッテだった。


「どういうこと?」

「せっかく見知らぬ地にやってきたのだぞ。であれば、やることは一つしかなかろう」

「もしかして」

「うむ! 観光だっ」


 想像していた通りの返しに、思わずリーゼロッテは頭を抱える。

 

「……貴女ねぇ、私たちは遊びに来ているわけじゃないのよ」

「うん? 当然であろう」


 シャルロッテは、何を言っているのだコイツはと言わんばかりの視線をリーゼロッテに向ける。


「目的のモノを調べるにもまずは教国のことを知っておかねばならん。だが、余たちはこの国をよく知らぬ。知っておることと言えば、せいぜい表面上の薄っぺらい知識でしかなかろう?」

「言われてみれば確かにそうね」

「余はな、余が実際に見て、触れて、聞いて、感じたものしか信じぬようにしておる。そこでようやく真の理解へ繋がる入り口の第一歩だと思うておるのだ」


 遊ぶためだとばかり思っていたリーゼロッテは、シャルロッテの言葉に思わず感心した。


「貴女の言う通りかもしれないわね」

「フハハハ! そうであろう、そうであろう」


 シャルロッテは高らかに笑い満足げに頷く。

 と、ここまで聞き役に徹していたアデルがゆっくりと口を開く。


「では、話もまとまったようですし、今日一日は観光をするということでよろしいでしょうか」

「ええ」

「うむ」


 当然、反対する者などいない。

 その場にいた全員が頷く。

 ただし、方向性は決定したが、今度は別の問題が発生する。

 

「……勝手に出歩いてもよいものなのでしょうか?」


 アデルたちは、教皇アイリスに面会するという名目でやって来ているのだ。

 勝手に出歩いてしまえば、アイリスを疎ましく思う強硬派に口実を与えてしまうのではないか。


「別に気にすることもなかろう。どうせ教国の民は余たちのことなど知らぬのだし、観光客など珍しくもないのだし」


 シャルロッテは事もなげに告げるが、他の者たちはそれでいいのか不安になる。


 その時だった。。

 規則正しいノックの音が聞こえてくる。

 広間に入ってきたのは、きっちり結い上げた赤い髪の女性士官--オフィーリア・スコットだった。

 彼女はアデルたちの座っている方に向かって、いかにも軍人らしい足取りで歩いてくる。


「おはようございます、アデルさま。お食事はもうお済みですか」


 ハスキーボイスで、爽やかな笑顔を見せる長身の女性士官に、アデルも会釈で返す。


「おはようございます、オフィーリアさん。ちょうど終わったところですが……何かご用でしょうか?」

「はっ。本日、皆さま方の見聞を広めるべく、街を案内せよとの聖命を受けましてこちらへ馳せ参じた次第です。いかがでしょうか?」

「こちらとしても、ちょうど観光したいと思っていたので助かります。聖下のお気遣いに感謝申し上げねばなりませんね——ああ、オフィーリアさんの服装が昨日と違うのもそれが理由ですか」


 オフィーリアは男物のタキシード、そしてオーバーコートを纏っている。

 男装の麗人――オフィーリアはアデルに苦笑めいた表情を向けた。

 

「皆さまを案内するのに、制服を着たままでは目立ってしまいますからね」


 確かに、アデルたちの隣に教皇庁特務部隊の制服を着たオフィーリアが歩いていたら、周囲は何事かと思うだろう。

 

「オフィーリアさんに案内していただけるのであれば心強いです。どうぞよろしくお願いいたします」


 そう言って、アデルは椅子から立ち上がった。


「お任せください。では、参りましょうか」


 オフィーリアはアデルに几帳面な敬礼を施すと、ドアに向かって歩き始めた。

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